2018年4月28日土曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)ーその5

テイト美術館の北西の角に建つ
ジョン・エヴァレット・ミレーのブロンズ像

初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年)が1896年に他界すると、ミレーを寵愛していたハノーヴァー朝第6代のヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年-1901年→2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の王太子(Prince of Wales)で、後にサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王となるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)の仲介により、ミレーのブロンズ像制作が、英国の彫刻家であるトマス・ブロック(Thomas Brock:1847年ー1922年)に発注された。

ジョン・エヴァレット・ミレーのブロンズ像制作を仲介した
サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王となるエドワード7世の王太子時を
店名にしたパブ「プリンス・エドワード(The Pribce Edward)」

トマス・ブロックが制作したミレーのブロンズ像は、1905年にナショナル・オブ・ブリティッシュ・アート(British Gallery of British Artー現在のテイト美術館(Tate Britain)→2018年2月18日 付ブログで紹介済)の東庭に設置された。

エドワード7世の王太子時を店名にしたパブ「プリンス・エドワード」は、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベイズウォーター地区(Bayswater)内の
プリンシズスクエア(Prince's Square)に面して建っている

1964年から1979年にかけてテイト美術館の館長を務めたサー・ノーマン・リード(Sir Norman Reid:1915年ー2007年)が、何故か、このミレー像を快く思わず、フランスの彫刻家であるフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(Francois-Auguste-Rene Rodin:1840年ー1917年)制作の「洗礼者ヨハネ(John the Baptist)」像に入れ替えようとしたり、それが認められないと、ミレー像自体を撤去しようとしたりした。ミレー像を管理する英国政府機関である The Ministry of Works は、ノーマン・リード館長の試みを一切認めなかった。

テイト美術館の東庭から建物を見上げたところ

その後、ミレー像の管理は、The Ministry of Works からイングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)へ、そして、テイト美術館へと引き継がれた。

ミレー像は、2000年にテイト美術館の東庭から建物の北西の角、マントンロード(Manton Road)に面した入口近くに移設され、美術館を訪れる人達をで迎えている。

0 件のコメント:

コメントを投稿