英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から 2009年に出版されているダニエル・スタシャワー作 「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 心霊体の男」(1985年)の表紙 |
作者のダニエル・スタシャワー(Daniel Stashower:1960年ー)は、米国オハイオ州クリーブランド出身で、同国ワシントン D. C. 在住の作家兼マジシャンである。
ダニエル・スタシャワーは、1985年に発表した処女作である本作品により、MWA(米国探偵クラブ作家賞)にノミネートされている。
1910年4月、米国において「脱出王」の異名をとったユダヤ人の奇術師であるハリー・フーディーニ(Harry Houdini:1874年ー1926年)の話題で、ロンドンは持ち切りであった。
フーディーニは、サヴォイ劇場(Savoy Theatre)で世紀の脱出芸を行っていたが、更に、スコットランドヤードの独房に志願して入り、そこからも見事抜け出して見せたのである。フーディーニの独房からの脱出劇を目の当たりにしたスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)も、フーディーニには、自分の全身を心霊体(エクトプラズム)にして、物質をすり抜ける超能力があると信じる程だった。
そんなある日、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)に下宿しているシャーロック・ホームズの元を、ベアトリス・フーディーニ(Beatrice Houdini)、つまり、フーディーニ夫人が訪ねて来る。
フーディーニ夫人によると、5年程前、フーディーニがオランダの劇場に出演した際、彼の元にクレッピーニ(Kleppini)という男の新聞記事が送られてきた。ドイツ人のマジシャンであるクレッピーニは、「手錠抜けの王の王」と自称し、公開勝負でフーディーニを打ち負かしたと、その記事の中で語っていたのである。
その記事を読んで激怒したフーディーニは、クレッピーニが手錠抜け芸を行っているドイツのドルトムントに乗り込んだが、当初、クレッピーニも、彼のエージェントも、フーディーニに会うことも、公開勝負を行うことも、拒否した。
そこで、フーディーニは、口髭と顎髭で老人に変装した上で、クレッピーニの手錠抜け芸に出かけ、彼の芸が行われている間に舞台に走り寄って、変装を解き、観客の面前で公開勝負を挑んだ。
翌日の晩に、公開勝負が行われ、クレッピーニと彼のマネージャーが手錠を開ける単語を事前に知ってズルをしようとしたが、フーディーニはそれを逆手に取り、クレッピーニを満員の観客の前でコテンパンにして、大恥をかかせた。
それから5年が経ち、フーディーニ夫妻は、クレッピーニの消息をほとんど聞かなかったが、クレッピーニは、フーディーニを打ち負かしたという嘘を未だに言い続けているという報告を受けていた。
そして、今朝、朝一番の配達で、変な手紙が、フーディーニの元に届けられた。その手紙には、「どちらがペテン師なのか、今夜、我々は知ることになる。(Tonight who the fraud is we shall see.)」と書かれていたのである。
フーディーニ夫人は、これを夫に対する脅迫と捉え、ホームズに夫のボディーガードを依頼するが、何故か、ホームズは、この依頼を断ってしまう。
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