2018年5月19日土曜日

ロンドン ニューゲートストリート(Newgate Street)

黒死荘へと向かうディーン・ハリディ、ケン・ブレークと
スコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部の3人がタクシーを降りた
ニューゲートストリートの西端−画面奥には、中央刑事裁判所が見える

米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別のペンネームであるカーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で発表した長編第2作目で、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役を務める長編第1作目となる「黒死荘の殺人(The Plague Court Murder→2018年5月6日 / 5月12日付ブログで紹介済)」では、降霊会の最中、黒死荘の庭に建つ石室内において、心霊学者のロジャー・ダーワース(Roger Darworth)が血の海の中で無残にも事切れていた。石室は厳重に戸締りされている上に、石室の周囲には、足跡が何も残されていなかった。それに加えて、殺害されたロジャー・ダーワースの傍らには、前日の午後、ロンドン博物館から盗まれた曰く付きの短剣が真っ赤な血に染まって残されていたのである。


創元推理文庫版「黒死荘の殺人」(南條竹則氏 / 高沢治氏訳)によると、

『その時タクシーがスピードを落として停まった。そこにハリディ(ディーン・ハリディ(Dean Halliday)ー黒死荘の現当主)の笑い声が重なる。運転手は、ガラスの仕切りを押しのけ、こちらを向いた。
「だんな、ニューゲートストリートの角ですが、どうします?」
我々は料金を払い、車を降りてその場を見回した。建物はみな、夢の中で経験するように、見上げるばかりに高く歪んで見える。はるか後方にホルボーン高架橋のぼんやりとした灯りが浮かび、聞こえるものといえば、夜の車のかすかな警笛と寂しい雨音だけだった。』

と記されており、黒死荘へと向かうディーン・ハリディ、本編の語り手であるケン・ブレーク(Ken Blake)とスコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部(Chief Inspector Humphery Masters)の3人は、ニューゲートストリート(Newgate Street)の角で、タクシーを降りたことになる。

画面中央の四つ角からニューゲートストリートが始まり、
画面右奥へと延びている

雨模様の中、夕暮れ時が迫るニューゲートストリート

ニューゲートストリートは、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドン(City of London)内に所在し、東西に延びる通りである。
ニューゲートストリートの西側は、オールドベイリー通り(Old Bailey → 中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)が建っている通り)<南側>、ホルボーン高架橋通り(Holborn Viaduct)<西側>およびギルトスパーストリート(Giltspur Street)<北側>が交差する四つ角から始まり、その東側は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)の北側に位置している地下鉄セントポール駅(St. Paul’s Tube Station)の前にあるロータリーで終わり、そこからチープサイド通り(Cheapside)へと名前をかえる。
タクシーを降りた後、ディーン・ハリディ達はギルトスパーストリートへと歩き始めているので、彼らがタクシーを降りたのは、ニューゲートストリートの西端ということになる。

ニューゲートストリートの東端は、
画面中央奥の地下鉄セントポール駅前で終わり、
そこからチープサイド通りへと名前が変わる

ニューゲートストリートの東端の北側にある
Christchurch Greyfriars Garden

ニューゲートストリートは、この辺りにあったニューゲート(Newgate)という門に因んで名付けられている。
ニューゲートは、シティー・オブ・ロンドンを防衛するために築かれたロンドンウォール(London Wall)にあった7つの門の一つで、ローマ時代に遡る6つの門の一つでもある。

中央刑事裁判所の建物外壁(北側)には、
「ここに建っていたニューゲート監獄が
1777年に取り壊された」ことを示すプラークが設置されている

12世紀に入ると、ニューゲートは、殺人や強盗等の重罪人を収容するニューゲート監獄(Newgate Prison)の一部として使用されたが、1666年9月に発生したロンドン大火(Great Fire of London)によって焼失した。その後、再建されたものの、ニューゲートは1767年に、また、ニューゲート監獄は1777年に取り壊されてしまう。ニューゲート監獄の跡地に建つ中央刑事裁判所のニューゲートストリート側に面している建物外壁には、「1777年に取り壊されたニューゲート監獄が建っていた場所である(Site of Newgate Demonlished 1777)」ことを示すブループラークが掛けられている。

2018年5月13日日曜日

ロンドン パレスゲイト通り2番地(2 Palace Gate)

画面中央の建物が、
初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレーが住んでいたパレスゲイト通り2番地

19世紀中頃、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」と呼ばれる芸術グループを結成した画家の一人である初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年)が住んでいた家がパレスゲート通り2番地(2 Palace Gate)で、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のケンジントン地区(Kensington)内に所在している。


ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)/ ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)を右手に見て、地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station→2016年6月25日付ブログで紹介済)へと向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を進む。そして、進行方向右手にケンジントン宮殿(Kensington Palace)が見えてきたところで、ケンジントンロードを左折して、パレスゲート通り(Palace Gate)へと入る。パレスゲート通りを南下して、左手から延びてきたレストンプレイス通り(Reston Place)と交差した角に建つのが、パレスゲイト通り2番地である。パレスゲイト通り近辺は、現在、高級住宅街の一つで、同2番地の建物には、ザンビア領事館(Zambian High Commission)が入居しており、玄関の上部には、「Zambia House」という表示が為されている。

パレスゲイト通り2番地の建物には、
現在、ザンビア領事館が入居している

初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレーは、1853年にロイヤルアカデミー(Royal Academy)の準会員(associate member)になり、直ぐに正会員(full member)に選出された。そして、英国の画家 / 彫刻家だった初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)の死去に伴い、ミレーは1896年にロイヤルアカデミーの会長(president)に選出されるが、同年8月13日、喉頭癌のため、他界した。なお、彼の遺体は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral)に埋葬された。

パレスゲイト通り2番地の建物外壁に掛けられているブループラーク

パレスゲイト通り2番地の建物1階(英国では、G階)外壁に、「サー・ジョン・エヴァレット・ミレーがここに住み、そして、ここで亡くなった」ことを示す London City Council のブループラークが掛けられている。

2018年5月12日土曜日

カーター・ディクスン作「黒死荘の殺人」(The Plague Court Murders by Carter Dickson)–その2

絞首刑が行われていたタイバーン(The Tyburn)の樹が立っていた場所を示すプレート

黒死荘(Plague Court)に到着したケン・ブレーク(Ken Blakeー本編の語り手)、紅茶の輸入商ハリディ・アンド・サン商会の次男坊であるディーン・ハリディ(Dean Halliday)とスコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部(Chief Inspector Humphrey Masters)の3人は、そこでロンドン博物館での盗難事件を捜査していたバート・マクドネル巡査部長に出会う。彼らや他の参加者が見守る中、心霊学者のロジャー・ダーワース(Roger Darworth)は石室内に一人籠って、降霊会が始まる。
ところが、降霊会の最中、ロジャー・ダーワースが血の海の中で無惨にも事切れているのが発見された。彼が一人籠った石室は厳重に戸締まりされている上に、石室の周囲には足跡が何も残されていなかった。それに加えて、殺害されたロジャー・ダーワースの傍らには、ロンドン博物館から盗まれたルイス・プレージ所有の短剣が真っ赤な血に染まって残されていたのである。


外部からの侵入が全く不可能な石室の内に一人籠もったロジャー・ダーワースを、一体誰がどのような方法で殺害したのか?それとも、彼が呼び出そうとしていた元絞首刑史のルイス・プレージによる仕業なのだろうか?ケン・ブレークは、英国軍防諜部所属時代の元上司で、現在は陸軍省情報部の部長執務室で暇を持て余していたH・Mこと、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)に助けを求めるのであった。

絞首刑が行われていたタイバーンの場所は、現在、
マーブルアーチ(Marble Arch)から北上する
エッジウェアロード(Edgware Road)の一番南端で、
道路中央の浮島(画面中央)内にある

ジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年) / カーター・ディクスン(Carter Dickson)の作品は、特に密室を中心とした不可能犯罪をテーマにした作品が多いという特徴があるが、「黒死荘の殺人」は、密室のトリック、ロジャー・ダーワースの殺害方法および犯人の隠し方等を含めて、独創性が高く、彼の最高傑作の一つとして、一般に評価されている。

絞首刑が行われていたタイバーンの南側には、
現在、マーブルアーチが建っていて、
多くの観光客を集めている

明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家 / 怪奇・恐怖小説家 / アンソロジストである江戸川乱歩(1894年ー1965年)は、「別冊宝石」(1950年8月)で行った「カー問答」において、カーの作品を第1位グループ(最も評価が高い作品群)から第4位グループ(最もつまらない作品群)までグループ分けしていて、「黒死荘の殺人」を第1位グループの6作品中、筆頭の「帽子収集狂事件(The Mad Hatter Mystery→2018年4月29日 / 5月5日付ブログで紹介済)」の次に高く評価している。
また、金田一耕助シリーズ等で著名な日本の推理作家である横溝正史(1902年ー1981年)も、「帽子収集狂事件」等と共に、「黒死荘の殺人」をベスト3の中に入れている。

2018年5月6日日曜日

カーター・ディクスン作「黒死荘の殺人」(The Plague Court Murders by Carter Dickson)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「黒死荘の殺人」の表紙−
カバーデザイン:本山 木犀氏
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ氏

「黒死荘の殺人(The Plague Court Murders)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、別のペンネームであるカーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で発表した長編第2作目で、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役を務める長編第1作目となる。当作品は、1934年に米国のモロウ社(Morrow)から、そして、1935年に英国のハイネマン社(Heinemann)から出版された。

1930年9月6日、そぼ降る雨の晩、クラブの喫煙室に居た本編の語り手であるケン・ブレーク(Ken Blake)のところに、彼の旧友で、紅茶の輸入商ハリディ・アンド・サン商会の次男坊であるディーン・ハリディ(Dean Halliday)が雑談にやって来て、驚くべき話を始める。

老父が亡くなり、商会は兄のジェイムズ・ハリディ(James Halliday)が継いでいたが、表面上は物腰穏やかで謹厳実直そうに見えたものの、実際は堕落しきった偽善者で、ある晩帰宅した後、拳銃自殺を遂げたのである。第一次世界大戦(1914年ー1918年)後、放蕩三昧の生活を過ごしていたディーン・ハリディは、身持ちの悪さを矯正するため、カナダへと遠島になっていたが、9年間の流刑から呼び戻されて、現当主となっていた。

ディーン・ハリディは大きく息を吸い込むと、ケン・ブレークに「幽霊屋敷で一晩を明かしてほしい。」と依頼するのだった。問題の幽霊屋敷とは、ハリディ家が代々所有する「黒死荘(Plague Court)」のことで、1663年から1665年までタイバーン(The Tyburn)の絞首刑史だったルイス・プレージ(Louis Playge)の呪いがかけられているという曰く付きの屋敷であった。奇しくも、当日の午後、セントジェイムズ地区(St. James’s)内にあるロンドン博物館から、ルイス・プレージ所有だった短剣が「後ろ姿の痩せた男」によって盗まれるという事件が発生していた。

当日の夜、黒死荘の庭に建つ石室内において、心霊学者のロジャー・ダーワース(Roger Darworth)による降霊会が行われる予定で、ケン・ブレークは、昔からの知り合いであるスコットランドヤードのハンフリー・マスターズ主任警部(Chief Inspector Humphrey Masters)を一緒に誘う。当時、ハンフリー・マスターズ主任警部は、人の弱みにつけ込んで、多額の金銭を巻き上げるイカサマ霊媒師を摘発することを主たる任務としており、「幽霊狩り」と呼ばれていた。以前よりロジャー・ダーワースをイカサマ霊媒師としてなんとか摘発しようと考えていたハンフリー・マスターズ主任警部は、ケン・ブレークの誘いを快諾して、彼とディーン・ハリディと一緒に、タクシーで曰く付きの屋敷「黒死荘」へと向かうのであった。

2018年5月5日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「帽子収集狂事件」(The Mad Hatter Mystery by John Dickson Carr)− その2

ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」に登場する
「いかれ帽子屋」(その1)
Illustration by Sir John Tenniel and coloured by Diz Wallis

至急、現場のロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)へと駆け付けるギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)達であったが、深い霧が立ち込めるロンドン塔内で足止めされている証言者の中には、(1)ウィリアム・ビットン卿(Sir William Bitton)の弟レスター・ビットン(実業家)の妻で、殺害されたフィリップ・ドリスコル(Philip Driscoll)と不倫関係にあったと思われるローラ・ビットン、(2)米国人の実業家かつ古書収集家で、ウィリアム・ビットン卿の屋敷に滞在していたジュリアス・アーバーや(3)フィリップ・ドリスコルが住むタヴィストック荘の向かいの部屋に暮らす未亡人アマンダ・ラーキン等、不思議なことに、フィリップ・ドリスコルの関係者が多く含まれていた。
また、妻ローラとフィリップ・ドリスコルの不適切な関係を疑う夫のレスター・ビットンも、容疑者の一人であった。
ロンドン塔の副長官メイスン将軍の秘書で、ウィリアム・ビットン卿の娘シーラ・ビットンの婚約者でもあるロバート・ダルライは、当初、フィリップ・ドリスコルとロンドン塔で会う約束をしていたが、当日、フィリップ・ドリスコルの名を語った電話によって、タヴィストック荘に呼び出されており、ロンドン塔を不在にしていたことが判った。

ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」に登場する「いかれ帽子屋」(その2)
Illustration by Sir John Tenniel and coloured by Diz Wallis

果たして、フィリップ・ドリスコルを殺害した犯人は誰で、その動機は?そして、「いかれ帽子屋(The Mad Hatter)」との間に、一体どのような繋がりがあるのだろうか?

ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」に登場する「いかれ帽子屋」(その3)
Illustration by Sir John Tenniel and coloured by Diz Wallis

米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)の作品には、特に密室を中心とした不可能犯罪をテーマにしたものが多いという特徴があるが、「帽子収集狂事件(The Mad Hatter Mystery)」では、密室を超える不可能犯罪トリックが使用されている。
明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家 / 怪奇・恐怖小説家 / アンソロジストである江戸川乱歩(1894年ー1965年)は、これを非常に高く評価して、カーの作品の中では、ベスト1に、また、黄金時代のミステリーベスト10の中では、第7位に推している。また、金田一耕助シリーズ等で著名な日本の推理作家である横溝正史(1902年ー1981年)も、「黒死荘の殺人(The Plague Court Murders→カーター・ディクスン名義)」等と共に、「帽子収集狂事件」をベスト3の一作として評している。

ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」に登場する「いかれ帽子屋」(その4)
Illustration by Sir John Tenniel and coloured by Diz Wallis

「いかれ帽子屋(mad hatter)」と言うと、英国の数学者、論理学者、写真家、作家で詩人でもあったルイス・キャロル(Lewis Carroll:1832年ー1898年→ちなみに、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson))作「不思議の国のアリス(Alice’s Adventures in Wonderland)」(1865年)に登場するキャラクターに由来すると思われがちであるが、英語には古くから「as mad as hatter」という慣用句が存在しており、これはフランス語の慣用句である「fou comme un chapelier」が英語に転じたものである。昔、フェルト帽を作る際に、帽子屋の職人は硝酸第一水銀を使用しており、この硝酸第一水銀が原因で、彼らの多くが水銀中毒に罹ったため、「帽子屋のように狂っている」という慣用句が生まれた、とのこと。

2018年4月29日日曜日

ジョン・ディクスン・カー作「帽子収集狂事件」(The Mad Hatter Mystery by John Dickson Carr)−その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「帽子収集狂事件」の表紙−
カバーデザイン:本山 木犀氏
カバーイラスト: 榊原 一樹氏

ロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)によって、殺人事件が発生する舞台として使用されている。それが、1933年に英国のヘイミッシュ・ハミルトン社(Hamish Hamilton)から、また、米国のハーパー&ブラザーズ社(Harper & Brothers)から刊行された「帽子収集狂事件(The Mad Hatter Mystery)」である。
なお、「帽子収集狂事件」は、ジョン・ディクスン・カー名義の長編第7作目で、探偵役のギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場する作品としては、第2作目に該る。

ジョン・ディクスン・カー名義の長編第1作目から第5作目までは、パリの予審判事のアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)が探偵役を務め、第6作目の「魔女の隠れ家(Hag’s Nook)」で、ギディオン・フェル博士が初登場する。
なお、ジョン・ディクスン・カーは、カーター・ディクスン(Carter Dickson)というペンネームでも推理小説を執筆しており、カーター・ディクスン名義の作品では、ヘンリー・メルヴェール卿(Sir Henry Merrivale)が探偵役として活躍している。
ちなみに、ギディオン・フェル博士は、ブラウン神父(Father Brown)シリーズで有名な英国の作家 / 批評家 / 詩人 / 随筆家(推理作家としても有名)であるギルバート・キース・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton:1874年ー1936年)が、また、ヘンリー・メルヴェール卿は、英国の政治家 / 軍人 / 作家であるサー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill:1894年ー1965年→2017年8月6日付ブログで紹介済)がモデルと言われている。

創元推理文庫「帽子収集狂事件」の旧訳版の表紙–
殺人事件の舞台となるロンドン塔の地図(赤色の部分)、
ロンドン塔内で飼育されているワタリガラス(Raven)、そして、
「いかれ帽子屋」によって盗まれた帽子が
うまい具合にアレンジされている

「帽子収集狂事件」の冒頭、1932年3月、霧深いロンドンにおいて、」「いかれ帽子屋(The Mad Hatter)」による謎の連続帽子盗難事件が世間の話題を呼んでいるところから始まる。巡査の頭からヘルメットが盗まれて、ニュースコットランドヤード(New Scotland Yard)前の街灯に載せられ、また、証券取引所のメンバーの頭からシルクハットがひったくられ、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)中心に据えられたネルソン記念柱(Nelson’s Column)を囲むライオン像の頭上にかぶせられた。そして、法廷弁護士が法廷でかぶるカツラがレスタースクエア(Leicester Square)の馬車待合所に寄せられた馬車の馬に載っていたりと、「いかれ帽子屋」による被害は、全部で7件にものぼっていた。「いかれ帽子屋」による連続帽子盗難事件を新聞記事として報道するフリーランスの記者であるフィリップ・ドリスコル(Philip Driscoll)も、「いかれ帽子屋」と同様に、世間の注目を集めていた。

その最中、フィリップ・ドリスコルの伯父に該る引退した政治家で、古書収集家でもあるウィリアム・ビットン卿(Sir William Bitton)から、スコットランドヤード犯罪捜査部のデイヴィッド・F・ハドリー主任警部を介して、ギディオン・フェル博士(と米国人の青年タッド・ランポール)は、ある相談を受ける。
米国の小説家 / 詩人 / 評論家であるエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1849年 → 2017年1月28日付ブログで紹介済)が生前住んでいたフィラデルフィア(Philadelphia)の住居において、ウィリアム・ビットン卿が発見したポーの未発表原稿が、何者かによって彼の自宅から盗まれたと言うのだ。また、ウィリアム・ビットン卿は、この3日間の間に、二度も「いかれ帽子屋」によって帽子をひったくられるという被害を蒙っていたのである。

ウィリアム・ビットン卿からの依頼を受けて、ギディオン・フェル博士が盗まれたポーの未発表原稿の捜査に取り掛かろうとしていた矢先に、ロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日、4月15日および4月22日付ブログで紹介済)の逆賊門において他殺死体が発見されたという連絡が入る。驚くことに、その他殺死体はフィリップ・ドリスコルで、彼の頭には、先日「いかれ帽子屋」にひったくられたウィリアム・ビットン卿の帽子がかぶせられているという非常に奇妙な状況であった。

2018年4月28日土曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)ーその5

テイト・ブリテン美術館の北西の角に建つ
ジョン・エヴァレット・ミレーのブロンズ像

初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年)が1896年に他界すると、ミレーを寵愛していたハノーヴァー朝第6代のヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年-1901年→2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の王太子(Prince of Wales)で、後にザクセン=コーブルク&ゴータ朝の初代国王となるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)の仲介により、ミレーのブロンズ像制作が、英国の彫刻家であるトマス・ブロック(Thomas Brock:1847年ー1922年)に発注された。

ジョン・エヴァレット・ミレーのブロンズ像制作を仲介した
サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(Saxe-Coburg and Gotha)の
初代国王となるエドワード7世の王太子時を
店名にしたパブ「プリンス・エドワード(The Pribce Edward)」

トマス・ブロックが制作したミレーのブロンズ像は、1905年にナショナル・オブ・ブリティッシュ・アート(British Gallery of British Artー現在のテイト・ブリテン美術館(Tate Britain)→2018年2月18日 付ブログで紹介済)の東庭に設置された。

エドワード7世の王太子時を店名にしたパブ「プリンス・エドワード」は、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベイズウォーター地区(Bayswater)内の
プリンシズスクエア(Prince's Square)に面して建っている

1964年から1979年にかけてテイト・ブリテン美術館の館長を務めたサー・ノーマン・リード(Sir Norman Reid:1915年ー2007年)が、何故か、このミレー像を快く思わず、フランスの彫刻家であるフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(Francois-Auguste-Rene Rodin:1840年ー1917年)制作の「洗礼者ヨハネ(John the Baptist)」像に入れ替えようとしたり、それが認められないと、ミレー像自体を撤去しようとしたりした。ミレー像を管理する英国政府機関である The Ministry of Works は、ノーマン・リード館長の試みを一切認めなかった。

テイト・ブリテン美術館の東庭から建物を見上げたところ

その後、ミレー像の管理は、The Ministry of Works からイングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)へ、そして、テイト・ブリテン美術館へと引き継がれた。

ミレー像は、2000年にテイト・ブリテン美術館の東庭から建物の北西の角、マントンロード(Manton Road)に面した入口近くに移設され、美術館を訪れる人達をで迎えている。