2015年3月21日土曜日

ロンドン ゴードンスクエア226番地(226 Gordon Square)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「独身の貴族(The Noble Bachelor)」(出版社によっては、「花婿失踪事件(A Case of Identity)」との対比から「花嫁失踪事件」と訳しているケースあり)において、1887年10月、ロバート・ウォルシンガム・ド・ヴェア・セント・サイモン卿(Lord Robert Walsingham de Vere St Simon)との結婚式の後、花嫁であるハティー・ドラン(Hatty Doran)が披露宴の席上、気分がすぐれないと言って自室に引き下がり、そのまま姿を消してしまったのである。セント・サイモン卿がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、ドラン嬢の行方を捜してほしいと依頼する。

ゴードンスクエアの南西の角に建つ
クライスト・ザ・キング教会(Church of Christ the King)

セント・サイモン卿の説明を一通り聞いただけで、ホームズは直ぐに事件の真相を解き明かしてしまう。そして、ホームズはジョン・ワトスンをベーカーストリート221Bに残したまま外出する。その間に、ホームズとワトスンを含めて、5人分の夕食が用意される。ホームズによると、3人の来客があると言う。その一人はセント・サイモン卿、あとの二人はフランシス・ヘイ・モールトン夫妻(Mr and Mrs Francis Hay Moulton)で、なんと、モールトン夫人は行方不明になっていたドラン嬢だったのである。そして、彼女の口から事の顛末が語られるのであった。

ゴードンスクエア内にある中庭入口から撮った中庭内

「私が朝食のテーブルの席について10分も経過しないうちに、道路の反対側にフランク(フランシス・ヘイ・モールトンのこと)が居るのが窓越しに見えました。彼は私に手招きして、それからハイドパーク内へ歩いて行きました。っ私は席を中座し、コート等を着て、彼の後を追いました。知らない女性が、セント・サイモン卿のことについて何か話しながら、私へ近づいて来ました。彼女の話によると、セント・サイモン卿には結婚前にちょっとした秘密があるとのことでしたが、私はなんとか彼女を振り切って、直ぐにフランクに追い付きました。私達は馬車に一緒に乗って、フランクがゴードンスクエアに用意していた家へ向かいました。そして、これが私が何年も待ち望んでいた真の結婚式でした。フランクはアパッチインディアンに捕えられていましたが、なんとか脱出し、サンフランシスコまで来ました。私が彼を死んだものと諦めて、英国へ行ったことを彼はそこで知り、ここまで私の後を追って来たのです。そして、私の2度目の結婚式のまさにその朝、遂に彼は私と再会した訳です。」
「新聞で読んだんです。」と、米国人(フランク)は説明した。「新聞に名前と教会は載っていましたが、彼女(ハティー・ドラン)がどこに住んでいるのかは判りませんでした。」

「ゴードンスクエアガーデン(Gordon Square Garden)」の沿革を示す
中庭内の立て看板
中庭内からゴードンスクエアの西側に建つ
王立哲学協会(The Royal Institute of Philosophy)の建物を望む

'I hadn't been at the table ten minutes before I saw Frank out of the window at the other side of the road. He beckoned to me and then began walking into the park. I slipped out, put on my things, and followed him. Some woman came talking something or other about Lord St Simon to me - seemed to me from the little I heard as if he had a little secret of his own before marriage also - but I managed to get away from her and soon overtook Frank. We got into a cab together, and away we drove to some lodgings he had taken in Gordon Square, and that was my true wedding after all those years of waiting. Frank had been a prisoner among the Apaches, had escaped, came on to 'Frisco, found that I had given him up for dead and had gone to England, followed me there, and had come upon me at last on the very morning of my second wedding.' 
'I saw it in a paper,' explained the American. 'It gave the name and the church but not where the lady lived.'

中庭の北東の角にある Noor Inayat Khan(1914年ー1944年)のメモリアル像
ー第二次世界大戦中、彼女は英国軍に入隊して、
パリでのスパイ活動中にナチス・ドイツ軍に逮捕され、1944年に処刑された。
彼女の死後(1949年)、彼女にはジョージクロス勲章が授与されている。
幼少期、彼女はブルームズベリー地区に住んでいたため、
ここにメモリアル像が設置されたものと思われる。
中庭の西側にあるラビンドラナート・タゴール
(Rabindranath Tagore:1861年―1941年)のメモリアル像
―インドの詩人・思想家で、1913年にノーベル文学賞を受賞(アジア人初のノーベル賞)。
すぐ近くに王立哲学協会が入居している建物があるため、ここに設置されたものと思われる。

フランシス・ヘイ・モールトンがハティー・ドランを連れて馬車で向かったゴードンスクエア(Gordon Square)は、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあり、ロンドン大学(University of London)の北側に位置している。ブルームズベリー地区は、19世紀から20世紀にかけて、多くの芸術家や学者等が住む文教地区として発展してきた街である。
ゴードンスクエアは1820年代に開発され、第6代ベッドフォード公爵(6th Duke of Bedford)の2番目の夫人であるレディー・ジョージアーナ・ゴードン(Lady Georgiana Gordon)の名前を採って名付けられた。
ロンドン市内の他のスクエアと同様に、ゴードンスクエアの真ん中にある中庭は、当初、スクエアを囲む建物の住民のみが使用可能であったが、現在はロンドン大学の所有下にあり、一般に開放されている。また、スクエアを囲む建物の多くが、2005年にロンドン大学の所有下に入っている。

広場の東側に建つ建物―ロンドン大学が使用している

フランシス・ヘイ・モールトンが用意した家はゴードンスクエア226番地(物語の終盤、ホームズからワトスンへの説明の中で、番地が特定される)であるが、残念ながら、これは架空の番地で、ゴードンスクエア内には3桁の番地は存在していない。

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