トアベイロードから撮影したグランドホテルー 空には一雨降らしそうな厚い雲が押し寄せている |
トーキー駅(Torquay Station)のすぐ近く、海岸通りのトアベイロード(Torbay Road)沿いに、異国風の白い建物グランドホテル(Grand Hotel)が建っている。ここで、アガサ・クリスティーは夫アーチボルド・クリスティー大尉(Archibald Christie:1889年ー1962年)と新婚の夜を過ごしている。
1914年に第一次世界大戦が勃発したことに伴い、婚約者のアーチボルド(通称:アーチー(Archie))は、ドイツ軍との戦いのため、前線(フランス)に赴いた。1914年12月21日、フランスから英国に一時帰国したアーチは、ロンドンでアガサと再会する。その際、アーチーはアガサにプレゼントとして高価な衣装ケースを渡すが、
・それが金持ち階級がロンドンのリッツホテルへ持って行くようなものだったこと
・アガサとしては、婚約中であることを示す指輪やブレスレットのようなものを期待していたこと
等もあって、プレゼントをめぐって、かなり激しい喧嘩をしたそうである。
それでも、同年12月23日、二人はアーチーの両親が住む英国西部ブリストル(Bristol)郊外のクリフトン(Clifton)へ行き、その夜、アーチーはアガサに「明日、結婚式を挙げよう!」と告げる。そして、アガサは、母親クララの許しを得ないまま、クリスマスイヴの12月24日の午後、アーチーと結婚式を挙げ、クリスティー夫人となった。式を挙げた後、アガサは母親に電話して、結婚をしたことを連絡したが、突然のことに母親はショックを受けてしまい、最初の反応はあまり芳しくなかったようである。その夜、二人は混雑する列車に乗ってブリストルからアガサの母親が住むトーキー(Torquay)へ向かい、夜中にトーキー駅に到着。そして、二人がとりあえず身を落ち着けたのが、このグランドホテルで、トーキー駅の近くにあり、便利だったためと思われる。
翌日の12月25日、急な連絡で受けたショックから立ち直った母親と一緒にクリスマスを過ごしたアガサ達は、12月26日にロンドンへ戻った。そして、夫アーチーは再びフランスへ出征した。二人が再会できるのは約6ヶ月後で、また、二人がちゃんとした結婚生活を始めることができるのは、第一次世界大戦が終結する4年先であった。
1908年にオープンしたグランドホテルは、アガサ・クリスティー作「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」(1932年)の舞台マジェスティックホテル(Majestic Hotel)のモデルとなったインペリアルホテル(Imperial Hotel)と並び、トーキーでは由緒と伝統があるホテルである。ホテルの周囲には、パームツリーが植えられていて、リヴィエラ(Riviera)がある南仏のようなエキゾティックな雰囲気を漂わせている。
当時の宿泊記録が残っていないため、アガサとアーチーのクリスティー夫妻がどの部屋に宿泊したのかは不明である。現在、ホテルは「アガサ・クリスティー スウィート(Agatha Christie Suite)」と呼ばれる海に面した部屋を用意しているが、この部屋にクリスティー夫妻が宿泊したのかどうかは定かではない。