2014年10月30日木曜日

ロンドン スレッドニードルストリート(Threadneedle Street)

イングランド銀行の建物の壁に貼られている「スレッドニードルストリート」の表示
この表示の下は、地下鉄バンク駅へつながっている。

サー・アーサー・コナン・ドイル作「唇のねじれた男(The Man with the Twisted Lips)」では、ネヴィル・セントクレア(Neville St Clair)の失踪事件が主題となる。
1889年6月のある月曜日の朝、ケント州(Kent)のリー(Lee)に住むネヴィル・セントクレアは、いつもよりも早めにロンドンに出かけた。彼が出かけたすぐ後に電報を受け取ったセントクレア夫人(Mrs St Clair)は、長らく待っていた船便の小包を受け取るべく、昼食後、シティー(City)近くのアバディーン船会社(Aberdeen Shipping Company)の事務所へ出かけたのである。
その日の夕方(午後4時35分)、船会社の事務所で小包を受け取ったセントクレア夫人はキャノンストリート駅(Cannon Street Station)へ戻る途中、アヘン窟等がある好ましくない通りに入り込んでしまった。その時、彼女はアヘン窟の三階の窓に夫の姿を見かけたのであった。
非常に驚いたセントクレア夫人は、通りで出会った警部と二人の巡査を連れて、そのアヘン窟に戻ってみると、そこに夫の姿はなく、赤茶けた髪で唇のねじれた物乞いのヒュー・ブーン(Hugh Boone)一人しか居なかった。夫がこのアヘン窟に居たことを示すものは、夫が着ていた衣類と(夫が買って帰ると約束していた)子供へのお土産の積み木の箱だけだった。このアヘン窟には、波止場とテムズ河(River Thames)を見下ろすことができる窓が一つあり、その窓枠からネヴィル・セントクレアのものと思われる血痕が発見されたのだ。果たして、ネヴィル・セントクレアは物乞いのヒュー・ブーンに殺されて、アヘン窟の窓からテムズ河に投げ込まれたのだろうか?ヒュー・ブーンはその場で逮捕されたが、ネヴィル・セントクレアの遺体はテムズ河から発見されず、依然として行方不明のままだった。

スレッドニードルストリートで信号待ちをしている車やバス

セントクレア夫人から事件の調査を依頼されたシャーロック・ホームズは、ジョン・ワトスンに対して、ヒュー・ブーンのことを次のように語る。
「彼の名前はヒュー・ブーンで、彼の恐ろしい顔は、シティによく出かける者ならば、誰にでもお馴染みだ。彼は物乞いを生業にしているのさ。警察の規制を逃れるために、彼は蝋マッチを売っているふりをしているんだ。ワトスン、組も気付いたことがあるかもしれないが、スレッドニードルストリートから少し離れた左手の壁に、やや奥まった場所がある。彼はそこに腰を降ろして足を組み、マッチをほんの少しだけ膝の上に置くのさ。そうやって、彼が可哀想な見世物になっていると、すぐ脇の舗道の上に置いてある脂ぎった革の帽子の中に、慈悲の雨が降るんだ。(His name is Hugh Boone, and his hideous face is one which is familiar to every man who goes much to the City. He is a professional beggar, though in order to avoid the police regulations he pretends to a small trade in wax vests. Some little distance down Threadneedle Street, upon the left-hand side, there is, as you may have remarked, a small angle in the wall. Here it is that this creature takes his daily seat, cross-legged with his tiny stock of matches on his lap, and as he is a piteous spectacle a small rain of charity descends into the greasy leather cap which lies upon the pavement beside him. …)」

ヒュー・ブーンが物乞いをしていたスレッドニードルストリート(Threadneedle Street)はロンドンの金融街シティー・オブ・ロンドン(City of Londonー別名:1マイル四方(Square Mile))の中心部にあり、地下鉄バンク駅(Bank Station)から北東方面へのびている通りである。

英国の金融関係で非常に重要な役割を果たす建物がこの通り沿いに建っている。
(1)イングランド銀行(Bank of England)ー1734年に現在の地に建設され、1939年に再建。

奥に見える建物がイングランド銀行

(2)王立取引所(Royal Exchange)ー1571年に現在の地に建設されたが、1666年のロンドン大火(Great Fire)で焼失の憂き目に会った。その後再建されたものの、1838年に再び焼失し、現在は3代目の建物。

夕日に映える王立取引所

王立取引所の正面入口前に立つのは、1815年のワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)でフランス皇帝ナポレオンが率いるフランス軍を破った英国のアーサー・ウェルズリー初代ウェリントン公爵(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington:1769年ー1852年)のブロンズ像である。アイルランドのダブリンに生まれた彼の軍人としての最終階級は元帥であった。また、彼は保守党の政治家としても活躍し、ジョージ4世(George IV)とウィリアム4世(William IV)の治世中、二度にわたって首相を務めている。

夕日の中に沈むウェリントン公爵のブロンズ像

(3)ロンドン証券取引所(London Stock Exchange)ー2004年までこの通り沿いにあったが、現在は、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)近くに三菱地所が再開発したパタノスタースクエア(Paternoster Square)へ移転済。

1598年まではブロードストリート(Broad Street:現オールドブロードストリート(Old Broad Street)ーバンクとリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Station)を結ぶ通り)の一部であったスレッドニードルストリートの「スレッドニードル」とは、「縫い針」のことを指すが、この通りの名前の由来は、以下のように諸説存在している。
(1)「(事業等が)繁栄する」ことを意味するアングロ・サクソン語の「Threadn」に由来するという説
(2)「三本の針通り(Three Needle Street)」がスレッドニードルストリートに変わったとする説(この通り沿いにあった針製造業者の看板として、「三本の針」が使用されていたのではないかと考えられている。)
(3)当時一般に親しまれていた子供のゲーム「糸と針(Thread and Needle)」に由来するという説

「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」において、ホームズの元を相談に訪れたアレクサンダー・ホールダー(Alexander Holder)が頭取をしているホールダー&スティーヴンソン銀行(banking firm of Holder & Stevensonーシティー内では2番目に大きな民間銀行)も、スレッドニードルストリートに所在している。なお、ホールダー&スティーヴンソン銀行は実在していない。

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