2024年10月31日木曜日

ジョスリン・バーバラ・ヘップワース(Jocelyn Barbara Hepworth)- その2

Barbara Hepworth standing alongside Corinthos
in the carving studio at Trewyn Studio (1955)
Hepworth Photography Collection /
Bowness, Hepworth Estate


ジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年)は、1933年3月に夫の英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)と離婚した後、彼との婚姻中から不倫関係となっていた英国の抽象画家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスン(Benjamin Lauder Nicholson:1894年ー1982年)と一緒に、フランスへ出かけ、パリを基盤とする芸術運動である「抽象・創造(Abstraction-Creation)」に強い関心を抱く。


その後、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、ベンジャミン・ローダー・ニコルスン、英国のシュールレアリズム画家であるポール・ナッシュ(Paul Nash:1889年ー1946年)、英国の文芸 / 美術批評家であるハーバート・エドワード・リード(Herbert Edward Read:1893年ー1968年 / 1953年に英国文学への貢献からナイト爵を授与)と英国で活躍したカナダ人の建築家であるウェルズ・ウィントミュート・コーツ(Wells Wintemute Coates:1895年ー1958年)と一緒に、芸術運動「ユニットワン(Unit One)」を共同で創始する。この芸術運動「ユニットワン」の目的は、英国の芸術において、抽象化とシュールレアリズムを融合させることであった。

一方で、彼女は、英国の人々に対して、欧州大陸の芸術家のことを伝える活動にも尽力する。


ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1934年10月3日に、不倫関係にあったベンジャミン・ローダー・ニコルスンの子供を出産。彼らの子供は、三つ子で、レイチェル(Rachel)、サラ(Sarah)とサイモン(Simon:1934年ー1990年)と名付けられた。

なお、レイチェルとサイモンは、長じて、父母と同じように、芸術家になった。


当時、ベンジャミン・ローダー・ニコルスンは、英国の画家であるローザ・ウィにフレッド・ニコルスン(Rosa Winifred Nicholson:1893年ー1981年)と婚姻関係にあったが、1938年に離婚が成立。

その結果、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1938年11月17日、ロンドンの北西部にあるハムステッド登記所(Hampstead Register Office)において、ベンジャミン・ローダー・ニコルスンと結婚した。


第二次世界大戦(1939年-1945年)が勃発した1939年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとベンジャミン・ローダー・ニコルスンは、子供達を連れて、コンウォール州(Cornwall)へと疎開する。

コンウォール州が気に入ったジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1949年から亡くなる1975年までの間、同州のセントアイヴス(St. Ives)に所在するトレウィンスタジオ(Trewyn Sudios)に住み続けた。

第二次世界大戦中、セントアイヴスは、多くの芸術家にとって、疎開場所となったのである。


                                       

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