英国の Lighting Source UK Ltd. から出版されている デイヴィッド・ラッフル作 「シャーロック・ホームズとライムレジスの恐怖」の表紙 - 元々は2009年に発表されたが、 2011年に増補版が刊行されている。 |
1896年5月後半のある金曜日、ジョン・H・ワトスンは、旧友のゴッドフリー・ジェイコブス(Godfrey Jacobs)から手紙を受け取る。ゴッドフリー・ジェイコブスは、英国南西部にあるドーセット州(Dorset)ライムレジス(Lyme Regis - 化石が見つかる海岸線で有名)で開業医をしており、ワトスンに保養に来ないかという誘いの手紙であった。
幸いにして、シャーロック・ホームズは、その時点で手掛けている事件がなく、ワトスンの誘いに案外簡単に応じて、二人はライムレジス行きの列車に乗るべく、ウォータールー駅(Waterloo Station)へと向かった。
ライムレジス駅に到着したホームズとワトスンの二人を、ジェイコブス医師が予め手配した馬車ならぬ犬車が待っていて、彼らが泊まる宿へと運ぶ。宿に着いた二人、特に、ワトスンは、宿を経営するヘイドラー夫人(Mrs. Heidler)に会って、非常に驚く。何故ならば、3年程前に亡くなったワトスン夫人だったメアリー・モースタン(Mary Morstan)にとてもよく似ていたからである。
二人が宿の入口で会った少年は、彼女の息子であるナサニエル(Nathaniel)で、16歳になろうとしていた。ヘイドラー夫人によると、ボーア戦争(第一次:1880年ー1881年)で夫を亡くし、未亡人となった彼女は、まだ8ヶ月だった息子を抱え、これまでとても苦労した、とのこと。息子のナサニエルは、彼女の宿を手伝うのではなく、街中の「赤い獅子(Red Lion)」という宿で、靴磨きとして働いて、彼女の家計を助けていた。
彼女の話を聞くワトスンは、亡き妻メアリーを思い出していた。
午後、ライムレジスを散策した二人は、夕方、ジェイコブス家を訪ね、ジェイコブス医師、彼の妻サラ(Sarah)、彼の長男で9歳のアーサー(Arthur)、そして、彼の次男で7歳のセシル(Cecil)に会う。アーサーとセシルは、有名な諮問探偵であるホームズに会えて大喜びで、ホームズに対して根掘り葉掘りで質問を浴びせる。そんな彼らの様子に、ホームズも満更ではなさそうで、ワトスンとしては、ホームズをライムレジスに連れてきて良かったと感じていた。
夜が更けて、アーサーとセシルが床に就き、ホームズ、ワトスン、ジェイコブス医師とサラの四人になると、ジェイコブス医師は、ホームズとワトスンの二人に対して、現在、ライムレジスで起こっている奇妙な出来事について話を始め、二人に真相の解明を依頼するのであった。ジェイコブス医師の話とは、次のようだった。
4月の第2週の金曜日の晩、日没前のこと。当日は穏やかな一日だったが、何処からともなく、強風が吹きつけ、港内の船はオモチャのように揺れ、高波が港へと押し寄せた。
その大混乱の中、一隻の帆船が強風によって港の方向へと流されてきた。救命ボートが帆船に接舷して、救命ボートの乗組員達が帆船に乗船してみると、不思議かつ奇妙なことに、誰も居なかったのである。東ヨーロッパから来たのではないかと言う者も居たが、正直なところ、この帆船が何処から来て、何処へ向かおうとして居たのか、全く不明であった。
帆船の近くの海を漂っていた積荷の箱3つが、岸に打ち上げられていた。村人達が積荷の箱を開けて、中を調べてみたが、これもまた奇妙なことに、中には土壌しか入っていなかった。土壌しか入っていない積荷の箱は、港の倉庫で保管されることになった。
3日目の晩、午後8時頃に倉庫番が倉庫を施錠しようとした際、積荷の箱の持ち主だと言う人物が現れたのである。彼は、背が高く、禿げ上がった頭で、全てを貫き通すような目をしていた。また、彼は、足元まで届くような長く黒いシルクのクロークを着ていた。彼は、トランシルヴァニア(Transylvania)地方の貴族オルラーナ伯爵(Count Orlana)と名乗った。
彼曰く、積荷の箱は自分の物で、黒海(Black Sea)経由、彼の本国からライムレジスへ向けて発送した、とのこと。また、彼は、倉庫番に対して、トランシルヴァニア地方特有の植物をライムレジスで育てるために、積荷の中の土壌が必要なのだと説明する。オルラーナ伯爵と名乗る人物は、積荷の箱が自分の物であることを証明する書類を提示することはできなかったが、積荷の中には土壌しか入っていなかったため、倉庫番はオルラーナ伯爵に積荷を引き渡した。オルラーナ伯爵は、従者2人に命じて、積荷の箱を馬車に載せると、運び去ったのであった。
オルラーナ伯爵とは、一体、何者なのであろうか?
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