2015年3月14日土曜日

ロンドン ハイドパーク(Hyde Park)

ヴィクトリアゲート近くにあるハイドパーク内の案内板
ー案内板の左上にみえる赤い丸が現在位置を示している

サー・アーサー・コナン・ドイル作「独身の貴族(The Noble Bachelor)」(出版社によっては、「花婿失踪事件(A Case of Identity)」との対比から「花嫁失踪事件」と訳しているケースあり)において、1887年10月、ロバート・ウォルシンガム・ド・ヴェア・セント・サイモン卿(Lord Robert Walsingham de Vere St Simon)との結婚式の後、花嫁であるハティー・ドラン(Hatty Doran)が披露宴の席上、気分がすぐれないと言って自室に引き下がり、そのまま姿を消してしまったのである。セント・サイモン卿がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、ドラン嬢の行方を捜してほしいと依頼する。

奥にみえるのが、サーペンタイン湖

緑が芽吹き始め、春の到来を告げる

そして、セント・サイモン卿からドラン嬢の失踪直前の様子が語られる。また、ドラン嬢の父であるアロイシウス・ドラン氏(Mr Aloysius Doran)の家に突然訪ねて来て、執事と従僕に押し返されたフローラ・ミラー(Flora Millar:バレエダンサー)と恋愛関係にあったことを、セント・サイモン卿は認める。

ハイドパーク内の樹々はまだ葉をつけておらず、
冬の状態が続いている

「それでは、あなたの奥様は、結婚式に行く前よりも楽しくなさそうな御様子で、式から戻って来たということですね。奥様の父上の家かに戻って来た時、奥様は何をされましたか?」
「妻がメイドと話をしているのを見ました。」
(中略)
「メイドとの話が終わった後、奥様はどうされましたか?」
「妻は朝食が用意されている部屋へ歩いて行きました。」
「あなたの腕につかまってですか?」
「いいえ、一人です。そういうちょっとしたことに関して、妻は独立心が強いのです。それから。私達が席についてから10分程経った後、妻は急に立ち上がり、謝罪の言葉をつぶやいて、部屋を出て行きました。その後、妻は戻って来ませんでした。」
「しかし、メイドのアリスによると、奥様は部屋に戻った後、結婚式の衣装の上に長いアルスターコートを羽織り、そして帽子をかぶって外へ出て行かれたそうですね。」
「その通りです。そして、その後、妻はフローラ・ミラーと一緒に、ハイドパークへ歩いて入って行くのを目撃されています。フローラ・ミラーは現在拘留中で、その朝ドラン氏の家で既に一悶着を起こしていました。」

ハイドパーク内では、乗馬の練習が行われている

'Lady St Simon, then returned from the wedding in a less cheerful frame of mind than she had gone to it. What did she do on re-entering her father's house ?'
'I saw her in conversation with her maid.'
(中略)
'And what did your wife do when she finished speaking to her maid ?'
'She walked into the breakfast-room.'
'On your arm ?'
'No, alone. She was a very independent in little matters like that. Then, after we had sat down for ten minutes or so, she rose hurriedly, muttered sone words of apology, and left the room. She never came back.'
'But this maid, Alice, as I understand, deposes that she went to her room, covered her bride's dress with a long ulster, put on a bonnet, and went out.'
'Quite so. And she was afterwards seen walking into Hyde Park in company with Flora Millar, a woman who is now in custody, and who had already made a disturbance at Mr Doran's house that morning.'

冬の太陽のまだ弱い光の中に立つ樹々

セント・サイモン卿と結婚したハティー・ドランが、彼と恋愛関係にあったフローラ・ミラーと連れ立って入って行ったハイドパーク(Hyde Park)は、ロンドン西部のマーブルアーチ(Marble Arch)とノッティングヒル(Notting Hill)を結ぶベイズウォーターロード(Bayswater Road)の南側に広がる広大な公園である。厳密には、別の公園で隣にあるケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)を含めると、ハイドパークは全体で約2.5㎢(ハイドパーク:約1.4㎢+ケンジントンガーデンズ:約1.1㎢)の広さを誇る。

冬の寒空の下、地面は蒼々としつつある

ハイドパーク一帯は、11世紀頃からウェストミンスター修道院(Westminster Abbey:現ウェストミンスター寺院)が所有していたが、1536年にチューダー朝のヘンリー8世(Henry Ⅷ:1491年ー1547年)が修道院解散令でこの土地を召し上げた以降、英国王家の狩猟場として使用された。公園として一般に開放されるようになったのは、ステュアート朝のチャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年)治世の1637年のことである。隣接するケンジントンガーデンズは、当時はまだハイドパークの一部であった。
ハノーヴァー朝のジョージ2世(George Ⅱ:1683年ー1760年)の妃のキャロライン王妃(Queen Caroline:1683年ー1737年)は、国情に疎く、思慮にも欠けると言われた国王の助言役となり、当時の首相ロバート・ウォルポール(Robert Walpole:1676年ー1745年)と連携して、国王に代わり、安定した統治を行ったことで知られている。彼女は、学問や芸術に加えて、造園にも造詣が深く、彼女の指示で公園内にサーペンタイン湖(The Serpentine)が設けられた。サーペンタイン湖が完成したのは、1733年である。サーペンタイン湖が設けられたことに伴い、公園の東側はハイドパークに、そして、公園の西側はケンジントンガーデンズとして、正式に分けられることとなった。また、1826年に湖の途中に橋が架けられたことに伴い、北側の湖をロングウォーター(The Long Water)に、そして、南側の湖をサーペンタイン湖として分けて呼ばれるようになった。
1851年にハイドパークは万国博覧会(The Great Exhibition)の会場となり、公園の南側にジョーゼフ・パクストン(Joseph Paxton)の設計によるクリスタルパレス(Crystal Palace)が建設された。万国博覧会終了後、クリスタルパレスが公園内に残ることを一般大衆が望まなかったため、パクストンは資金を募り、パレスをロンドン南部へ移設するという憂き目をみた。

ヴィクトリアゲートの柱

ヴィクトリアゲートの上にある像

手前にみえるのが、ハイドパーク内を南北に縦断している
ウェストキャレッジドライブ

現在、地下鉄のランカスターゲート駅(Lancaster Gate Tube Station)近くにあるヴィクトリアゲート(Victoria Gate)から公園内へ車で乗り入れることが可能で、ウェストキャレッジドライブ(West Carriage Drive)を通って、公園の北側から南側へと公園を縦断することができる。


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