2025年9月19日金曜日

ロンドン ヴァインストリート(Vine Street)

ヴァインストリートの西側入口から
東側の行き止まりを見たところ
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1936年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第7作目に該る「アラビアンナイトの殺人(The Arabian Nights Murders → 2025年8月30日付ブログで紹介済)」の場合、クリーヴランドロウ(Cleveland Row → 2025年9月5日付ブログで紹介済)沿いに建つウェイド博物館(Wade Museum - 大富豪であるジェフリー・ウェイドが10年程前に開設した私立博物館で、中近東の陳列品(Oriental Art)を展示する他、初期の英国製馬車で、素晴らしい逸品も保存)が、殺人事件の舞台となる。


東京創元社から創元推理文庫として出版された
ジョン・ディクスン・カー作「アラビアンナイトの殺人」の表紙
(カバー:山田 維史)


天下の奇書アラビアンナイトの構成にならって、スコットランドヤードのお歴々である(1)ヴァインストリート署勤務のジョン・カラザーズ警部(Inspector John Carruthers - アイルランド人)、犯罪捜査部(CID)のデイヴィッド・ハドリー警視(Superintendent David Hadley / イングランド人)と(3)副総監であるハーバート・アームストロング卿(スコットランド人)が、三人三様の観察力と捜査法を駆使して、この事件を解説する。

彼らの話の聞き手は、南フランスで4ヶ月間の休暇を楽しんで、アデルフィテラス1番地(1 Adelphi Terrace → 2018年11月25日付ブログで紹介済)の自宅に戻ったばかりのギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)だった。



まず最初に、ヴァインストリート署勤務のジョン・カラザーズ警部による陳述が始まる。


非常識の最初の現われは、ホスキンズ巡査部長の口から聞かされました。念のためにくりかえして起きますが、ホスキンズは現職の巡査部長ですから、いろいろととりあつかう事件も多いことでしょうが、気違いが塀の上ではねまわるなどという光景は、そうめったに出っくわすものではありますまい。だいたいあのヴァイン・ストリートという界隈は、酔っぱらいの多い地区で、ことに白ネクタイの連中が羽目をはずして騒ぎまわる晩などは、相当彼を手こずらせる事件も起きがちです。それにしても、両頬にまっ白いひげをはやしているのが相手とは、ホスキンズとしても珍しいことだったにちがいありません。

<宇野 利泰訳>


ヴァインストリート1番地(1 Vine Street)の建物入口 -
右側がヴァインストリートで、左側がスワローストリート。
<筆者撮影>


ヴァインストリート署勤務のジョン・カラザーズ警部による陳述の中に出てくるヴァインストリート(Vine Street)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)内にある通りである。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ピカデリーサーカス周辺の地図を抜粋。


ピカデリー通り(Piccadilly - ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ幹線道路 → 2025年7月31日付ブログで紹介済)とリージェントストリート(Regent Street - 地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とベイカールーライン、セントラルライン(Central Line)およびヴィクトリアライン(Victoria Line)の3線が乗り入れる地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)を南北に結ぶ幹線道路)を南北に結ぶスワローストリート(Swallow Street)と言う小道があり、ヴァインストリートの西側は、スワローストリートの中間あたりから始まり、東側は行き止まりとなる路地である。


ヴァインストリートからスワローストリートの南側を見たところ
<筆者撮影>


ヴァインストリートの場合、スワローストリート経由で、ピカデリー通りへと繋がるが、ピカデリープレイス(Piccadilly Place)と言う路地を使えば、ヴァインストリートからピカデリー通りへと直接出ることも可能。


ヴァインストリートからスワローストリートの北側を見たところ
<筆者撮影>


この通り沿いに、「The Vine(葡萄 / 葡萄の木)」と言う店名のパブが18世紀にあったため、それに因んで、ヴァインストリートと名付けられた。


ヴァインストリート(画面左奥へ延びる通り)、
スワローストリート(画面手前右側へ延びる通り)と
ピカデリープレイス(画面奥右側へ延びる通り)に囲まれた建物は、
取り壊された後、現在、建替え中。
<筆者撮影>


ジョン・ディクスン・カー作「アラビアンナイトの殺人」において述べられているとおり、18世から20世紀にかけて、ヴァインストリート沿いには、ヴァインストリート警察署(Vine Street Police Station)が存在しており、酔っぱらいの多い地区だったため、世界で最も多忙な警察署となった。


ヴァインストリート1番地(1 Vine Street)の建物を見上げたところ -
右側がヴァインストリートで、左側がスワローストリート。
<筆者撮影>


なお、第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry:1844年ー1900年)の三男で、作家 / 詩人 / 翻訳家のロード・アルフレッド・ブルース・ダグラス(Lord Alfred Bruce Douglas:1870年ー1945年)は、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者さー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)と同性愛の関係にあったため、ヴァインストリート警察署において逮捕されている。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


ヴァインストリートは、元々、もっと長い通りであったが、1816年から1819年にかけて、リージェントストリートが敷設され、リージェントストリート沿いに建物が建設されたことに伴い、行き止まりの短い路地になってしまった。


0 件のコメント:

コメントを投稿