2025年9月15日月曜日

クリストファー・ジョーンズ・ジュニア (Christopher Jones Jr.)

ロザーハイズ地区内に所在するセントメアリー教会に設置されている
クリストファー・ジョーンズ・ジュニア像
<St. Christopher Statue commemorating Christopher Jones>(その1)-
「Rotherhithe - History, art and the Mayflower」の冊子から抜粋。


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作が、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、43番目に発表された作品である「瀕死の探偵(The Dying Detective → 2025年5月5日 / 5月21日付ブログで紹介済)」に出てくるロザーハイズ地区(Rotherhithe → 2025年8月31日 / 9月6日付ブログで紹介済)は、ロンドンの特別区の一つであるサザーク区(London Borough of Southwark)内にある地区で、テムズ河(River Thames)の南岸にあり、テムズ河へ半島のように突き出している場所にある関係上、北側、東側と西側の三方はテムズ河に囲まれている。

以前、ロザーハイズ地区内にあったカンバーランド波止場(Cumberland Wharf)は、1620年に米国へ渡った「メイフラワー号(Mayflower)」が一番最初に出航した場所である。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1913年12月号に掲載された挿絵(その1) -
ジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズとの共同生活を解消してから、
2年が経過していた。
ベイカーストリート221B の家主であるハドスン夫人が、
ワトスンの家を訪ねて来る。ホームズが謎の病に罹り、
瀕死の状態に陥っている、とのこと。
ハドスン夫人の依頼を受けて、ワトスンは、
直ぐにホームズの元へと向かい、
熱帯病に詳しい医師を連れて来ようと提案するものの、
何故か、ホームズは一切聞き入れず、
後で自分が指定する人物を読んで来るようにと言い張ったのである。
画面右側から、シャーロック・ホームズ、
そして、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:ウォルター・スタンリー・パジェット
(Walter Stanley Paget:1862年 - 1935年)

なお、ウォルター・スタンリー・パジェットは、
シャーロック・ホームズシリーズのうち、

第1短編集の「シャーロック・ホームズの冒険

(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)、

第2短編集の「シャーロック・ホームズの回想

(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)、

第3短編集の「シャーロック・ホームズの帰還

(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)および

長編第3作目の「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」

「ストランドマガジン」1901年8月号から1902年4月号にかけて連載された後、

単行本化)の挿絵を担当したシドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)の弟である。


「メイフラワー号」とは、ピューリタン(清教徒)であるピルグリムファーザーズ(Pilgrim Fathers)が、英国ステュアート朝(House of Stuart)のジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)による宗教弾圧を恐れて、1620年に米国へ渡った際に乗船した船である。

その際、クリストファー・ジョーンズ・ジュニア(Christopher Jones Jr.:1570年頃ー1622年)が、「メイフラワー号」の船長を務めた。


ロザーハイズ地区内に所在するセントメアリー教会に設置されている
クリストファー・ジョーンズ・ジュニア像
<St. Christopher Statue commemorating Christopher Jones>(その2)-
「Rotherhithe - History, art and the Mayflower」の冊子から抜粋。


クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、1570年頃、エッセクス州(Essex)の港町であるハリッジ(Harwich)に出生。

父親は、船乗り / 船主であるウェールズ系のクリストファー・ジョーンズ・シニア(Christopher Jones Sr.:?ー1578年)で、母親は、イングランド系のシビル・ジョーンズ(Sybil Jones)。


クリストファー・ジョーンズ・ジュニア像 -
ブルネル博物館(Brunel Museum)で購入したティータオルから抜粋。


父のクリストファー・ジョーンズ・シニアが1578年に亡くなった際、クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、18歳で父の船を引き継いだ。

クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、1593年に、船主の娘であるサラ・ツウィット(Sara Twitt:1576年ー1603年)と結婚し、長男トマス(Thomas)を設けるが、1596年に幼くして亡くなってしまう。また、妻のサラも、1603年に死去。

クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、1603年に、船乗りの未亡人であるジョシアン・グレイ(Josian Gray:1584年ー?)と再婚し、


(1)1604年 - 次男:クリストファー・ジョーンズ(Christopher Jones)

(2)1607年 - 三男:トマス・ジョーンズ(Thomas Jones)

(3)1609年 - 長女:ジョシアン・ジョーンズ(Josian Jones)

(4)1611年 - 四男:ロジャー・ジョーンズ(Roger Jones)

(5)1614年 - 五男:クリストファー・ジョーンズ(Christopher Jones)

(6)1615年 - 次女:ジョーン・ジョーンズ(Joane Jones)

(7)1619年 - 三女:グレース・ジョーンズ(Grace Jones)

(8)1621年 - 六男:ジョン・ジョーンズ(John Jones)


の8人の子供を設ける。


セントメアリー教会 -
ブルネル博物館で購入したティータオルから抜粋。


クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、1609年8月の時点で、「メイフラワー号」の船長を務め、船主の一人となっていた。「メイフラワー号」は、主に貨物船として、欧州各国(フランス、ドイツ、スペインやノルウェー)とイングランドの間で貨物(主にワイン)を運んだ。

クリストファー・ジョーンズ・ジュニア一家は、1611年に、ハリッジからロザーハイズ地区へ居を移したため、「メイフラワー号」の母港も、ロザーハイズ地区となった。


主に貨物船として、欧州各国とイングランドの間で貨物を運んでいた「メイフラワー号」は、船長であるクリストファー・ジョーンズ・ジュニアの指揮の下、1620年9月16日(ユリウス暦:1620年9月6日)に、英国デヴォン州(Devon)プリマス(Plymouth → 2023年9月8日付ブログで紹介済)を出港して、新天地である米国(現在のマサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusettes)プリマス(Plymouth))に辿り着き、有名な大西洋横断航海を成し遂げた。

なお、「メイフラワー号」の一番最初の出航地は、元々、母港としていたロザーハイズ地区内のカンバーランド波止場(Cumberland Wharf → 2025年9月11日付ブログで紹介済)で、65名を乗せて出港し、プリマスに着く前に、サザンプトン(Southampton)に寄港して、食糧等の補給を受けている。


当初、「メイフラワー号」と「スピードウェル号(Speedwell)」の2隻で米国へ向かう予定であったが、1620年8月15日(ユリウス暦:1620年8月5日)にサザンプトンを出港した後、「スピードウェル号」に水漏れが発生して、ダートマス(Dartmouth → 2023年9月6日付ブログで紹介済)で修理を受けた。

修理後、「スピードウェル号」は再度大西洋へ向かって出港したが、再度、水漏れが起こり、プリマスへ戻った。

その結果、2隻で予定されていた航海が1隻となり、「メイフラワー号」のみで米国へと向かうことになった。


当時、「メイフラワー号」には、


*船長:クリストファー・ジョーンズ・ジュニア

*乗組員:25名ー30名

*乗客:102名


が乗船したため、荷物のスペースが非常に制限されることになった。


セントメアリー教会ストリートから見たセントメアリー教会
<筆者撮影>


1621年夏頃に歴史上燦然と輝く大西洋横断航海からイングランドに戻った後も、クリストファー・ジョーンズ・ジュニアは、「メイフラワー号」の船長を引き続き務めていたが、1622年3月、フランスへの航海から戻る途中、大西洋上で亡くなり、同年3月5日に、セントメアリー教会(St. Mary’s Church)に埋葬された。

また、その1年後の1623年に、「メイフラワー号」は、ロザーハイズ地区で解体されている。


0 件のコメント:

コメントを投稿