2025年6月30日月曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」<英国 TV ドラマ版>(And Then There Were None by Agatha Christie )- その5

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の
「エピソード3」における1場面 -
医師のエドワード・ジョージ・アームストロングの追跡が失敗に終わった翌朝、

フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人は、

兵隊島の断崖で、火を燃やして、対岸へ信号を送ろうとする。

一方、ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、他の2人とは別行動をとり、

火かき棒を持ち、周囲を警戒しつつ、屋敷内を歩き廻る。

その際、謎のオーウェン氏に襲われて、非業の死を遂げる。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が映像化した英国 TV ドラマ版の場合、アガサ・クリスティーの原作にかなり忠実に反映しているが、細かい点において、原作対比、以下のような違いがある。


今回は、2015年12月28日に放映された「エピソード3(最終エピソード)」にかかる部分の続きについて、述べたい。


(10)

<英国 TV ドラマ版>

フィリップ・ロンバード(Philip Lombard - 元陸軍大尉)とウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore - 巡査部長(Detective Sergeant)/ 原作の場合、元警部(Detective Inspector))によるエドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong)の追跡が失敗に終わった翌朝、彼ら2人とヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne - 秘書)が朝食をとっている席上、ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、他の2人に対して、ジェイムズ・スティーヴン・ランドー(James Stephen Landor)を殺したことを認める。

<原作>

原作の場合、このような場面はない。


(11)

<原作>

ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、ロンドン商業銀行が襲われた事件の捜査を担当しており、ジェイムズ・スティーヴン・ランドーを犯人として逮捕。その実績を買われて、ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、昇進を果たしている。

なお、ジェイムズ・スティーヴン・ランドーは、終身刑となり、1年後にダートムーア刑務所で死亡。

<英国 TV ドラマ版>

ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、ジェイムズ・スティーヴン・ランドーが拘留されている留置場を訪れると、留置場のドアを閉め、ジェイムズ・スティーヴン・ランドーを床に倒して、何度も踏み付ける等の暴行を加えている。この暴行によって、ジェイムズ・スティーヴン・ランドーは死亡したものと思われる。


(12)

<原作>

その日の午前中、フィリップ・ロンバードの提案に基づき、残った3人は、兵隊島(Soldier Island)の一番高いところから、鏡で日光を反射させて、対岸へ信号を送る努力を続けた。

<英国 TV ドラマ版>

フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人は、兵隊島の断崖で、火を燃やして、対岸へ信号を送ろうとする。

一方、ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、火かき棒を持ち、周囲を警戒しつつ、屋敷内を歩き廻る。


(13)

<原作>

午後2時になると、腹をすかしたウィリアム・ヘンリー・ブロアは、屋敷へと戻る。フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人は、兵隊島の一番高いところに、そのまま残る。

暫くした後、屋敷の方から地響きと叫び声のような音が聞こえたため、フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人も、屋敷へと引き返す。

<英国 TV ドラマ版>

フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人は、断崖に到着するが、いつまで待っても、ウィリアム・ヘンリー・ブロアがやって来ない。

そのため、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンを断崖に残したまま、フィリップ・ロンバードが、一人で屋敷へと引き返す。暫くした後、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンも、フィリップ・ロンバードの後を追って、屋敷へ戻る。


(14)

<原作>

フィリップ・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人が屋敷に戻ると、東側の石のテラスにおいて、ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、大の字になって倒れており、頭を大きな白大理石の固まりで打ち砕かれていた。

それは、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンの部屋の暖炉の上に置かれていた熊の形をした時計だった。

<英国 TV ドラマ版>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンが屋敷に戻ると、それに気付いたフィリップ・ロンバードが、彼女に対して、拳銃を向ける。

ウィリアム・ヘンリー・ブロアは、胸をナイフで刺されて、倒れており、彼の上には、白熊の毛皮が載せられていて、まるで彼は白熊に襲われたかのようだった。


(15)

<英国 TV ドラマ版>

ウィリアム・ヘンリー・ブロアが殺された後、食堂のテーブルの上に置かれた人形の数が3個から2個へ減っていた。

<原作>

原作の場合、このような場面はない。


(16)

<原作>

海岸において、エドワード・ジョージ・アームストロングの溺死体を発見したヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、フィリップ・ロンバードから拳銃を奪い取ると、彼が飛び掛かった際、反射的に引き金を引いて、彼の心臓を打ち抜いてしまう。

つまり、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンが、フィリップ・ロンバードに向けて発射した拳銃は、1発のみ。

<英国 TV ドラマ版>

海岸において、エドワード・ジョージ・アームストロングの溺死体を発見したヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、フィリップ・ロンバードから拳銃を奪い取ると、彼と揉み合っている時に、彼の左膝を1発撃つ。その後、彼の胸に向けて、2発発射。彼が波打ち際に倒れた後も、彼女は、更に2発撃った。


(17)

<原作>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、シリル・オギルヴィー・ハミルトン(Cyril Ogilvie Hamilton - 家庭教師をしていた子供)に対して、彼が望む通り、岩まで泳がせている。

また、溺れた彼を助けようと、彼女は、彼の後を追って、泳いでいるふりをする。

シリル・オギルヴィー・ハミルトンが溺死した後、ヒューゴ(Hugo - シリル・オギルヴィー・ハミルトンの叔父 / 事件当日、外出していた)は、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンに対して、見ず知らずの他人を見るような視線を向けた。その後、ヒューゴーとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの恋愛関係は、終わりを迎えている。

<英国 TV ドラマ版>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、シリル・オギルヴィー・ハミルトンに対して、彼が望む通り、岩まで泳がせている。

また、溺れた彼を助けようと、彼女は、海岸まで走って行くが、途中で歩き出し、ゆっくりと上着を脱ぎ、サングラスを外す。そして、背泳ぎでゆっくり進むが、途中で溺れるふりをする。

シリル・オギルヴィー・ハミルトンの検死法廷が終わった後、ヒューゴーがヴェラ・エリザベス・クレイソーンの元へとやって来て、彼女の罪状を厳しく糾弾した後、彼女の元から去って行った。


(18)

<原作>

フィリップ・ロンバードを射殺した後、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、暫くの間、放心状態にあり、陽が沈みかけて、ようやく緊張の糸が緩み、空腹と眠気を覚えた彼女は、屋敷へと戻る。

<英国 TV ドラマ版>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、拳銃を右手に持って、海岸に倒れているところで気付く。

フィリップ・ロンバードが死んでいることを確認した彼女は、自分が助かったことを確信し、屋敷へと戻る。


(19)

<原作>

屋敷に戻ったヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、食堂に立ち寄り、テーブルの上に置かれた3個の人形のうち、2個を取って、窓から外へ放り投げる。そして、3個の人形を手に取る。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版の場合、このような場面はない。


(20)

<原作>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、2階にヒューゴーが居るような気配を感じつつ、階段を昇る。そして、階段を登りきったところで、拳銃を落とす。

2階の部屋でヒューゴーが待っていることを確信した彼女は、自分の部屋へ入る。

<英国 TV ドラマ版>

シリル・オギルヴィー・ハミルトンの幻影に連れられて、屋敷に戻ったヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、階段を昇る。階段を登りきったところではなく、階段の途中で、拳銃を落とす。

そして、シリル・オギルヴィー・ハミルトンの幻影に見守られながら、彼女は、自分の部屋へ入る。


(21)

<原作>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、天井のフックからぶら下がっているロープの輪で、自ら首を括って、自殺を遂げる。その際、最後の人形が、彼女の手から落ちる。

<英国 TV ドラマ版>

原作と同様に、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、天井のフックからぶら下がっているロープの輪に、自ら首を一旦かける。

その時、彼女の部屋のドアが開いて、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave - 元判事)が入って来る。驚いた彼女は、椅子を蹴って、首吊りの状態になってしまうが、横倒しになった椅子の上で、辛うじてバランスを保つ。

そして、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴによる独白が始まる。

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴに対して、フィリップ・ロンバードに全ての罪をなすりつけることで決着させようと説得するが、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、彼女の足元から椅子を取り去り、彼女を縊死させる。

彼女の死亡を確認したローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、彼女の部屋から立ち去る。


(22)

<原作>

犯人のローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、自分の部屋のベッドの上で、拳銃自殺を遂げる。

<英国 TV ドラマ版>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンを縊死させた後、犯人のローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、食堂のテーブルでワインを飲んだ後、フィリップ・ロンバードの拳銃に弾丸(ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが、1発所持していた)を装填し、首の下から撃って、自殺を遂げる。


(23)

<原作>

「エピローグ」の部分で、スコットランドヤードの副警視総監であるサー・トマス・レッグ(Sir Thomas Legge)とメイン警部(Detective Inspector Maine)が登場する。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版の場合、全ての物語が兵隊島で完結する関係上、スコットランドヤードの副警視総監であるサー・トマス・レッグとメイン警部は、登場しない。


(24)

<原作>

原作の場合、アイザック・モリス(Issac Morris)は、謎のオーウェン氏(=犯人のローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ)に代わって、兵隊島の買取りにかかる全てを取り仕切っている。彼は、3年前に起きたベニー証券詐欺事件に関与している他、麻薬の密売にも手を出していた模様。

ロンドンを出発する前に、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、消化不良に悩むアイザック・モリスに対して、胃液に素晴らしい効き目がるカプセルを1つ渡している。このカプセルに毒が仕込まれており、アイザック・モリスは、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴによって、事前に毒殺されている。

<英国 TV ドラマ版>

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンに対して、オーウェン氏の秘書の仕事を斡旋した紹介所の所長として、アイザック・モリスが、また、彼のタイピストとして、オードリー(Audrey)が登場する。

彼ら2人が、謎のオーウェン氏(=犯人のローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ)の手先だったのかどうかについては、英国 TV ドラマ版の場合、明確には描かれていない。また、彼ら2人も、法律では裁けない犯罪者で、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴによって、事前に処分されたのかどうかについても、不明。


2025年6月29日日曜日

アガサ・クリスティー作「もの言えぬ証人」<小説版(愛蔵版)>(Dumb Witness by Agatha Christie )- その1

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「もの言えぬ証人」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
小緑荘の女主人であるエミリー・アランデルの
飼い犬であるボブ(Bob)と犬の遊び道具のボールが描かれている。
また、
エミリー・アランデルが転落して、
寝込む原因となった階段が、画面右手に描かれている。

英国の HarperCollinsPublishers 社から、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が生まれたトーキー(Torquay → 2023年9月1日 / 9月4日付ブログで紹介済)が所在するデヴォン州(Devon)が舞台となったエルキュール・ポワロシリーズの長編作品のうち、「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」(1956年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)と「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1942年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年11月9日 / 11月13日付ブログで紹介済)が2023年に、更に、「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年6月8日 / 6月12日付ブログで紹介済)が刊行されてい「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」(1932年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年7月13日 / 7月21日 / 7月25日付ブログで紹介済)が2024年に出版されている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイ(Greenway)が、ナス屋敷として描かれている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「五匹の子豚」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
英国の有名な画家であるアミアス・クレイル(Amyas Crale)が
毒殺される事件現場になった砲台庭園が描かれている。


2024年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -

名探偵エルキュール・ポワロは、デヴォン州の密輸業者島(Smugglers’ Island)にある

Jolly Roger Hotel に滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。

同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となった

アリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)が、

この島で何者かによって殺害されることになる。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「エンドハウスの怪事件」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
「コーニッシュ リヴィエラ(Cornish Riviera)」と呼ばれる
コンウォール州(Cornwall)のセントルー村(St. Loo - 架空の場所)に近い
マジェスティックホテル(Majestic Hotel)において、
エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉は、優雅な休暇を楽しんでいた。
一方、新聞では、世界一周飛行に挑戦中の飛行家である
マイケル・シートン大尉(Captain Michael Seton)が、
太平洋上で行方不明になっていることを伝えていた。
テラスから庭へと通じる階段でポワロが足を踏み外したところ、
丁度運良くそこに通りかかったニック・バックリー(Nick Buckley -
本名:マグダラ・バックリー(Magdala Buckley))に助けられる。
彼女は、ホテルからほんの目と鼻の先にある岬の突端に立つ
やや古びた屋敷エンドハウス(End House)の若き女主人であった。


また、映画化に先立って、「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」(1969年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年10月6日 / 10月11日付ブログで紹介済)も、HarperCollinsPublishers 社から出ている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Sarah Foster / HarperCollinsPublishers Ltd.
Cover images by Shutterstock.com) 


今年(2025年)は、動物をテーマにした「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」(1937年)と「鳩のなかの猫(Cat Among the Pigeons)」(1959年)の愛蔵版(ハードバック版)が出版されたので、今回は、「もの言えぬ証人」について、紹介致したい。


本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第21作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第14作目に該っている。


1936年6月28日、エルキュール・ポワロは、エミリー・アランデル(Emily Arundell - なお、フルネームは、エミリー・ハリエット・ラヴァートン・アランデル(Emily Harriet Laverton Arundell))と名乗る老婦人から、自分の命に危険が迫っていることを示唆する内容の手紙を受け取る。奇妙なことに、手紙の日付は、その年の4月17日になっており、手紙が書かれてから2ヶ月後も経ってから投函されているのだった。

ポワロの相棒で、友人でもあるアーサー・ヘイスティングス大尉(Capitain Arthur Hastings)は、「老婦人のとりとめのない妄想ではないか?」と疑問を呈したが、手紙が差し出された経緯について興味を覚えたポワロは、ヘイスティングス大尉を伴って、事実を確かめるために、エミリー・アランデルが住むバークシャー州(Berkshire)のマーケットベイジング(Market Basing)へと赴くことにした。


ポワロとヘイスティングス大尉の二人が、エミリー・アランデルの住所である小緑荘(Littlegreen House)を訪れると、屋敷の前には、「売家」の札が掲げられていた。疑問を抱いた二人が地元で尋ねると、エミリー・アランデル本人は、1ヶ月以上も前の1936年5月1日に亡くなっていたのである。


2025年6月28日土曜日

サー・ジョン・ソーン(Sir John Shane)- その2

イングランド銀行裏手(ロスベリー通り沿い)の外壁に設置されている
サー・ジョン・ソーン像(その1)


後に英国の新古典主義を代表する建築家となるサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)は、1753年9月10日、オックスフォード(Oxfordshire)のゴリング・オン・テムズ(Goring-on-Thames)に、煉瓦職人(bricklayer)の父ジョン・ソーン(John Soan)と母マーサ・ソーン(Martha Soan)の下に出生。


(サー・)ジョン・ソーンが14歳の1768年4月に、父親が死去したため、彼の一家は、チャーツィー(Chertsey - サリー州(Surrey)の町)へと引っ越して、彼の兄(12歳上)であるウィリアム・ソーン(William Soan)と一緒に住む。

15歳の彼は、兄のウィリアム・ソーンから紹介された測量技師(surveyor)であるジェイムズ・ピーコック(James Peacock)経由、知己を得た英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)の下で、建築を学び始めた。なお、ジョージ・ダンス(子)は、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の創立メンバーの一人であり、1771年10月に弟子の彼を王立芸術院へ入学させ、本格的な建築の勉強をさせた。




ジョージ・ダンス(子)が住んでいた
ガワーストリート91番地(91 Gower Street)


ガワーストリート91番地の建物外壁には、
ジョージ・ダンス(子)がここに住んでいたことを示す
ブループラークが掛けられている。


師匠のジョージ・ダンス(子)が1772年3月24日に結婚したことに伴い、(サー・)ジョン・ソーンは、英国の建築家であるヘンリー・ホランド(Henry Holland:1745年ー1806年)の下へ移る。


王立芸術院において、(サー・)ジョン・ソーンは、1772年12月10日にシルバーメダルを、そして、1776年12月10日にゴールドメダルを獲得する等、優れた成績を残す。

その後、(サー・)ジョン・ソーンは、1777年12月10日に奨学金(3年間)を得て、1778年3月18日、欧州大陸への留学へ出発。最終的には、同年5月2日、イタリアのローマに辿り着く。


(サー・)ジョン・ソーンは、ローマにおいて、建築を学びつつ、イタリア各地を旅して、様々な建築の情報を習得する。

残念ながら、イタリアで仕事が見つからなかった彼は、欧州各地を旅した後、1780年6月、英国に戻った。

英国へと戻った(サー・)ジョン・ソーンは、様々な案件に関与するものの、大きな案件のうち、実現まで辿り着くものはほとんどなく、師匠であるジョージ・ダンス(子)は、生活に困る彼に仕事をまわしたりした。


1783年に入り、(サー・)ジョン・ソーンは、ノーフォーク州(Norfolk)にあるレットンホール(Letton Hall)と言う新しいカントリーハウスを建設する仕事を遂に得た。

これを機にして、彼は、1788年にかけて、英国各地で多くの大きな案件を請け負うようになり、次第に建築家としての頭角を現す。


その間、(サー・)ジョン・ソーンは、エリザベス・スミス(Elizabeth Smith:1760年ー1815年)と1784年8月21日に結婚。彼は、妻のことを「エリザ(Eliza)」と呼んだ。

なお、(サー・)ジョン・ソーンの姓は、元々、「Soan」だったが、エリザベス・スミスと結婚した際、彼は、元々の姓である「Soan」の後ろに「e」を付け加えて、「Soane」へと改名している。


彼らの間には、以下の通り、4人の息子が生まれた。


サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum
→ 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)
内に所蔵 / 展示されている
「サー・ジョン・ソーンの長男ジョン(右側の人物)と
三男ジョージ(左側の人物)の肖像画」で、
英国の肖像画家であるウィリアム・オーウェン(William Owen:1769年ー1825年)が、
1804年に制作。


*長男:ジョン(John)- 1786年4月29日に出生。

*次男:ジョージ(George)- 1787年のクリスマス前に出生するも、6ヶ月後に死亡。

*三男:ジョージ(George)- 1789年9月28日に出生。

*四男:ヘンリー(Henry)- 1790年10月10日に出生するも、翌年に死亡。


1788年10月16日に、(サー・)ジョン・ソーンは、英国の建築家 / 彫刻家であるサー・ロバート・テイラー(Sir Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めた。


イングランド銀行の建物正面


1788年から1833年までの45年間、(サー・)ジョン・ソーンは、イングランド銀行にかかる様々な改修工事を行ったが、その後、イングランド銀行が敷地を拡張する過程で、英国の建築家であるハーバート・ベイカー(Herbert Baker:1862年ー1946年)によって、(サー・)ジョン・ソーンが設計したオリジナル部分はほとんど失われてしまい、「シティーにおける20世紀最大の建築上の罪(the greatest architectural crime, in the City of London, of the twentieth century)」と言われている。



イングランド銀行裏手(ロスベリー通り沿い)の外壁に設置されている
サー・ジョン・ソーン像(その2)


その代わり、イングランド銀行の裏手ではあるが、ロスベリー通り(Lothbury)に面した建物の外壁内に、サー・ジョン・ソーンの像が彼の栄誉を称えるために設置されている。


2025年6月27日金曜日

コナン・ドイル作「高名な依頼人」<小説版>(The Illustrious Client by Conan Doyle )- その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1925年2月号に掲載された挿絵(その3)-
サー・ジェイムズ・デマリー大佐からの依頼を受けた
シャーロック・ホームズは、早速、
キングストン近くのヴァーノンロッジに住む
アデルバート・グルーナー男爵のところまで、馬車で出かけた。
残念ながら、ホームズと
アデルバート・グルーナー男爵の会見は不調に終わり、
ホームズができる限り冷静に威厳を保って、いとまごいを告げた。
ホームズがドアノブに手を掛けた時、
アデルバート・グルーナー男爵は、ホームズを呼び止めると、
フランスの探偵ル・ブランの話を持ち出して、
明確な「警告」をしたのである。

挿絵:ハワード・ケッピー・エルコック
(Howard Keppie Elcock:1886年ー1952年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、50番目に発表された作品「高名な依頼人(The Illustrious Client)」の場合、前日の夜、カールトンクラブ(Carlton Club → 2014年11月16日付ブログで紹介済)からシャーロック・ホームズ宛に手紙を事前に出したサー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)が、非常に繊細かつ重要な相談事のため、1902年9月3日の午後4時半にベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪れる。

ジョン・H・ワトスンは、当時、ベイカーストリート221B を出て、クイーン アン ストリート(Queen Anne Street → 2014年11月15日付ブログで紹介済)に住んでいたが、ホームズの頼みに応じて、ワトスンも、ホームズとサー・ジェイムズ・デマリー大佐の面談に同席した。



ウェルベックストリート(Welbeck Street:「最後の事件(The Final Problem)」において、
ジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)配下の者が乗った二頭立ての馬車が、
シャーロック・ホームズを襲撃した通り → 2015年5月6日付ブログで紹介済)
から
クイーン アン ストリートを望む。

デマリー大佐の話によると、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢であるヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)が、今、オーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Grunner:現在、英国のキングストン(Kingston)近くのヴァーノンロッジ(Vernon Lodge)に居住)に夢中で、彼と結婚しようとしていた。

実際、グルーナー男爵はハンサムであるが、非常に残虐な男である。本人曰く、彼が当時結婚していた妻は事故で死亡したと言って、プラハでの裁判では罪を免れたが、本当は彼が自分の妻を自ら殺害したものと一般には考えられていた。

ド・メルヴィル将軍をはじめ、ド・メルヴィル嬢の周りの者は彼女にグルーナー男爵との結婚を思いとどまるよう言い含めるものの、グルーナー男爵に対する妻殺害疑惑を濡れ衣だと思い込まされている彼女の態度は非常に頑なで、どんな説得にも耳を貸そうとはしなかったのである。


ホームズは、デマリー大佐に対して、本件にかかる本当の依頼人が誰なのかを尋ねたが、デマリー大佐は、「依頼人が匿名を望んでいること」、そして、「依頼人の名前が、この事件に一切関与しないことが重要であること」を告げ、本当の依頼人の正体を一切明らかにしなかったのである。

この本当の依頼人の正体については、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の第2子(長男)で、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王 / インド皇帝であるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年 → 2025年5月10日 / 5月26日 / 5月31日 / 6月8日 / 6月15日付ブログで紹介済)であると、一般的に考えられている。


ウォーターループレイス(Waterloo Place)内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像


「ド・メルヴィル嬢とグルーナー男爵の結婚をなんとか阻止してほしい。」というデマリー大佐の依頼を受けたホームズは、早速行動を開始すると約束した。

昔は危険極まりない悪党として鳴らしていたが、今は前非を悔い改めてホームズに協力的な情報屋のシンウェル・ジョンスン(Shinwell Johnson)に、ホームズはまず手助けを求めた。


生憎と、ワトスンには、本業の医師として急ぎの仕事があったため、その晩、シンプソンズ(Simpson’s → 2014年11月23日付ブログで紹介済)でホームズと会い、彼からデマリー大佐との会見以降の経過を聞いた。


現在の「シンプソンズ」入口


ホームズは、キングストン近くのヴァーノンロッジまで、アデルバート・グルーナー男爵に会うために、馬車で出かけた。

ホームズは、自分の正体を隠すことはしなかったが、アデルバート・グルーナー男爵は、ホームズが自分とヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢の結婚を阻止するために雇われたと直ぐに察した。

アデルバート・グルーナー男爵は、非常に狡猾な男で、ホームズに対して、「婚約破談の調査をしても、無駄だから、手を引いた方がよい。」と言って、紳士的な態度を崩さなかったが、ホームズの立ち去り際に、「同じようなことをしたフランスの探偵(French agent)のル・ブラン(Le Brun)は、モンマルトル地区(Montmartre district)で暴漢に襲われて、一生不自由な身体になった。」と言う話をして、ホームズに明確な「警告」をしたのである。


2025年6月26日木曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の英国 TV ドラマ版(エピソード3)に使用された童謡「10人の子供の兵隊」(And Then There Were None by Agatha Christie - Ten Little Soldiers)- その3

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が映像化した英国 TV ドラマ版として映像化しているが、2015年12月28日に放映された「エピソード3」において使用された童謡「10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)」は、以下の通り。


(6)

Five little soldier boys going in for law; One got in chancery and then there were Four.

(5人の子供の兵隊さんが、法律を志した。一人が大法官府(裁判所)に入って、残りは4人になった。)


厳密に言うと、原作の場合、

ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが見つかったのは、応接間(1階)で、

兵隊人形が置かれているのは、食堂(1階)なので、この場面は正しくない。

また、英国 TV ドラマ版の場合、

ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが見つかったのは、自分の部屋(2階)で、

兵隊人形が置かれているのは、食堂(1階)なので、この場面とは合っていない。


英国 TV ドラマ版の場合、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴを見つけた後、

ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、食堂へ行って、人形の数が4個に減っていることを確認。

他の3人(エドワード・ジョージ・アームストロング、フィリップ・・ロンバードと

ウィリアム・ヘンリー・ブロア)も、彼女に付いて来て、これを確認している。

一方、原作の場合、このような記述はない。-

HarperCollins Publishers 社から出ている

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

*被害者:ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave - 高名な元判事)

*告発された罪状:アガサ・クリスティーの原作の場合、皆が無実の被告だと確信していたエドワード・シートン(Edward Seton)に対して、陪審員達を巧みに誘導し、不当な死刑判決出したと告発された。

なお、原作の場合、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、他の全員が無罪だと思っていたエドワード・シートンに対して、有罪判決を下し、絞首刑に処しているだけにとどまっているが、英国 TV ドラマ版の場合、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、エドワード・シートンの絞首刑執行の場に立ち会っている。また、エドワード・シートンも、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴに見せつけるように、顔を覆うフードなしで、絞首刑になっている。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1930年6月10日」と明記されている。

*死因:裁判官の服装をして、額に銃弾を受けていた。なお、裁判官が被るカツラは、エミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent - 信仰心の厚い老婦人)が失くしたグレーの毛糸からできており、また、身体に纏っている真っ赤なガウンは、トマス・ロジャーズ(Thomas Rogers - 執事)が「浴室から無くなった。」と言っていた真っ赤なカーテンで代用されていた。


画面左側から、エドワード・ジョージ・アームストロング、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ、
フィリップ・・ロンバード、ウィリアム・ヘンリー・ブロア、
そして、
ヴェラ・エリザベス・クレイソーン。
-

HarperCollins Publishers 社から出ている

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。


原作の場合、ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne - 秘書)の悲鳴を聞いても、居間から一緒に来なかったローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが見つかった場所は、応接間(1階)。エドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong - 医師)が、他の3人に近付かないように合図して、「ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴは、頭を撃ち抜かれている。即死だ。」と告げる。ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴを2階にある彼の部屋へと運んだのが、誰なのかについては、明記されていない。おそらく、エドワード・ジョージ・アームストロング、フィリップ・・ロンバード(Philip Lombard - 元陸軍大尉)とウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore - 元警部(Detective Inspector)/ 英国 TV ドラマ版の場合、巡査部長(Detective Sergeant))の3人だと思われる。

一方、英国 TV ドラマ版の場合、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンの悲鳴を聞いて、既に退いていた自分の部屋から出て来なかったローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが見つかった場所は、彼の部屋(2階)。エドワード・ジョージ・アームストロングが、自分のジャケットを脱いで、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴの身体を覆っている。


(7)

Four little soldier boys going out to sea; A red herring swallowed one and then there were Three.

(4人の子供の兵隊さんが、海へ出かけた。一人が燻製の鰊(ニシン)に呑みれて、残りは3人になった。)


原作の場合、

夜中、屋敷から外へ出て行ったエドワード・ジョージ・アームストロングの追跡が失敗に終わり、

屋敷に戻って来たフィリップ・・ロンバードとウィリアム・ヘンリー・ブロアの2人は、

食堂へ行って、兵隊人形の数が3個に減っていることを確認。

一方、英国 TV ドラマ版の場合、このような場面はない。-

HarperCollins Publishers 社から出ている

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。


*被害者:エドワード・ジョージ・アームストロング

*告発された罪状:アガサ・クリスティーの原作の場合、アルコールを摂取した後、患者のルイーザ・メアリー・クリース(Louisa Mary Clees)の手術を執刀して、死に至らせたと告発された。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1925年3月14日」と明記されている。

*死因:溺死


原作の場合、海岸の二つの岩の間に、
エドワード・ジョージ・アームストロングの溺死体が挟まれているのが、
フィリップ・・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人によって発見されている。
エドワード・ジョージ・アームストロングの溺死体は、満ち潮で打ち上げられたのである。
一方、英国 TV ドラマ版の場合も、エドワード・ジョージ・アームストロングの溺死体は、
海岸の岩の上に乗っているのが、
フィリップ・・ロンバードとヴェラ・エリザベス・クレイソーンの2人によって発見されている。
ただし、満ち潮で打ち上げられたと言う点については、言及されていない。
従って、この場面は、原作とも、英国 TV ドラマ版とも、合っていない。
-

HarperCollins Publishers 社から出ている

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。


なお、「red herring」とは、本来の問題点から皆の注意を他に逸らして、論点をすり替える論理的誤謬を指す用語で、推理小説においては、登場人物(警察や探偵等を含む)や読者を誤った結論へと導くために使用される虚偽の証拠や情報等のことを言う。


つまり、夜中に、エドワード・ジョージ・アームストロングが部屋から抜け出して、外へ出て行ったため、フィリップ・・ロンバードとウィリアム・ヘンリー・ブロアの2人が、「エドワード・ジョージ・アームストロングが、一連の殺人を行った犯人だ。」と考えて、彼の後を追うが、これは、登場人物である彼らと読者を誤った結論へと導いていることを、作者であるアガサ・クリスティーが「red herring」と言う用語を使って、匂わせているものと思われる。