2019年8月24日土曜日

ダフニ・デュ・モーリエ作「ジャマイカ・イン」(Jamaica Inn by Dame Daphne du Maurier)

Virago Press 社から出版されている
ダフニ・デュ・モーリエ作「ジャマイカ・イン」

「ジャマイカ・イン(Jamaica Innー邦題:埋もれた青春)」は、英国の小説家であるディム・ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier:1907年ー1989年)が1936年に発表した小説で、英国ではヴィクター・ゴランクズ社(Victor Gollancz Ltd.)から、そして、米国ではダブルディ・ドラン社(Doubleday Dorun)から出版された。

1930年、ダフニ・デュ・モーリエは、英国コンウォール州(Cornwall)のボドミンムーア(Bodmin Moor)内に所在する宿屋「ジャマイカ・イン(Jamaica Inn)」に滞在した際に、本作品の着想を得た、とのこと。
現在、宿屋「ジャマイカ・インは、レストランやバー等を備えたホテルであるが、18世紀中頃から19世紀にかけて、英国外からの密輸品をロンドンを初めとする英国各地へと運搬するための中継地として使用された歴史がある。

コンウォール州で購入した
ダフネ・デュ・モーリエ自身と彼女の作品に関連する場所を題材にした
絵葉書

物語は、史実に合わせて、1820年のコンウォール州が舞台として設定されている。
母親を亡くして孤児となった23歳のメアリー・イェーラン(Mary Yellan)は、彼女にとって唯一の身寄りである叔母のペーシェンス・マーリン(Patience Merlyn)が経営する辺境の宿屋「ジャマイカ・イン」へと行くことにした。
しかし、メアリーがやっとの思いで辿り着いたその宿屋は荒れ果てている上に、叔母のペーシェンスはすっかりと老け込んでいて、幽霊のような状態だった。彼女の夫であるジョス・マーリン(Joss Merlyn)は、宿屋内で怪しげな仲間達と一緒に酒宴を開き、呑んだくれていた。叔母のペーシェンスは、夫や彼の仲間達に対して、何も言えないようである。
メアリーが見たところ、宿屋には宿泊客が誰も居らず、その上、今まで一度も客を泊めたことがないみたいで、何か怪しげな雰囲気だった。
メアリーは、実質的に宿屋を牛耳っている叔母の夫であるジョス・マーリンの正体を探ろうとする。そして、ジョスと彼の仲間達が、この辺一帯を荒らし回っている海賊であることが判明するのであった。

「ジャマイカ・イン」は、英国の映画監督 / 映画プロデューサーであるアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock:1899年ー1980年)によって、1939年に映画が制作され、邦題「巌窟の野獣」として公開されている。

2019年8月18日日曜日

パークロード35番地 / ルドルフ・シュタイナーハウス(35 Park Road / Rudolf Steiner House)

パークロード沿いに建つルドルフ・シュタイナーハウスの建物外観

リージェンツパーク(Regent’s Park→2016年11月19日付ブログで紹介済)に沿って、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station  →  2014年4月18日 / 4月21日 / 4月26日 / 4月27日 / 5月3日 / 5月10日 / 5月11日 / 5月18日付ブログで紹介済)からセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood→2014年6月17日付ブログで紹介済)へと向かって北上するパークロード(Park Road)沿いの35番地(35 Park Road, Marylebone, London NW1 6XT)に、ルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House)が建っている。

ルドルフ・シュタイナーハウス内から
パークロードを見たところ

現在、舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの(Sherlock Holmes and The Invisible Thing→2019年8月10日 / 8月11日付ブログで紹介済)」が上演されているルドルフ・シュタイナー劇場(Rudolf Steiner Theatre)は、約220人を収容可能で、ルドルフ・シュタイナーハウス内に所在している。

ルドルフ・シュタイナーハウス内のG階ロビー(その1)–
画面奥にあるのが、カフェ

ルドルフ・シュタイナーハウス内のG階ロビー(その2)–
カフェは、土曜日のみ営業

ルドルフ・シュタイナーハウス内のG階ロビー(その3)–
画面奥にあるのが、本屋

ルドルフ・シュタイナーハウスやルドルフ・シュタイナー劇場は、19世紀末から20世紀前半にかけて、オーストリアやドイツで活動した哲学者、教育者、建築家、経済学者で、神秘思想家でもあったルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner:1861年ー1925年)の名前を冠している。

ルドルフ・シュタイナーハウス内のG階ロビーの壁には、
ルドルフ・シュタイナーの写真が掛けられている

ルドルフ・シュタイナーハウス内には、劇場の他に、
・本屋ールドルフ・シュタイナーによる著作等を主に販売
・図書室ールドルフ・シュタイナーによる著作等を主に所蔵
・セラピー室
・会議室
・カフェ(土曜日のみ営業)
等があり、劇場や会議室は、舞台劇、コンサート、講演、セミナーや会合等のため、一般にも貸し出されている。

ルドルフ・シュタイナーハウス内の階段(その1)

ルドルフ・シュタイナーハウス内の階段(その2)

ルドルフ・シュタイナーハウス内の階段(その3)

建築家としての顔も有するルドルフ・シュタイナーは、「ゲーテアヌム(Goetheanum)」と呼ばれる独特の形容を持つ建物の設計を行っているが、それは、ルドルフ・シュタイナーハウスのうち、本屋入居スペースの窓ガラス上部にある庇部分にも使用されている。

本屋入居スペースの窓ガラス上部にある庇部分に、
建築家でもあったルドルフ・シュタイナーが用いた「ゲーテアヌム」という独特の形容が見受けられる

2019年8月17日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「緑のカプセルの謎」(The Problem of the Green Capsule by John Dickson Carr)–その2

創元推理文庫「緑のカプセルの謎」の旧訳版の表紙
(カバー装画:山田 維史)

ロンドン警視庁犯罪捜査部(スコットランドヤード CID)の上司であるハドリー警視(Superintendent Hadley)から命じられて、アンドルー・マッカンドルー・エリオット警部(Inspector Andrew MacAndrew Elliot)が愛車でロンドンを後にして、バース(Bath)に近いソドベリークロス村(Sodbury Cross)へと向かった10月3日は、天気も良く、暖かい日だった。
生憎と、愛車が途中でパンクしたため、エリオット警部がソドベリークロス村に到着したのは、午後11時半を過ぎていた。遅く時間にもかかわらず、地区警察本部長のクロウ少佐(Major Crow)とボストウィック警視(Superintendent Bostwick)の2人が、署内の警視の部屋で、エリオット警部の到着を待っていた。時間を無駄にせず、エリオット警部は、早速、彼らからソドベリークロス村での毒殺事件にかかる説明を受ける。

ソドベリークロス村には、煙草店兼菓子店が3軒あるが、ミセス・テリー(Mrs. Terry)が営む店が一番人気だった。ミセス・テリーは陽気な人物で、テキパキしている上に、夫に先立たれた後、5人の子供を一人で養育していることもあって、人情的に、村の人達はミセス・テリーの店を贔屓にしていたのである。

事件当日の6月17日は金曜日で、市が立つ日だったため、村には沢山の人が集まって来ていた。午後4時頃、マージョリー・ウィルズ(Marjorie Wills)は、伯父であるマーカス・チェズニー(Marcus Chesney)の車で、村の肉屋まで買い物にやって来た。肉屋での買い物を終えたところで、彼女はお気に入りの子供であるフランキー・デール(Frankie Dale - 8歳)に偶然出会った。そして、彼女は、フランキーに「ミセス・テリーの店へ行って、チョコレート・ボンボンを3ペンス分買って来て。」と頼み、6ペンス銀貨を渡した。
フランキーは、マージョリーから頼まれた通り、肉屋から50ヤード程離れたところにあるミセス・テリーの店へとお使いに行き、3ペンス分のチョコレート・ボンボン6個を小さな紙袋に入れてもらって、マージョリーの元へと走って戻って来た。
その日は雨が降っていて、マージョリーは大きなポケットが付いたレインコートを着ていた。彼女はフランキーから受け取った紙袋をレインコートのポケットに一旦入れた後、考え直したように取り出し、紙袋を開けて、中を見た。すると、マージョリーは、「白いクリームが詰まったチョコレート・ボンボンではなく、ピンククリームのものが良いので、ミセス・テリーに交換してもらってほしい。」と言って、フランキーを再度ミセス・テリーの店へと行かせた。ミセス・テリーは親切に交換に応じ、ピンククリームが詰まったチョコレート・ボンボンが入ったチョコレート・ボンボンが入った紙袋を持って、フランキーはマージョリーの元に戻り、3ペンスの釣り銭をお駄賃にもらったのである。

お茶の時間のため、一度自宅に戻り、お茶を済ますと、フランキーは再度ミセス・テリーの店へ向かい、白いクリームが詰まったチョコレート・ボンボンを2ペンス分、そして、グミを1ペンス分購入した。
その後、午後6時15分頃、アンダーソン夫妻のところで働くメイドのロイス・カーテンが、夫妻の子供二人(トミー・アンダーソンとドロシー・アンダーソン)を連れて、ミセス・テリーの店にやって来て、様々な味のチョコレート・ボンボンを重さ半ポンド分買ったのである。

ドロシー・アンダーソンとトミー・アンダーソンが一口かじったチョコレート・ボンボンが変な味がすると言うので、メイドのロイス・カーテンがそれぞれ一口かじってみると、苦い味がするため、不良品と判断して、バックに入れ、折を見て、ミセス・テリーの店へ苦情を言いに行くことにした。その後、3人とも、チョコレート・ボンボンに混入されていたストリキニーネによる中毒症状に陥ったが、幸いなことに、誰も命を落とすことはなかった。

一方、マージョリーからお駄賃にもらった釣り銭でチョコレート・ボンボンを2ペンス分購入したフランキーは、全部飲み込むように食べてしまった結果、一時間程すると苦痛に襲われ、ひどくもがき苦しみながら、その日の夜11時に息を引き取った。

警察が分析した結果、以下のチョコレート・ボンボン10個に、それぞれ2グレイン(約130ミリグラム)を超えるストリキニーネが混入されていたことが判明。1グレインでも、致死量に達することがある。
(1)フランキー・デールが食べたチョコレート・ボンボン4個
(2)メイドのロイス・カーテンとアンダーソン夫妻の子供二人が一口ずつかじったチョコレート・ボンボン2個
(3)ロイス・カーテンがバックの中に入れた紙袋内に残っていたチョコレート・ボンボン2個
(4)ミセス・テリーの店に並べてあるチョコレート・ボンボン2個

クロウ本部長とポストウィック警視は、以下の3つの可能性を考えていた。
(1)ミセス・テリーが故意に毒入りのチョコレート・ボンボンを販売した可能性 → 当初、村人はこの可能性に反射的に反応して、大きな騒ぎになったが、それも2日程で落ち着き、今では誰も信じていない。
(2)当日の昼間、ミセス・テリーの店へ行った何者かが、ミセス・テリーが背を向けた隙に、毒入りのチョコレート・ボンボンを無害のチョコレート・ボンボンの中に加えた可能性
(3)マージョリー・ウィルズが、フランキー・デールから受け取った無害なチョコレート・ボンボン入りの紙袋を、自分のレインコートのポケット内で、予め準備しておいた毒入りのチョコレート・ボンボン入りの紙袋と取り替えた後、フランキーに渡して、ミセス・テリーの店へ戻らせた可能性

当時の昼間、マーカス・チェズニーとジョーゼフ(ジョー)・チェズニー医師(Dr. Joseph (Joe) Chesney)の2人は、ミセス・テリーの店を訪れていた。一方、ギルバート・イングラム教授(Professor Gilbert Ingram)とウィルバー・コメット(Wilbur Emmet)の二人は、ミセス・テリーの店へは行っていなかった。

クロウ本部長とポストウィック警視が、マージョリー・ウィルズを含むマーカス・チェズニーとその関係者を疑う中、ジョーゼフ・チェズニー医師から緊急の電話があった。マーカス・チェズニーが、自宅のベルガード館(Bellegarde)において、青酸により毒殺されたとの一報がもたらされたのである。

2019年8月11日日曜日

舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの(Sherlock Holmes and The Invisible Thing)」–その2

舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」のプログラム

現在、ルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House)において上演されている舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」の配役は、以下の通り。

(1)シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes): Mr. Stephen Chance
(2)ジョン・H・ワトスン(John H. Watson): Mr. Philip Mansfield
(3)ルーシー・グレンドル嬢(Miss Lucy Grendle): Ms. Vanessa-Faye Stanley
(4)ベティー・ロチェスター(Betty Rochesterーメイド): Ms. Imogen Smith
(5)ピーコック警部(Inspector Peacock): Mr. Doug Cooper

シャーロック・ホームズ(中央)、ジョン・H・ワトスン(右側)と
ルーシー・グレンドル嬢(左側)

Mr. Stephen Chance は、以前、舞台で二度(「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」と「最後の事件(The Final Problem)」)、シャーロック・ホームズを演じている。また、米国の小説家であるエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1849年→2017年1月28日付ブログで紹介済)が原作の「モルグ街の殺人(Murders in the Rue Morgue)」の舞台劇において、ホームズの先駆者であるC・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin→2017年2月4日付ブログで紹介済)も演じている。

シャーロック・ホームズ(右側)とルーシー・グレンドル嬢(左側)

舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」は、8月18日(日)まで、

月曜日: 休み
火曜日: 午後7時30分
水曜日: 午後3時+午後7時30分
木曜日: 午後7時30分
金曜日: 午後7時30分
土曜日: 午後3時+午後7時30分
日曜日: 午後3時

という日程で上演中である。

2019年8月10日土曜日

舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの(Sherlock Holmes and The Invisible Thing)」–その1

舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」のポスター

リージェンツパーク(Regent’s Park→2016年11月19日付ブログで紹介済)に沿って、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station → 2014年4月18日 / 4月21日 / 4月26日 / 4月27日 / 5月3日 / 5月10日 / 5月11日 / 5月18日付ブログで紹介済)からセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood→2014年6月17日付ブログで紹介済)へと向かって北上するパークロード(Park Road)沿いの35番地(35 Park Road, Marylebone, London NW1 6XT)に、ルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House)が建っている。

パークロード越しに、反対側の歩道から見た
ルドルフ・シュタイナーハウス

ルドルフ・シュタイナーハウス内にあるルドルフ・シュタイナー劇場(Rudolf Steiner Theatre)において、2019年7月17日(水)から同年8月18日(日)までの約1ヶ月間、舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの(Sherlock Holmes and The Invisible Thing)」が上演されている。

ルドルフ・シュタイナーハウスの窓に架けられた舞台劇の場面(その1)–
シャーロック・ホームズ(左側)とジョン・H・ワトスン(右側)

ルドルフ・シュタイナーハウスの窓に架けられた舞台劇の場面(その2)–
シャーロック・ホームズ(左側)とピーコック警部(右側)

同舞台劇は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)による原作に基づいたものではなく、英国の劇作家 / 脚本家であるグレッグ・フリーマン(Greg Freeman)による飜案である。

ルドルフ・シュタイナーハウスの窓に架けられた舞台劇の場面(その3)–
シャーロック・ホームズ

ルドルフ・シュタイナーハウスの窓に架けられた舞台劇の場面(その4)–
シャーロック・ホームズ(右側)とピーコック警部(左側)

グレッグ・フリーマンは、2014年にシャーロック・ホームズの記念すべき第1作「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」の舞台劇をサザーク劇場(The Southwark Playhouse)で上演した後、2016年に舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」をタバード劇場(Tabard Theatre)で既に上演している。

ルドルフ・シュタイナー劇場内に設置されている
ルーシー・グレンドル嬢が住む屋敷の写真

シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は、地元警察のピーコック警部(Inspector Peacock)に請われて、ある事件の捜査のため、ルーシー・グレンドル嬢(Miss Lucy Grendle)が住む屋敷へとやって来た。
同席したピーコック警部によると、屋敷に隣接する湖から男性の溺死体が上がった、とのこと。複数の証人が目撃したところでは、当該男性は、自ら湖へと身を投げた訳ではなく、目に見えない何かに数回押されて、湖へと突き落とされたように見えたそうである。
そうだとすると、単なる自殺ではなく、殺人ということになる。しかし、どのような方法によれば、他の人達から見えないまま、その男性を湖へと突き落とすことができたのだろうか?

「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」が上演される舞台セット

不思議な謎に挑もうとするホームズとワトスンであったが、彼らが滞在するルーシー・グレンドル嬢の屋敷内で、奇妙な音が聞こえてきたり、天井から吊り下げられた燭台が風もないにもかかわらず大きく揺れたり、また、壁に架かった絵画が突然落ちたりと、怪異な現象が何度も発生する。
一方で、ルーシー・グレンドル嬢の亡くなった父親アルフレッド・グレンドル(Alfred Grendle)には、良くない噂があり、どうやら人身売買を生業にしていたことが判ってくる。

果たして、ホームズとワトスンの二人は、この謎を解明することができるのだろうか?

2019年8月4日日曜日

ロンドン ウェルロード24番地 / キャノンコテージ(24 Well Road / Cannon Cottage)–その2

ウェルロードから見たウェルロード24番地の「キャノンコテージ」

1931年に小説第1作「愛は全ての上に(The Loving Spirit)」を出版し、小説家デビューの翌年の1932年に英国陸軍少佐(Major)のサー・フレデリック・アーサー・モンタギュー・ブラウニング(Sir Frederick Arthur Montague Browning:1896年ー1965年→後に中将(Lieutenant-General)まで昇進)と結婚したディム・ダフニ・デュ・モーリエ(Dame Daphne du Maurier:1907年ー1989年)は、2人の娘(長女:テサ(Tessa:1933年生まれ)と次女:フラヴィア(Flavia:1937年生まれ))と1人の息子(長男:クリスチャン(Christian:1940年生まれ))を育てながら、作家として、

(1)「埋もれた青春(Jamaica Inn)」(1936年)
(2)「レベッカ(Rebecca)」(1938年)
(3)「情炎の海(Frenchman’s Creek)」(1941年)
(4)「レイチェル(My Cousin Rachel)」(1951年)
(5)「鳥(The Birds)」(1952年ー短編集)
(6)「いま見てはいけない(Don’t Look Now)」(1971年ー短編集)

等の代表作を出版して、ベストセラー作品となった。


ディム・ダフニ・デュ・モーリエが執筆した作品群

また、英国の映画監督 / 映画プロデューサー / 脚本家であるアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock:1899年ー1980年)が、

・「埋もれた青春」→「巌窟の野獣」(1939年)
・「レベッカ」(1940年)ーアカデミー作品賞を獲得
・「鳥」(1963年)

を映画化して、ダフニ・デュ・モーリエは、小説の映像化でも、成功を納めた



ダフニ・デュ・モーリエは、子供の時に遊びに行ったコンウォール州(Cornwall)を一目で気に入って、人生の大半を主にコンウォール州のフォーイ(Fowey)で過ごし、彼女の作品の多くが、コンウォール州を物語の舞台としている。

コンウォール州で購入した
ダフネ・デュ・モーリエ自身と彼女の作品に関連する場所を題材にした
絵葉書

小説や映画等で自分が有名になっていくにつれて、あまり社交的ではなかった彼女は、逆に世間を避けて、隠遁生活へと入っていった。
そして、夫のフレデリックが1965年に亡くなると、直ぐに彼女はコンウォール州のキルマース村へと転居し、そこを舞台にして、1969年、「わが幻覚の時(The House on the Strand)」を発表した。
同年、彼女は大英帝国勲章(The Order of the British Empire)のナイト・コマンダー(Dame Commander)の爵位を受けているので、以降、正式には「Lady Browning, Dame Daphne du Maurier」と呼ばれるが、彼女がこの称号を使用したことは、一度もない。


1989年4月19日、ダフニ・デュ・モーリエは、キルマース村の自宅において、81歳の生涯を終えた。そして、彼女の遺志により、遺体は火葬された後、遺灰はキルマースに撒かれた。


ダフニ・デュ・モーリエが、1932年から1934年までの間住んでいたウェルロード24番地(24 Well Road)の建物である「キャノンコテージ(Cannon Cottage)」について、2008年6月、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)は、ブループラークの認定を行わず、その対応は世間から批判された。

ダフニ・デュ・モーリエが、1932年から1934年までの間、ここに住んでいたことを記す
プラークが、ヒース&ハムステッド ソサイエティーによって設置されている。

その代わりに、ヒース&ハムステッド ソサイエティー(Heath & Hampstead Society)が、2011年にウェルロード(Well Road)に面したキャノンコテージの塀に、ダフニ・デュ・モーリエがここに住んでいたことを記すプラークを設置したのである。


2019年8月3日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「緑のカプセルの謎」(The Problem of the Green Capsule by John Dickson Carr)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「緑のカプセルの謎」の表紙−
カバーイラスト:榊原 一樹氏
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏

「緑のカプセルの謎(The Problem of the Green Capsule)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1939年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第10作目に該る。

物語は、ポンペイ(Pompeii)の廃墟の場面から始まる。

ロンドン警視庁犯罪捜査部(スコットランドヤード CID)のアンドルー・マッカンドルー・エリオット警部(Inspector Andrew MacAndrew Elliot)は、公務でイタリアのナポリに一週間滞在した。9月19日(日)の午後になって、漸く時間が空いたエリオット警部は、夕刻、ローマ、そして、パリを経由して、ロンドンへと戻る前に、観光を兼ね、ポンペイの廃墟を訪れた。ひたすら暑く、静まり返ったその日の午後のことは、彼にとって、忘れられない出来事となったのである。

太陽が照りつけて、一日の中でも気だるくなる時間帯、エリオット警部は、ポンペイを囲む壁の外にある墓場通りに立っていた。彼は墓場通りを進み、町の果てに辿り着くと、霊廟の間に、ポンペイ繁栄の絶頂期に建てられた貴族の別荘が見えた。興味を持った彼が中に入ってみると、仄暗く、湿っぽい匂いがする大広間の先には、列柱廊に囲まれた庭があり、日光が燦々と降り注いでいた。庭には夾竹桃(きょうちくとう)が満開で、赤松に囲まれた崩れた噴水の横には、旅行者一行が居て、英語の会話がエリオット警部の耳に聞こえてきた。

旅行者一行は、同年の6月17日(金)にバース(Bath)に近いソドベリークロス村(Sodbury Cross)にある煙草店兼菓子店において、その店頭で売られていたチョコレート・ボンボンに猛毒のストリキニーネが混入され、それを食べた子供達の一人(フランキー・デール(Frankie Dale))が亡くなった事件を話題にしていたのである。

エリオット警部が偶然遭遇した旅行者一行は、以下の6名。
(1)マーカス・チェズニー(Marcus Chesney): 桃栽培を営む実業家で、資産家
(2)マージョリー・ウィルズ(Marjorie Wills): マーカス・チェズニーの姪
(3)ジョーゼフ(ジョー)・チェズニー(Dr. Joseph (Joe) Chesney): マーカス・チェズニーの弟で、医師
(4)ウィルバー・エメット(Wilbur Emmet): チェズニー家の果樹園の責任者
(5)ギルバート・イングラム(Professor Gilbert Ingram): マーカス・チェズニーの友人で、引退した大学教授
(6)ジョージ・ハーディング(George Harding): マージョリー・チェズニーの婚約者で、化学者

最初の5人はソドベリークロス村に住んでいるが、事件を巡って村人が疑心暗鬼になっていることに加えて、亡くなった子供(フランキー)はマージョリー・ウィルズが特に可愛がっていた子であり、彼女が精神的にまいってしまったため、事件後、3ヶ月間の休暇を取って、療養を兼ね、皆で海外へと出ていたのである。その旅行中、マージョリー・ウィルズは、ジョージ・ハーディングと知り合ったのであった。

他の者に「ここは誰の家なのか?」と尋ねられたジョージ・ハーディングは、手にしたガイドブックを見て、答えた。「アウルス・レピドュス館。別名は、毒殺者の家です。」と。

沈黙が支配する旅行者一行をその場に残して、エリオット警部は、毒殺者アウルス・レピドュスの館を後にした。

それから半月後の10月3日、エリオット警部は、上司のハドリー警視(Superintendent Hadley)から、ソドベリークロス村での毒殺事件の捜査を地元警察から引き継ぐよう命じられ、宿命のようなものを感じながら、愛車でロンドンを出発して、ソドベリークロス村へと向かったのである。