英国海軍の500周年を記念して、 2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうち、 4番目に紹介するのは、 英国の自然学者 / 生物学者であるチャールズ・ロバート・ダーウィンが乗艦したことで 有名な「HMS ビーグル」。 |
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に王立海軍こと英国海軍の500周年を記念して発行した8種類の切手のうち、4番目に紹介するのは、「HMS ビーグル(HMS Beagle)」である。
「HMS ビーグル」は、1817年2月16日の発注に基づき、テムズ河(River Thames)沿いのウールウィッチ造船所(Woolwich Dockyard)において、1818年6月に着工され、約4年後の1820年5月11日に進水式を迎えた。建造費用は、当時の換算で、7,803ポンドであった。
そして、野兎狩りに使われる猟犬のビーグルに因んで、当艦は「HMS ビーグル」と名付けられた。
「HMS ビーグル」は、英国海軍のチェロキー級ブリッグで、
全長: 約28m
重量: 約 235t(第2次航海時 - 約 242t)
兵装: 10門 → 6門(第1次航海時) → 7門(第2次航海時)
そして、乗組員は約120名にのぼる。
進水式を迎えた後、同年7月、「HMS ビーグル」は、ハノーヴァー朝の国王ジョージ4世(George IV:1762年ー1830年 在位期間:1820年-1830年)の戴冠式を祝う観艦式に参加したが、その後の5年間は、予備艦となっていた。
その後、「HMS ビーグル」は、ブリッグ船から調査用のバーク船へと改装され、3度の探検航海に参加した。
<第1次航海>
・期間: 1826年5月22日 - 1830年10月14日
・目的: パタゴニアとティエラ・デル・フエゴ諸島の水路調査
・船長: プリングル・ストークス(鬱病のため、1828年8月2日、拳銃で自殺 → 副長のW・G・スカイリングとパーカ・キングがストークス船長の後を引き継いだ) → ロバート・フィッツロイ(1828年12月15日、南米方面の司令官であるロバート・オットウェイ少将の部下で、彼の指名を受けて、船長に就任)
<第2次航海>
・期間: 1831年12月27日 - 1836年10月2日
・目的: 2度目の南米調査
・船長: ロバート・フィッツロイ(Robert FitzRoy:1805年ー1865年)
自然史博物館(Natural History Museum)内の中央大階段の途中に設置されている チャールズ・ダーウィン像 |
第2次航海には、英国の自然学者 / 生物学者であるチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2017年4月15日付ブログで紹介済)も参加している。第2次航海等で学んだ彼は、「自然選択」と呼ぶプロセスを通して、「全ての生物種は、共通の祖先から長い間をかけて分岐し、常に環境に適応するように変化して、多様な種が生じる。」と主張し、1859年11月に進化論についての著作「種の起源(On the Origin of Species)」を出版したのである。
バーリントンハウス(Burlington House)内に入居している リンネ式動植物分類学協会(Linnean Society)内に架けられている チャールズ・ダーウィンの肖像画 |
<第3次航海>
・期間: 1837年4月 - 1843年
・目的: オーストラリア沿岸の調査
・船長: ジョン・クレメンツ・ウィッカム → ジョン・ロート・ストークス(ジョン・クレメンツ・ウィッカムが病気になったため、1841年3月に指揮を引き継いだ)
1845年、「HMS ビーグル」は退役し、常設沿岸警備監視船として改装された後、エッセクス州(Essex)の沿岸からテムズ河北岸にかけて行わている密輸を監視するため、関税消費税庁へと移管された。
その後、「HMS ビーグル」は、ローチ川の中流に係留されたが、1870年に売却され、解体された。
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