作者の本名は、ポール・ウィンタートン(Paul Winterton:1908年ー2001年)で、英国レスターシャー州(Leichestersire)のレスター(Leichester)生まれ。
彼は、生涯を通じて、いくつかの名義を使い分けて、40を超える作品を世に送り出している。彼の活躍時期は、1938年から1978年にかけてで、アガサ・クリスティーの活躍時期(1920年ー1976年)にほぼ重なっている。
本作品の「ヒルダのために、涙は要らない(No Tears for Hilda)」(1950年)は、アンドリュー・ガーヴ(Andrew Garve)名義での第1作で、他には、ロジャー・バックス(Roger Bax)名義で「殺人計画書(Blueprint for Murder→2020年7月18日付ブログで紹介済)」(1948年)等を世に送り出している。
11月のある夜、ジョージ・ランバート(George Lambert)は、ロンドン北部フィンチリー(Finchley)の自宅に帰ったところ、台所のガスオーブンの傍で、妻のヒルダ(Hilda)がガス中毒で死亡しているのを発見。
当初は、自殺、あるいは、事故かと思われたが、現場に駆け付けた警察による検死の結果、ヒルダが舌を噛んでいる上、首の後ろに殴られたような痣があることが判明。そのため、ヒルダの死は、自殺や事故ではなく、殺人の様相を呈してきた。
警察にアリバイを尋ねられたジョージは、ロンドンのレスタースクエア(Leichester Square)で映画を観ていたと答えるが、実際には、娘が入院している精神科病棟の看護婦と不倫関係にあり、事件当夜も一緒に居たことが判ったため、ヒルダ殺害の動機が充分という理由で、警察に逮捕されてしまう。
ドイツからロンドンに旅行でやって来たマックス・イースターブルック(Max Easterbrook)は、早速、長年の友人であるジョージの事務所に電話をかけ、ひさしぶりの旧交を暖めようとした。ところが、その願いも虚しく、ジョージが妻ヒルダの殺害容疑で警察に逮捕されたことを、マックスは知る。
即、マックスは、ジョージの弁護士経由、ジョージとの面会約束を取り付け、彼が拘留されているブリクストン刑務所(Brixton Jail)へと赴く。ジョージと面会したマックスは、友人ジョージが無罪であることを信じ、警察とは別個に、自分独自で事件を調査することを誓う。そして、マックスは、事件の鍵を見つけるため、関係者達を次々と訪問していく。
(1)ジョージと不倫関係にあった看護婦ルーシー・グラント(Lucy Grant)
(2)ジョージの弁護士パーキンス(Mr. Perkins)
(3)ランバート家の家政婦ビッグス夫人(Mrs. Biggs)
(4)ジョージとヒルダの娘が入院しているスワンパーク精神病院のチャロナー医師(Dr. Challoner)
(5)精神病棟に入院しているジョージとヒルダの娘ジェーン・ランバート(Jane Lambert)
(6)ヒルダの弟アンドリュー・ホワイト(Andrew White)とその妻ローズ・ホワイト(Rose White)
(7)昔ヒルダに求婚したことがある建築業者ランブル氏(Mr. Rumble)
(8)ヒルダの知り合いで、出版社に勤めるステファニー・フランクス(Stephanie Franks)
(9)ステファニーの恋人で、画家のアレック・フォーベス(Alec Forbes)
この中に、ヒルダ・ランバートを殺害した真犯人は居るのか?それとも、警察が言う通り、逮捕されたジョージ・ランバートが、妻ヒルダを殺害したのか?
マックスは、ある場所であるものを偶然発見して、ヒルダを殺害した真犯人が誰なのかを遂に突き止め、その人物のアリバイを切り崩していくのである。
当初、ヒルダ・ランバートは平凡な主婦で、警察の捜査では、彼女を殺害する動機を持つ関係者は居ないかに思われたが、マックスの地道な調査により、実は、ヒルダは見かけとは違って、昔から人間性 / 正確に難ありということが、次第に明らかになってくる。実際、ヒルダは、夫であるジョージや娘であるジェーンを心理的に抑圧していたことが判明する。
その辺りの調査の過程が丹念に書かれていて、好感が持てる。
一方で、ヒルダを殺害した真犯人に、マックスが論理的な思考で辿り着く訳ではなく、彼がある場所を訪問した際、そこにあったあるものを見て、疑問を感じ、真犯人と断定する流れとなっている。そういった意味では、本格推理小説ファンが好む論理的な思考によって、真犯人を突き止めるという一種のカタルシスを得ることは、難しいかと思う。
どちらかと言えば、マックスは、ヒルダの関係者を訪問して、会話をすることにより、その人のひととなり、そして、ヒルダの過去、人間性や性格等を解き明かしていく作業が、淡々と繰り返される。
そのため、本格推理小説ファンが、やや過大な期待を持って、本作品を読み進めていくと、若干肩すかしをくらったような気分になるかもしれない。そう考えると、本作品の場合、所謂、推理小説的なバロメーターは低いのであろう。
そうは言っても、本作品の点数をつけるとすると、それ程には悪い点をつけようという気持ちにはならないので、不思議である。マックスによる調査のプロセスが非常に丁寧に書かれていることが、好印象なのかもしれない。
また、マックスやジョージに限らず、その他の登場人物が生き生きとというか、人間としてしっかり描かれているため、ドラマとして成功しているからであろう。
他に読んだ作品のように、初めから途中までは、かなりワクワクさせておきながら、物語の終盤から最後にかけて、大きく失速し、幻滅するのに比べれば、全体として、本作品はまあまあまうまくまとまっている。
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