2020年8月15日土曜日

ミッチ・カリン作「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件」<小説版>(Mr Holmes by Mitch Cullin )−その1

2015年に Cannongate Books 社から出版された
ミッチ・カリン作「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件」の表紙 -
2005年に米国で、また、2014年に英国で出版された際、
「A Slight Trick of the Mind」という原題であったが、
2015年の映画公開に伴って、題名が変更された。

米国の作家であるミッチ・カリン(Mitch Cullin:1968年-)が2005年に発表した「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件(Mr Holmes)」は、3つの話が並行的に進行する。

<1つ目の話>
1947年、シャーロック・ホームズが諮問探偵業から引退し、ロンドンを離れてから、既に40年以上が経過していた。引き続き、彼は、引退先であるサセックス州(Sussex)丘陵の農場で暮らしており、手記を書いたり、蜜蜂の世話をしたりして、毎日を過ごしていた。未亡人のムンロ夫人(Mrs. Munro)が家政婦としてホームズの世話をし、彼女の息子であるロジャー・ムンロ(Roger Munro)が助手として蜜蜂の世話を手伝っていた。
ホームズは、日本の広島への旅から英国へと丁度戻ったところであった。広島での出来事を振り返り、ホームズは、若い頃のような絶対的な知力が自分にはもうないと思い、知力の衰えと格闘していたのである。
そんな中、彼が思い出すのは、彼が諮問探偵業から引退する引き金となったある事件であった。

<2つ目の話>
1902年の春、ジョン・H・ワトスンは3度目の結婚をするため、クリーン アン ストリート(Queen Anne Street→2014年11月15日付ブログで紹介済 / 多くの医者が開業しているハーリーストリート( Harley Street → 2015年4月11日付ブログで紹介済)の近く)に部屋を借りていて、ベーカーストリート221Bには、ホームズ一人であった。そこへ、トマス・R・ケラー(Thomas R. Keller)と名乗る青年が、ホームズの元を相談に訪れる。
ケルモット氏は、ホームズに対して、「2年前に結婚してから、妻のアン(Ann)が2回連続して流産し、医者からは「今後、子供を授かることは難しい。」と言われた。」と語った。ケルモット氏は、妻の気持ちを落ち着かせる精神的なケアの意味もあって、アンにドイツ人のマダム シルマー(Madame Shirmer)のところへアーモニカ(Armonicaー金属やガラス片を長い順に並べて、スティックで打つ楽器)を習いに行かせた。それ以降、妻の様子がおかしくなったと言うのだ。妻の案は、マダム シルマーのところから戻って来ると、屋根裏部屋で楽器の練習をしているのだが、彼女以外、部屋には誰も居ないにもかかわらず、誰かと会話をしていると、ケルモット氏は語った。彼は、マダム シルマーが妻のアンを精神的に操っているのではないかと心配していた。
ケルモット氏の依頼を受けたホームズは、早速、アン・ケルモットの後をつける。彼女は、夫名義で小切手を振り出して、それを現金化したり、また、薬局で毒薬を購入したりと、非常に怪しい行動を繰り返している。
果たして、彼女は、夫のケルモット氏を殺害しようと計画しているのだろうか?

<3つ目の話>
ホームズは、知り合いのタミキ・ウメザキ(Tamiki Umezaki)を訪ねて、神戸に居た。
ホームズがウメザキ氏を訪ねたのは、知力の衰えを防ぐために、ウメザキ氏から煮ごこりを手に入れる必要があったからである。一方で、ウメザキ氏の方にも、ホームズに尋ねたい重要なことがあった。
ホームズは、ウメザキ氏によって、広島を案内される。その際、ホームズは、ウメザキ氏から次のような話を聞かされる。ウメザキ氏の父親は日本政府で働いていたが、政府内での権力闘争に敗北して、失脚。その後、ウメザキ氏の父親は、単身ロンドンへと向かう。そして、ウメザキ氏が父親から受け取った手紙には、「ロンドンにおいて、著名な探偵であるシャーロック・ホームズ氏に相談した結果、暫くの間、英国に留まることに決めた。」ということが書かれてあった。ウメザキ氏は、ホームズに対して、「自分の父親の居場所を知らないか?」と尋ねるが、ホームズは「君の父親に会った記憶はない。」と答えるだけであった。

そして、また、1つ目の話へと戻る。

<1つ目の話>
そんなある日、ムンロ夫人は、養蜂場の近くで、死体を発見する。それは、彼女の息子であるロジャーだった。彼には、何かに何度も刺された痕があった。
果たして、それは…

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