2016年11月20日日曜日

ロンドン カールトンハウステラス8番地(8 Carlton House Terrace)

カールトンハウステラス8番地の建物全景

アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。
「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。

「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。


夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...
全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。


容疑者は以下の3名。
一人目は、アレン夫人の家に同居していたミス・ジェーン・プレンダーリース(Miss Jane Plenderleith)。事件発生当時、彼女は遠く離れた田舎に居たことが判っているが、何故か、アレン夫人の家の階段の下にある戸棚の中を、ポワロやジャップ主任警部に見せたがらない態度をとる。実際、戸棚の中にあったのは、ゴルフクラブ、傘と小型のスーツケースだけだった。
二人目は、アレン夫人と婚約していた今売り出し中の下院議員チャールズ・レイヴァートンーウェスト(Charles Laverton-West)。事件発生当時における彼のアリバイはハッキリしていない。
三人目は、アレン夫人の知人ユースタス少佐(Major Eustace)。事件発生当時、彼はアレン夫人の家から出て来るところを目撃されている上、アレン夫人から多額の現金を強請っていたようである。
果たして、アレン夫人を射殺した真犯人は誰なのか?

カールトンハウステラス8番地の建物入口―
TV版のポワロシリーズでは、ポワロとジャップ主任警部が
ここを事務所とする下院議員チャールズ・レイヴァートンーウェストを訪ねる

英国のTV会社 ITV1 で放映された「Agatha Christie's Poirot」シリーズの「厩舎街の殺人」(1989年)の回では、ポワロとジャップ主任警部が下院議員チャールズ・レイヴァートンーウェストの事務所を訪ねて、彼にアレン夫人が死亡したことを告げるが、その際、カールトンハウス8番地(8 Carlton House Terrace)の建物が撮影に使用されている。


カールトンハウステラス8番地は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mallー北側)とチャリングクロス交差点(Charing Cross)からバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)へ向かって西に延びるザ・マル通り(The Mallー南側)に挟まれたエリアに位置している。
カールトンハウステラス(Carlton House Terrace)自体については、2015年10月24日付ブログで御参照いただきたい。
カールトンハウステラス8番地の建物は、カールトンハウステラスに沿って建つテラス式ハウスのうち、西棟の東から2番目に該り、パル・マル通りからリージェントストリート(Regent Street)が始まって北上するところにあるウォーターループレイス(Waterloo Place)に近い。

カールトンハウステラス8番地から見える景色―
奥に見える建物は「アセニアムクラブ(Athenaeum Club)」で、
シャーロック・ホームズシリーズの作者である
サー・アーサー・コナン・ドイルも会員であった

カールトンハウステラス8番地の建物は、以前、ドイツ大使館が使用していたが、現在、「王立協会(Royal Society)」が入居している。
「王立協会」の正式名は「The President, Council, and Fellows of the Royal Society of London for Improving Natural Knowledge」で、現存する最も古い科学学会で、英国王チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)の勅許を得て、1660年11月に設立されている。


アガサ・クリスティーの原作では、ピストルの弾丸が頭の左側から入っているにもかかわらず、アレン夫人はピストルを右手に握って死亡していたため、自殺ではなく、他殺ではないかと疑われた。一方。TV版のポワロシリーズでは、アレン夫人はピストルを左手に握って死亡しており、ピストルの弾丸が頭の左側から入っているので、死亡状況としては、他殺を疑う要因は一見ない。ストーリー的には、ポワロとジャップ主任警部の二人は、アレン夫人が実際に右利きだったのか、それとも左利きだったのかを調査することで、話が進んでいく。

2016年11月19日土曜日

ロンドン リージェンツパーク(Regent's Park)


アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。



「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。



夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...
全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。



「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。



英国のTV会社 ITV1 で放映された「Agatha Christie's Poirot」シリーズの「厩舎街の殺人」(1989年)の回では、物語はロンドンの夜空に打ち上げられるガイ・フォークス ナイトの花火から始まる。このシーンはチェスターゲート通り(Chester Gate)で撮影されており、花火はチェスターゲート通りの西側にあるリージェンツパーク(Regent's Park)から打ち上げられているようである。



リージェンツパークはロンドン市内にある王立公園(Royal Park)の一つで、ロンドンの北西部に位置しており、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)とロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)に跨がっている。


リージェンツパーク内の南の方には、公園の核となるクイーン・メアリーズ・ガーデンズ(Queen Mary's Gardens)と呼ばれる薔薇園が位置しており、この薔薇園の外側を周回する内周道路(Inner Circle)と公園の外側を周回する外周道路(Outer Circle)の二つがあり、内周道路、外周道路とこれらを繫ぐ道路のみ車の通行が可能であるが、それら以外は全て歩行者専用となっている。



リージェンツパーク内には、クイーン・メアリーズ・ガーデンズ以外にも、英国式庭園やイタリア式庭園等の庭園、野外劇場(Open Air Theatre → 夏になると、シェイクスピアの演劇等が上演される)、サギや水鳥の繁殖地となる湖(→夏にはボート遊びが可能)、スポーツ施設(テニスコート等)、リージェンツ運河(Canal Regent'sーカムデンロック(Camden Rock)とリトルヴェニス(Little Venice)を水上バスが繫いでいる)、学校(ロンドン・リージェンツ大学(Regent's University London)等)やロンドン動物園(London Zoo)等があり、ロンドン市民の憩いの場になっている。



現在、リージェンツパークがある土地は、元々、バーキング修道院(Barking Abbey)が所有していた。
テューダー朝第2代イングランド王ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行った。その際、キャサリン・オブ・アラゴンと離婚したヘンリー8世が再婚した(2番目の)王妃が、後のテューダー朝第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)を生むアン・ブーリン(Anne Boleyn:1507年ー1536年)である。ヘンリー8世は宗教改革(Reformation)を押し進め、イングランド、ウェールズおよびアイルランド内にありながら、ローマのカトリック教会の支配下にあった修道院について、解散令(Dissolution of the Monasteries)に基づき、1536年(小修道院)と1539年(大修道院)に解体してしまう。これにより、バーキング修道院が所有していたリージェンツパークがある土地は、英国王室の所有に帰属する。
リージェンツパークがある土地は「マリルボーンパーク(Marylebone Park)」と呼ばれ、英国王室によって狩猟場として使用され、女王エリザベス1世や国王ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)が各国の大使達を招いて、狩りを楽しんだと言われている。



その後、清教徒革命(Puritan Revolution:1641年ー1649年)や王政復古(Restoration:1660年)等を経て、所有者や使用者が激しく変遷するが、ポートランド公爵が保持するリース契約が1811年に期限を迎えると、当時摂政(Regent)だった後の国王ジョージ4世(George IV:1762年ー1830年 在位期間:1820年ー1830年)が、英国の建築家でかつ都市計画家でもあったジョン・ナッシュ(John Nash:1752年ー1835年)を彼の顧問に招き入れ、マリルボーンパークを含むロンドン北部の整備計画に取り掛った。
ジョン・ナッシュの他に、ロンドンの文教区ブルームズベリー地区(Bloomsbury)の整備に尽力したジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)や彼の息子であるデシマス・バートン(Decimus Buton:1800年ー1881年)等も計画に加わり、1818年に整備計画が実際に実行段階へ移行する。
27年後の1845年に公園は完成し、ジョージ4世の当時のタイトルである摂政の名を冠して、「リージェンツパーク」と呼ばれるようになった。当初は、週に2日間だけ一般に公開されていたそうである。

2016年11月13日日曜日

シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 陰謀の糸を紡ぐ者(The further adventures of Sherlock Holmes / The Web Weaver)


シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 陰謀の糸を紡ぐ者
(The further adventures of Sherlock Holmes /
The Web Weaver)
著者 Sam Siciliano 2012年
出版 Titan Books        2012年

本作品は、1994年に発表された「オペラ座の天使(The Angel of the Opera)」(2015年1月24日付ブログで紹介済)の続編に該り、シャーロック・ホームズの従兄弟であるヘンリー・ヴェルニール医師(Dr. Henry Vernier)が、前作と同様に、ホームズの相棒を務めている。本来の事件記録者であるジョン・H・ワトスンは今回も登場しない。プロローグにおいて、ワトスンとの関係は全く良くなかったと、ヘンリーは認めている。また、前作には登場しなかったが、ヘンリーの妻で医師のミッシェル・ドゥデ・ヴェルニール(Dr. Michelle Doudet Vernier)が本作品から登場する。

ある年の10月初旬で、雨模様の午後、ヘンリーはベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のホームズの元を訪れる。その際、ホームズとヘンリーの間で交わされる会話の中で、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載されたワトスン作「最後の事件(The Final Problem)」を話題にしている。<「最後の事件」がストランドマガジンに掲載されたのは1893年12月なので、推測するに、本作品の事件発生年月は1894年10月ではないかと思われる。ただ、「ストランドマガジン」への掲載から1年近くが経過しているにもかかわらず、ホームズとヘンリーがワトスンの作品を話題にしているのが、物語の本筋とは全く関係ないものの、やや奇異に感じられて仕方がない。ホームズが登場する物語を執筆する上で、著者はサー・アーサー・コナン・ドイルが発表した作品の内容をかなり詳細に調べたに違いないと思うが、日付の整合性があまり合っていない。>

そんなところへ、ドナルド・ホイールライト(Donald Wheelwright)がハドスン夫人に案内されて、事件の相談にやって来る。自分と妻ヴァイオレット(Violet Wheelwright)の身に危険が迫っていると、彼はホームズとヘンリーの二人に告げる。それは、2年前の1月にハリントン卿(Lord Harrington)の邸宅で舞踏会が催された時のことである。その舞踏会の会場に、突如、女ジプシーがどこからともなく現れて、招待客達に恐ろしい呪いをかけたのだ。ドナルド・ホイールライトによると、彼と妻ヴァイオレットもその舞踏会に居合わせたと言う。ホームズは、米国の作家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の「赤き死(Red Death)」に似た話だと呟く。そして、ドナルド・ホイールライトは、ある朝、自宅の図書室において、妻ヴァイオレットが死を予告するメモを発見したと、ホームズに告げる。妻ヴァイオレットを命の危険から守ることをホームズに依頼すると、ドナルド・ホイールライトは急いで帰って行く。ホームズはヘンリーに対して、ドナルド・ホイールライトの服装の乱れを指摘する。「ここ(ベイカーストリート221B)を訪れる直前まで、愛人のところに居たに違いない。」と...

ちょうど同じ頃、ヘンリーの妻で医師のミッシェルは診療にあたっており、ヴァイオレットはボランティア活動の一環でミッシェルを手伝っていた。診療が終わった後、ヴァイオレットに誘われて、ミッシェルは彼女と二人でシンプソンズ(Simpspn'sーローストビーフで有名)へ向かう。そして、そこで彼女達は先に食事をしていたホームズとヘンリーに出会う。ホームズとヴァイオレットは運命的な出会いをするのである。

シャーロック・ホームズとヴァイオレット・ホイールライトが
運命的な出会いをするレストラン「シンプソンズ」
(2014年11月23日付ブログで紹介済)

女ジプシーの呪い通り、舞踏会を催したハリントン卿がカミソリで自分の喉を掻き切って、謎の自殺を遂げる。また、ホイールライト夫妻の近所に住むジョージ・ハーバート(George Herbert)とエミリー・ハーバート(Emily Herbert)の夫妻が所有する高価なネックレスが偽物に掏り替えられるという事件も発生する。これらは、2年前にハリントン卿の邸宅で催された舞踏会に突然姿を見せた女ジプシーの呪いによるものなのか?ホームズは、ヴァイオレットへの殺害予告だけでなく、謎の自殺や盗難等も捜査することになる。<女ジプシーが呪いをかけたのが、2-3ヶ月程度前の話であれば、呪いと事件を関連づけることは理解できるものの、2年も前の話であり、両方を関連づけるには無理がある。ここでも、著者の神経が細部まで行き渡っていない。>

そして、ホームズ、ヘンリーとミシェルが招待されたホイールライト夫妻との夕食会の終盤、ヴァイオレットが大きなチョコレートケーキを切り分けるため、ナイフをケーキに入れた時、更に事件が発生した。ナイフの切り口かた、巨大な黒い蜘蛛が這い出て来たのである。巨大な蜘蛛の後から、無数の小さな蜘蛛も続いて出て来た。果たして、これらの事件の背後で、陰謀の糸を紡いでいる人物は誰なのか?


読後の私的評価(満点=5.0)

1)事件や背景の設定について ☆☆半(2.5)
本作品のメインテーマは、謎の女ジプシーに呪いをかけられたヴァイオレット・ホイールライトの命を救うことで、そのテーマをハリントン卿の謎の自殺やハーバート夫妻が所有する高価なネックレスの盗難等が取り巻いている。物語の終盤、これらの事件は一つに繋がるものの、残念ながら、事件自体の魅力に乏しい。

2)物語の展開について ☆半(1.5)
ヴァイオレット・ホイールライトへの殺害予告や殺害未遂等が発生するものの、物語が遅々として進まない。また、ホームズとヴァイオレットの間が恋愛めいた関係になっていき、そのために、ホームズが事件解決に手をこまねいている感じが強く、そういった話が前面に押し出されていて、残念である。

3)ホームズ/ヘンリー/ミッシェルの活躍について ☆☆(2.0)
前作の「オペラ座の天使」と同様に、ワトスンが描くホームズ像は偽りで、本当のホームズ像(人間味にあふれるホームズ像)を描くことを、著者は目的にしているようである。この手法は「オペラ座の天使」の際は成功したように見えるが、本作品の場合、ホームズは事件の真相にある程度肉迫しながら、最後の部分を明らかにできないまま、物語がやや延々と続き、あまり印象が良くない。ある意味、恋愛感情により、ホームズの推理能力が鈍っているように思えてしまう。

4)総合評価 ☆☆(2.0)
本作品の性格上(ヴァイオレット・ホイールライトの命を救う目的のため)、ホームズとヴァイオレットの間の恋愛めいた感情を描いて、物語を盛り上げたくなる著者の気持ちは分らない訳ではないが、物語が全く進まない。更に、ホームズの推理能力に疑問符がつくような展開は、逆に、悪影響しか生まない。本作品の場合、400ページ近い長編になっているが、途中から物語がずーっと停滞しており、正直、長過ぎる印象を否めない。

2016年11月12日土曜日

ロンドン チェスターゲート通り(Chester Gate)

チェスターゲート通りがチェスターテラスと交差した角から
チェスターゲート通りの東側を望む。

アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。
「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。


夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...
全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。

チェスターゲート通りから
リージェンツパークを周回するアウターサークルを見たところ

「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。


英国のTV会社 ITV1 で放映された「Agatha Christie's Poirot」シリーズの「厩舎街の殺人」(1989年)の回では、物語はロンドンの夜空に打ち上げられるガイ・フォークス ナイトの花火から始まる。このシーンは、リージェンツパーク(Regent's Park)の近くにあるチェスターゲート通り(Chester Gate)で撮影されている。
チェスターゲート通りは、リージェンツパークの東側にあり、リージェンツパークを周回するアウターサークル(Outer Circleー外周道路)とその外側のアルバニーストリート(Albany Street)を東西に結ぶ通りで、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のリージェンツパーク地区(Regent's Park)内に位置している。

チェスターゲート通りから
北へ向かって、チェスターテラスを見たところ

チェスターゲート通りの南側から北へ向かい、約300mにわたって、「チェスターテラス(Chester Terrace)」と呼ばれるスタッコ塗りの白いテラス式ハウスが42棟並んでいる。「チェスターテラス」は、リージェントストリート(Regent Street)やリージェンツパーク等の開発を行った建築家で、かつ都市計画家のジョン・ナッシュ(John Nash:1752年ー1835年)により設計され、ブルームズベリー地区(Bloomsbury)の整備に尽力したジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)が建設した。
チェスターゲート通りやチェスターテラスの「チェスター」は、英国王ジョージ4世(George IV:1762年ー1830年 在位期間:1820年ー1830年)が即位前に有していた爵位の「チェスター伯爵(Earl of Chester)」に因んでいる。

セントジェイムズスクエア(St. James's Square)の
プライベートガーデン内に設置されているジョン・ナッシュ像

アガサ・クリスティーの原作において、物語の冒頭、ポワロと一緒にバーズリーガーデンミューズを歩くのは、スコットランドヤードのジャップ主任警部であるが、TV版では、原作には登場しないヘイスティングス大尉がポワロやジャップ主任警部と一緒に居て、原作ではジャップ主任警部が言ったセリフ「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」を、ヘイスティングス大尉が変わりに発している。

2016年11月6日日曜日

スタニスラス=アンドレ・ステーマン作「殺人者は21番地に住む」('L'Assasin habite au 21' per Stanislas-Andre Steeman)

東京創元社の創元推理文庫から出版されている
スタニスラス=アンドレ・ステーマン作「殺人者は21番地に住む」―
カバー画は、安田忠幸氏によるもの

193X年11月10日の午後11時、霧深いロンドンのウェストボーングリーン地区(Westbourne Green)内にあるタヴィストックロード(Tavistock Road)で、その事件は始まった。


タヴィストックロードにおいて、バーマン氏が何者かによって殺害された以降、ロンドンの深い霧の中で次々に発生する連続殺人。しかも、犯行現場には、「スミス氏」と書かれた名刺が必ず残されていたのである。第二の「切り裂きジャック(Jack the Ripper)事件」(1888年8月31日ー1888年11月9日)と世間が大騒ぎする中、スコットランドヤードとしては決して手をこまねいている訳ではなかった。当連続殺人事件を担当するストリックランド警視は様々な手立てを講じるものの、残念ながら、スミス氏を逮捕するには至っていなかった。スミス氏の場合、切り裂きジャック事件とは異なり、被害者の死体に対して残酷な損傷を加えることはなく、ただひたすら金銭欲だけに駆り立てられた犯行ではあったが、ロンドン市内は恐怖のどん底に陥ったのである。そして、スコットランドヤードによる捜査に大きな進展が見られないまま、7人目の犠牲者を数えるに至った。

スミス氏による最初の殺人が発生したタヴィストックロードを
東端から西側へ向かって見たところ

年が明けた193X年1月28日の午前5時、ヘンリー・ビーチャム巡査は、ロンドンのショーディッチ地区(Shoreditch)のクェーカーストリート(Quaker Street)を巡回していた。そこで彼は椰子の木に登るように街灯によじ登っている酔っ払いを拘束する。酔っ払いは前科者のトビー・マーシュで、ヘンリー・ビーチャム巡査にスコットランドヤードに至急連絡をとるよう、依頼する。トビー・マーシュは、「スミス氏の住所を知っている。」と言うのだ。

タヴィストックロードの東端の角に建つ
パブ「The Metropolitan」―
パブの右側には、地下鉄ウェストボーンパーク駅
(Westbourne Park Tube Station)がある

スコットランドヤードからストリックランド警視が駆け付ける。トビー・マーシュ曰く、一昨日、サットンストリートでスミス氏が犯行を犯した際、犯行現場に偶然居合わせて、深い霧の中、スミス氏の後をつけたと言う。そして、スミス氏はラッセルスクエア21番地(21 Russell Square)の家に入って行ったのである。トビー・マーシュの説明に色めき立つストリックランド警視達であったが、トビー・マーシュが突然げらげら笑い出したため、ストリックランド警視は不気味な不安に襲われた。そして、トビー・マーシュは言い放つのであった。「ラッセルスクエア21番地は、素人下宿なのさ。」と...

スミス氏が住む下宿ヴィクトリア荘として設定されている
ラッセルスクエア21番地

トビー・マーシュが言う通り、ラッセルスクエア21番地は、ヴァレリー・ホブソン夫人が営むヴィクトリア荘という名の下宿であった。ヴィクトリア荘には、

(1)アーネスト・クラブトリ(完全に妻の尻に敷かれている内気そうな小男)
(2)イーニッド・クラブトリ(アーネスト・クラブトリの妻ーずんぐりした体型で、元気がいい)
(3)アンドレエフ氏(自信たっぷりの顔つきで、目が鋭い痩せた長身のロシア人)
(4)ハイド医師(無口で人嫌いの性格で、もう医師をしていない)
(5)フェアチャイルド少佐(インド派遣軍の旧将校)
(6)コリンズ氏(ラジオ器具のセールスマン)
(7)ララ=プール教授(インド人手品師)
(8)ジュリー氏(コレージュ・ド・フランスのエジプト学教授をしているフランス人)
(9)ミス・ポーター(IBC インシュラ放送会社の宣伝部に勤める現代的な若い女性)
(10)ミス・ホーランド(子供向けの新聞にお伽噺を書いて生計を立てている中年女性)

が下宿人として住んでいた。犯行の内容的には、犯人は男性である可能性が高いが、先入観は禁物で、女性の可能性も捨て切れなかった。ストリックランド警視はスコットランドヤード内に指示を出して、警官達にラッセルスクエア21番地のヴィクトリア荘を包囲させ、下宿人達を尾行させるが、何故か、スミス氏の犯行が繰り返されるのであった。果たして、スミス氏は上記の下宿人のうちの誰なのか?

ラッセルスクエア21番地の入口全景

連続殺人犯のスミス氏が住んでいる素人下宿のヴィクトリア荘が建つラッセルスクエア21番地は実在の場所で、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあり、ラッセルスクエア(Russell Square)を囲む建物の一つである。ラッセルスクエア近辺には、大英博物館(British Museum)やロンドン大学(University of London)等がある。
それらに加え、ロンドンへ出て来て諮問探偵を始めて間もないシャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンと一緒にベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)で共同生活を始める前に住んでいたモンタギューストリート(Montague Street)は、ラッセルスクエアの南西の角から始まり、大英博物館に沿って南へ延びる通りである。
なお、ラッセルスクエア21番地の建物には、現在、ロンドン大学の施設(The School of Oriental and African Studies)が入っている。

ラッセルスクエア21番地には、現在、
ロンドン大学の施設(SOAS)が使用している

本作品「殺人者は21番地に住む(L'Assasin habite au 21)」は、ベルギーの小説家であるスタニスラス=アンドレ・ステーマン(Stanislas-Andre Steeman:1908年ー1970年)によって、1939年に発表された。
フランドル人とスラブ人の血を半々に受け継いだ彼は、1908年にベルギーのリエージュに出生した。
1924年に彼はブリュッセルの「ラ・ナシオン・ベルジュ(La Nation belge)」誌に記者として入社して、同僚のジャーナリストであるサンテール(Sintair)と共作で探偵小説を執筆する。
1929年からは単独で執筆を始め、1931年に「六死人(Six hommes mortsー2016年10月8日付ブログで紹介済)」でフランス冒険小説大賞を受賞して、一躍名声を手に入れる。冒険小説大賞とは、フランスの歴史あるミステリー賞で、パリのシャンゼリゼ書店が主催していたものである。「六死人」は、アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」(1939年)に先行する作品として、後世の評判を呼んでいる。


1939年に発表された本作品は、物語の終盤、二度にわたって読者への挑戦が行われるという本格編である。本作品は、1942年にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの第1回監督作品として同題で映画化され、公開されている。
スタニスラス=アンドレ・ステーマンは、1945年からは南仏に居を構え、癌のため、1970年にこの世を去っている。

2016年11月5日土曜日

ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)

「火薬陰謀事件」の主なメンバー達

アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。
「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)内にある
ジュビリーライン(Jubilee Line)のプラットフォームの壁に描かれている

夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...


全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。

ロンドンの秋深まる夜空を明るく彩るガイ・フォークス ナイトの打ち上げ花火


「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。

実行役のガイ・フォークス(左側)と
首謀者のロバート・ケイツビー(Robert Catesby)

ガイ・フォークス(Guy Fawkes:1570年ー1606年)は、1606年に発覚した「火薬陰謀事件(Gunpowder Plot)」と呼ばれる政府転覆未遂事件の実行役として知られる人物である。彼は、グイド・フォークス(Guido Fawkes)という別名でも知られている。
事件の首謀者はロバート・ケイツビー(Robert Catesby:1573年ー1605年)で、英国国教会(Church of England)優遇政策の下、弾圧されていたカトリック教徒の過激派によって計画され、イングランド議会の上院議場の地下に仕掛けた大量の火薬を用いて、1605年11月5日の上院開院式に出席する英国王ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)達を爆殺しようと企てたが、実行直前に計画は露見し、失敗に終わった。



この陰謀が発覚した11月5日をガイ・フォークス ナイトと呼び、毎年この日には「ガイ(guy)」と呼ばれるガイ・フォークスを模した人形を街中を引き回した後に篝火(かがりび)で焼く行事が、英国各地で行われるようになった。1650年代以降、篝火だけではなく、花火も打ち上げられるようになった。今では、人形の方は廃れてきたが、昼間からかんしゃく玉を爆発させて、陽が暮れると、篝火を焚く風習は残っている。ただし、主に都市部では、打ち上げ花火を楽しむ祭事へと変わってきている。また、英語で「男」や「奴」を意味する「guy」は、ガイ・フォークスに因んでいると言われている。