大英図書館(British Library)から British Library Crime Classics シリーズの一つとして、2014年に出版されている メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」の表紙 (Cover Image : Mary Evans Picture Library) |
「チャーウェル川の死(Death on the Cherwell)」は、英国の推理作家で、ノンフィクション作家でもあったメイヴィス・ドリエル・ヘイ(Mavis Doriel Hay:1894年ー1979年)が1935年に発表した推理小説である。
本作品は、オックスフォード(Oxford)に舞台を設定している。
チャーウェル川(River Cherwell)は、途中で「ザ・ロウド(The Lode)」と「ザ・ニュー・ロウド(The New Lode)」という二つの支流に一旦分かれた後、再度一つの本流となって、下流へと流れている。これらの二つの支流に囲まれた島内に、女性専用のペルセポネカレッジ(Persephone College)が建っている。
メイヴィス・ドリエル・ヘイ作「チャーウェル川の死」における 事件現場周辺の地図 |
1月のある午後4時、チャーウェル川の支流の一つである「ザ・ロウド」沿いに建つボート小屋の屋根の上に、ペルセポネカレッジの一年生である以下の3人が集合していた。
(1)ダフニ・ラヴリッジ(Daphne Loveridge)
(2)グイネス・ペイン(Gwyneth Pane)
(3)ニーナ・ハーソン(Nina Harson)
彼女達は、友人のサリー・ワトスン(Sally Watson)に、自分達のクラブを立ち上げるため、ここに呼び出されていたのであった。
チャーウェル川の上流にあるセントシメオンカレッジ(St. Simeon’s College)内に建つ塔が午後4時を告げてから2-3分後、サリー・ワトスンが、ボート小屋へと向かって、芝生を駆けて来るのが見えた。
サリーによると、「午後3時から午後4時まで、セントシメオンカレッジの教授であるデニス・モート(Denis Mort)による出張個人講義を受けていたので、集合時間に遅れた。」とのこと。
彼女は、折角、一生懸命、宿題のエッセーを書いたにもかかわらず、今日の講義の間、デニス・モート教授はずーっと憂鬱な様子で、頑張り甲斐がなかったと、不満タラタラだった。
ボート小屋の屋根の上で、彼女達が話を続けていると、チャーウェル川の上流からカヌー(丸木舟)が揺れ動きながら姿を見せた。一瞬、カヌーには誰も乗っていないように見えたが、よく見ると、女性がカヌー内で横たわっているのが判った。
サリー・ワトスン達4人がボート小屋の屋根から降りて、チャーウェル川へと寄り、カヌーを岸へと近付けると、カヌー内に横たわっていたのは、ペルセポネカレッジの経理部長(Bursar)であるマイラ・デニング(Myra Denning)で、全身ずぶ濡れだった。残念ながら、彼女は既に息をひきとっていた。
サリー・ワトスン達4人は、ペルセポネカレッジの学長(Principal)であるコーデル女史(Miss Cordell)に慌てて連絡をとり、コーデル女史からの要請を受けて、シャター医師(Dr. Shuter)がペルセポネカレッジへと駆け付けた。また、地元警察のヴィザ警視(Superintendent Wythe)も現場に到着する。
当初、マイラ・デニング経理部長の死は事故かと思われたが、シャター医師の現場検死によると、直接の死因は溺死で間違いないものの、彼女の後頭部には、何かで殴られたような痕跡があり、これがほとんど致命傷に近かったことが判明。
となると、溺死後に、彼女が自力でカヌー内へと戻ることは不可能であり、何者かに殺害された後、カヌー内に横たわされて、チャーウェル川に流されたものと考えられた。
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