2025年9月30日火曜日

ロンドン ヘイマーケット通り(Haymarket)- その1

ヘイマーケット通りの中間辺りから
ピカデリーサーカス方面(北側)を見たところ(その1)
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1936年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第7作目に該る「アラビアンナイトの殺人(The Arabian Nights Murders → 2025年8月30日付ブログで紹介済)」の場合、クリーヴランドロウ(Cleveland Row → 2025年9月5日付ブログで紹介済)沿いに建つウェイド博物館(Wade Museum - 大富豪であるジェフリー・ウェイドが10年程前に開設した私立博物館で、中近東の陳列品(Oriental Art)を展示する他、初期の英国製馬車で、素晴らしい逸品も保存)が、殺人事件の舞台となる。


東京創元社から創元推理文庫として出版された
ジョン・ディクスン・カー作「アラビアンナイトの殺人」の表紙
(カバー:山田 維史)


天下の奇書アラビアンナイトの構成にならって、スコットランドヤードのお歴々である(1)ヴァインストリート(Vine Street → 2025年9月19日付ブログで紹介済)署勤務のジョン・カラザーズ警部(Inspector John Carruthers - アイルランド人)、犯罪捜査部(CID)のデイヴィッド・ハドリー警視(Superintendent David Hadley / イングランド人)と(3)副総監であるハーバート・アームストロング卿(スコットランド人)が、三人三様の観察力と捜査法を駆使して、この事件を解説する。

彼らの話の聞き手は、南フランスで4ヶ月間の休暇を楽しんで、アデルフィテラス1番地(1 Adelphi Terrace → 2018年11月25日付ブログで紹介済)の自宅に戻ったばかりのギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)だった。


サヴォイプレイス(Savoy Place → 2017年1月29日付ブログで紹介済)から見上げた
アデルフィテラス
<筆者撮影>


アデルフィテラスにある
「アデルフィ(The Adelphi)」と呼ばれる新古典主義の集合住宅(テラスハウス)の記念碑
<筆者撮影>


ヴァインストリート署勤務のジョン・カラザーズ警部による陳述が続く。



私がホスキンズ(巡査部長)と出会ったのは、六月十四日金曜日の夜、十一時を十五分過ぎたときでした。(ヴァインストリート)署の仕事がたてこんでいましたので、私はそんなおそくでも居残っておりました。仕事がすんだわけではなかったのですが、腹ごしらえの必要がありましたので、私は一度、外へ出ました。パントン・ストリート(Panton Street → 2025年9月21日付ブログで紹介済)のかどに出ている屋台店で、コーヒーとサンドイッチをとって、それからあらためて、もう一度仕事にとりかかる考えだったのです。


ヘイマーケット通りの中間辺りにおいて、
西側から東側
を見たところ
<筆者撮影>


灯火の明るい町かどまでいって、ほっと一息いれるつもりで、ヘイ・マーケットのほうへ目をむけたときです。私はあやうく、ホスキンズとぶつかるところでした。あの男は、いかにも旧式なタイプの警察官でして、堂々とした体躯に、ナポレオン三世風の口ひげをピンとはね、いつも威厳を保つことを忘れないんです。ところがそのホスキンズが、いまは威厳どころか、すっかり平静を失って、完全にとり乱しているのでした。私としても、そんなホスキンズを見るのは初めてでした。


<宇野 利泰訳>


ヘイマーケット通りの中間辺りから
パル・マル通り方面(南側)を見たところ
<筆者撮影>


ヴァインストリート署勤務のジョン・カラザーズ警部が、腹ごしらのために、コーヒーとサンドイッチを売っている屋台店が出ていたパントンストリート(Panton Street)へと向かった際、ホスキンズ巡査部長と危うくぶつかりかけたヘイマーケット通り(Haymarket)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内の東端にある通りである。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ピカデリーサーカス周辺の地図を抜粋。


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から西へ向かう通りは、ヘイマーケット通りとパル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)の2つに分かれる。


ヘイマーケット通りの中間辺りから
ピカデリーサーカス方面(北側)を見たところ(その2)
<筆者撮影>


ヘイマーケット通りは北上して、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)へと至る。

一方、パル・マル通りは更に西進して、進行方向左手にセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)が見えたところで、セントジェイムズストリート(St. James’s Street → 2021年7月24日付ブログで紹介済)とクリーヴランドロウの2つに分かれる。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)の統治時から、ヘイマーケット通りは、ピカデリーサーカスとパル・マル通りを結ぶ通りとして、既に存在していた。

ヘイマーケット通りの「ヘイ(Hay:干し草)」が示すように、同通り沿いでは、主に家畜用の飼料や農産物等が売られていた。


イングランド銀行博物館(Bank of England Museum)のエントランスホールの
右側の壁に掛けられているメアリー2世の肖像画 -
ドイツ生まれの英国の肖像画家である初代男爵サー・ゴドフリー・ネラー
(Sir Godfrey Kneller, 1st Baronet:1646年ー1723年)による
作品だと考えられている。
<筆者撮影>


イングランド銀行博物館のエントランスホールの
左側の壁に掛けられているウィリアム3世の肖像画 -
メアリー2世の肖像画と同様に、
ドイツ生まれの英国の肖像画家である初代男爵サー・ゴドフリー・ネラーの
作品だと考えられている。
<筆者撮影>


1688年の名誉革命(Glorious Revolution)を経て、ステュアート朝の第5代国王に就いたメアリー2世(Mary II:1662年ー1694年 在位期間:1689年ー1694年)と夫のウィリアム3世(William III:1650年ー1702年 在位期間:1689年ー1702年)による共同統治時には、干し草や麦藁(straw)を乗せた馬車が数多く行き来し、当初は、馬車の往来は無料とされていたが、同通りに歩道が設けられた1692年からは、有料化された。 


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