2015年2月22日日曜日

ロンドン グローヴナースクエア(Grosvenor Square)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「独身の貴族(The Noble Bachelor)」(出版社によっては、「花婿失踪事件(A Case of Identity)」との対比から「花嫁失踪事件」と訳しているケースあり)において、1887年10月、ロバート・ウォルシンガム・ド・ヴェア・セント・サイモン卿(Lord Robert Walsingham de Vere St Simon)との結婚式の後、花嫁であるハティー・ドラン(Hatty Doran)が披露宴の席上、気分がすぐれないと言って自室に引き下がり、そのまま姿を消してしまったのである。セント・サイモン卿がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、ドラン嬢の行方を捜してほしいと依頼する。
この事件は、次のようにして幕を開ける。ホームズはある手紙を手にして、ジョン・ワトスンに向かって話を始めるのであった。

米国大使館側から見たグローヴナースクエアの広場

「僕が手に持っている手紙は、セント・サイモン卿から受け取ったものだ。ワトスン、君に読んで聞かせるから、これらの新聞の山の中から、この件に関する記事であれば、どんなものでもいいので、僕に見せてくれないか。」その手紙で、セント・サイモン卿は次のように告げていた。

「シャーロック・ホームズ殿 ー バックウォーター卿から貴殿の判断と思慮には絶対の信頼を寄せられるという話を聞きました。それ故、私は貴殿を訪問の上、私の結婚に関連して発生した非常に沈痛な出来事を相談したいと思っております。スコットランドヤードのレストレード警部が本件に関する調査に着手していますが、私が貴殿に御協力を仰ぐことに彼は反対せず、何らかの手助けになるかもしれないと考えています。そこで、私は午後4時に貴殿の元を御伺いするつもりです。本件は非常に重要なので、もしその時間貴殿に他の約束がある場合には、そちらを延期していただきたい。
敬具
               セント・サイモン

「この手紙はグローヴナー邸から出されている。羽ペンで書かれているよ。惜しむらくは、セント・サイモン卿の右手小指の外側がインクで汚れているはずだ。」と、ホームズは手紙をたたみながら言った。

広場内から見たグローヴナースクエアの北側

'The letter which I hold in my hand is from Lord St Simon. I will read it to you, and in return you must turn over these papers and let me have whatever bears upon the matter.' This is what he says:

'MY DEAR MR SHERLOCK HOLMES - Lord Backwater tells me that I may place implicit reliance upon your judgement and discretion. I have determined, therefore, to call upon you and to consult you in reference to the very painful event which has occurred in connection with my wedding. Mr Lestrade, of Scotland Yard, is acting already in the matter, but he assures me that he sees no objection to your co-operation. I will call at four o'clock in the afternoon, and should you have any other engagement at that time, I hope that you will postpone it, as this matter is of paramount importance.
Yours faithfully,
               ST SIMON

'It is dated from Grosvenor Mansions, written with a quill pen, and the noble lord has had the misfortune to get a smear of ink upon the outer side of his right little finger,' remarked Holmes as he folded up the epistle.

グローヴナースクエアの広場内にある立て看板

セント・サイモン卿の邸宅があるグローヴナースクエア(Grosvenor Square)は、ロンドンのメイフェア地区(Mayfair)内にある広場で、ウェストミンスター公爵(Duke of Westminster)が所有する不動産の中心部にある。なお、広場の名前は、公爵の名字である「グローヴナー(Grosvenor)」から採られている。
1710年にリチャード・グローヴナー卿(Sir Richard Grosvenor)が(グローヴナー)スクエアと広場を囲む通り一帯を開発する許可を得て、1721年頃に開発が始まったと言われている。その後、第二次世界大戦(1939年ー1945年)時までロンドン有数の人気がある住宅街の一つで、数多くの貴族階級が住んでいた、とのこと。

グローヴナースクエアの東側ー
右側の建物をカナダ領事館が使用している

米国政府がグローヴナースクエア内の建物を使用し始めたのは、1785年まで遡る。
1960年にグローヴナースクエアの西側に米国大使館(United States Embassy)が建設された。米国大使館が1938年からそれまでの間使用していた建物(グローヴナースクエアの東側)は、カナダ政府によって購入され、マクドナルドハウス(Macdonald House)と名前を変えて、以後、カナダ領事館(Canada High Commission)が入居している。

以前は、グローヴナースクエアを周回する道路は全て一般に開放されていたが、2001年9月11日に米国内で発生した同時多発テロ事件以降、米国外に所在する大使館や領事館等へのテロ行為のリスクが飛躍的に高まったことに伴い、米国大使館前を通るグローヴナースクエア周回道路の一部が封鎖されて、現在に至っている。

グローヴナースクエアの西側ー米国大使館

2008年に入り、米国政府は、同大使館をグローヴナースクエアからテムズ河(River Thames)南岸のワンズワース区(London Borough of Wandsworth)にあるナインエルムス(Nine Elms)エリアへ移転させる方針を発表、2016年、あるいは、2017年までの移転が計画されている。
一方、2009年10月に、イングランド内にある城や邸宅等の保存を目的とするイングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)の推奨を受けて、現在、米国大使館が入居している建物は「グレードⅡ(Grade Ⅱ)」という認定を受けたことに伴い、法令上、建物の所有者は建物の外観を変更することが許されなくなった。現在の建物を建て替える場合、外観についてはそのまま残して、建物の内部のみが建替え可能となる。現在の建物の正面屋上に鷲の像が設置されているが、建替えの際には、これも撤去できないことになる。
2009年11月に、米国大使館が入居している建物は、カタール系投資グループに売却され、米国大使館の移転後にはホテルに改装されるという噂である。

グローヴナースクエアの広場内に建つ
フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトのブロンズ像

グローヴナースクエアの広場には、民主党出身の第32代米国大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt:1882年ー1945年)のブロンズ像があり、広場一帯を見守っている。

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