英国海軍の500周年を記念して、 2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、 7番目に紹介するのは、「HMS キング・ジョージ5世」で、 英国王ジョージ5世の名を冠した戦艦である。 |
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、7番目に紹介するのは、「HMS キング・ジョージ5世(HMS King George V)」である。
「HMS キング・ジョージ5世」は、第二次世界大戦(1939年-1945年)前に、英国海軍が建造した超弩級戦艦である。
英国海軍は、第一次世界大戦(1914年-1918年)を経た旧式の戦艦が大多数を占めていたため、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約(Washington Naval Treaty → 米国、英国、日本、フランスやイタリアの戦艦 / 航空母艦等の保有制限を取り決めた)中の1928年に、新型戦艦の設計が既に進められていた。
国際連盟脱退に続く日本による条約破棄に伴い、1936年12月にワシントン海軍軍縮条約が失効すると、1937年1月1日、ニューカッスル・アポン・タイン(Newcastle-Upon-Tyne)に所在したヴィッカース・アームストロング社(Vickers-Armstrong)のウォーカー造船所において、新型戦艦の建造が起工。
同艦は、1939年2月21日に進水式を迎え、1940年10月1日に就役したが、最終的に竣工したのは、同年12月11日である。
同艦は、当初、英国であるジョージ6世(George VI:1895年ー1952年 在位期間:1936年-1952年)に因んで、「HMS キング・ジョージ6世」と命名される筈であったが、ジョージ6世の希望により、父王であるジョージ5世(George V:1865年ー1936年 在位期間:1910年ー1936年)の名前が冠されて、「HMS キング・ジョージ5世」と命名された。1912年に就役した「キング・ジョージ5世」があるため、「キング・ジョージ5世」の名を冠する戦艦として、2代目に該る。
ジョージ5世時代(1913年)に発行された切手の図案をベースにして、 英国のロイヤルメールが発行した切手 |
同型艦は、「HMS キング・ジョージ5世」以外に、4艦が建造され、
(1)HMS Prince of Wales(就役年月:1941年1月19日)
(2)HMS Duke of York(就役年月:1941年8月19日)
(3)HMS Anson(就役年月:1942年4月14日)
(4)HMS Howe(就役年月:1942年6月17日)
の名が冠された。
なお、上記(1)の「Prince of Wales」は、ジョージ5世の長男で、後の英国王エドワード8世(Edward VIII:1894年ー1972年 在位期間:1936年1月20日ー同年12月11日)を、上記(2)の「Duke of York」は、ジョージ5世の次男で、後の英国王ジョージ6世を指し、上記(3)と(4)は、18世紀の海軍提督である George Anson, 1st Baron Anson と Richard Howe, 1st Earl Howe の名を冠している。
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「HMS キング・ジョージ5世」の全長は約227m、最大幅は約32m、満載排水量は約44,500t。
前部に2基(4連装+連装)、後部に1基(4連装)の主砲塔を備えた特徴的な配置で、キング・ジョージ5世級戦艦以外に、同様の配置はない。当初、4連装の主砲塔3基を搭載する予定であったが、防御力向上のため、装甲を増やした結果、重量調整の関係上、4連装が3基から2基へと減らされたのである。
1940年に就役した後、「HMS キング・ジョージ5世」は、英国海軍の本国艦隊の旗艦となり、以下の作戦に参加した。
(1)ドイツ戦艦「ビスマルク(Bismarck)」追撃作戦(1941年)
(2)大西洋船団護衛
(3)北洋船団護衛
(4)シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦(Operation Husky))(1943年)
1945年3月、「HMS キング・ジョージ5世」は、英国太平洋艦隊に配属され、日本が降伏する同年8月まで、
(5)沖縄攻略
(6)日本本土上陸予備作戦
等に参加。
第二次世界大戦後の1949年に退役、1957年に除籍され、その後、スクラップの上、売却された。
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