2025年12月22日月曜日

ロンドン セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その4

中央辺りから見た大広間 -
再奥の壁には、ヘンリー8世の肖像画が掲げられている。
<筆者撮影>


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を下から見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


この吹き抜け階段を上った先には、スコットランド出身の建築家であるジェイムズ・ギブス(James Gibbs:1682年ー1754年)が手掛けたバロック様式の大広間(The Great Hall)が存在している。


大広間の再奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画のアップ
<筆者撮影>


大広間の最奥の壁には、仁王立姿のテューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)の肖像画が掲げられている。


1702年に完成したヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)-
なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。
<筆者撮影>


1123年に設立されたセントバーソロミュー修道院(病院)は、ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭う中、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥る。

そこで、セントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになり、1547年1月、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名された。

ヘンリー8世のお陰で、セントバーソロミュー修道院は再設立できた訳で、この経緯により、ヘンリー8世の肖像画が掲げられているのである。


大広間の右側の壁に掲げられている
聖人バーソロミューの絵(その1)
<筆者撮影>


右側中央の壁には、イエス・キリストの使徒の一人である聖人セントバーソロミュー(St. Bartholomew)の絵が掲げられている。


大広間の右側の壁に掲げられている
聖人バーソロミューの絵(その2)
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)が、ローマ巡礼中に、重い病に倒れたが、彼の神への強い祈りが届いたかのように、奇跡的に病から回復。

その際、彼の夢の中に、聖人セントバーソロミューが現れ、ロンドンのスミスフィールド(Smithfield)に貧民や病人を助けるための修道院(病院)を建てるように告げたと伝えられている。

セントバーソロミュー病院博物館内にある
病院の歴史に関する説明資料 -
左側が 
セントバーソロミュー修道院(病院)を設立したラヒアで、
右側が彼の夢の中に現れた聖人セントバーソロミュー。
<筆者撮影>


この聖人セントバーソロミューのお告げに従って、イングランドに戻ったラヒアは、1123年、スミスフィールドの地にセントバーソロミュー修道院を設立した。

この経緯により、聖人セントバーソロミューの絵が掲げられているのである。


大広間の左側の窓に設置されているステンドグラス -
1546年12月27日に、ヘンリー8世がロンドン市長に対して、
セントバーソロミュー修道院(病院)の支援を約束する書状を手渡す場面が描かれている。
<筆者撮影>


左側中央の窓には、1546年12月27日に、ヘンリー8世がロンドン市長(Lord Mayor of London)に対して、セントバーソロミュー修道院(病院)の支援を約束する書状を手渡す場面を描くステンドグラスが設置されている。


大広間の左側の窓に設置されているステンドグラスのアップ 
<筆者撮影>

1546年12月27日に
ヘンリー8世とシティー・オブ・ロンドン共同体の間で交わされた
セントバーソロミュー修道院に関する合意書
ヘンリー8世がシティー・オブ・ロンドン共同体に対して
セントバーソロミュー修道院の支援を約束する書状) -
セントバーソロミュー病院博物館内に展示されている。
<筆者撮影>


なお、この書状は、セントバーソロミュー病院博物館(St. Bartholomew's Hospital Museum)内に展示されている。


大広間の天井(その1)


大広間の天井(その2)


この大広間は、セントバーソロミュー修道院(病院)の再建に助力した寄付者達を応接する場として使用された。

大広間を囲む四方の壁は、寄付者達の名前と金額が刻まれた木製のプレートで所狭しと埋め尽くされている。


ヘンリー8世の肖像画に相対する大広間の出入口側の壁には、
エドワード7世の肖像画が掲げられている。
<筆者撮影>

ヘンリー8世の肖像画に相対する大広間の出入口側の壁には、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王 / インド皇帝である。

エドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年 → 2025年5月10日 / 5月26日 / 5月31日 / 6月8日 / 6月15日付ブログで紹介済)の肖像画(英国王室所蔵品)が掲げられている。


エドワード7世の肖像画の右側には、
ヴィクトリア女王の胸像が置かれている。

<筆者撮影>


エドワード7世の肖像画の右側には、彼の母親で、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の胸像が、また、左側には、初代準男爵サー・シドニー・へドリー・ウォーターロウ(Sir Sydney Hedley Waterlow, 1st Baronet:1822年ー1906年)の胸像が置かれている。


エドワード7世の肖像画の左側には、
サー・シドニー・ウォーターロウの胸像が置かれている。

<筆者撮影>


初代準男爵サー・シドニー・へドリー・ウォーターロウは、慈善家(philanthropist)/ 自由党(Liberal Party)の政治家で、1872年から1873年にかけて、ロンドン市長も務めた。また、1872年に、ハイゲート地区(Higate)にある邸宅をセントバーソロミュー病院に寄付して、回復期患者達に使用させている。なお、その場所は、現在、彼の名前を冠したウォーターロウパーク(Waterlow Park)となっている。


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