サー・アーサー・コナン・ドイルの物語の中で、シャーロック・ホームズが通っていた大英図書館(British Library)の前身であった大英博物館(British Museum)の円形閲覧室(Round Reading Room)は、多くの学者や文化人等によって利用されてきた。「共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei)」(1848年ープロイセン王国時代のドイツのの社会思想家 / 政治思想家 / ジャーナリスト / 実業家 / 軍事評論家 / 革命家であるフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels:1820年ー1895年)との共著)や「資本論(Das Kapital)」(1867年)で有名なプロイセン王国時代のドイツの哲学者 / 経済学者 / 革命家であるカール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx:1818年~1883年)も、その中の一人である。
彼は1849年に妻子と一緒に、激動に揺れるヨーロッパ大陸からロンドンに移住して、ソーホー地区(Soho)のディーンストリート28番地(28 Dean Street)に間借りしていた。ロンドンに移住した当時、マルクスは貧乏のどん底で、友人のフリードリヒ・エンゲルスから生活費の援助を受けて、なんとか糊口をしのいでいた。
そんな貧乏のどん底に居たマルクスにとって、入場無料で開放されていた大英博物館の円形閲覧室は願ってもない場所であり、また、格好の研究の場でもあった。よって、マルクスは、若きシャーロック・ホームズと同様に、毎日のように大英博物館に通っては、円形閲覧室で研究に没頭したとのこと。その研究成果として、マルクスが発表したのが、あの有名な「資本論」だった訳である。20世紀以降の世界に大きな影響を与えた社会主義の理論は、大英図書館の前身である大英博物館の円形閲覧室から誕生したと言っても過言ではない。
生憎と、現在、書庫と図書館機能は大英図書館に、そして、円形閲覧室は大英博物館に分かれてしまったが、当時、晩年のマルクスと若きホームズが円形閲覧室で隣り合ったのかもしれないし、また、実際に話をしたかもしれないと想像すると、とても楽しい気持ちになる。
なお、マルクスが間借りしていた建物では、現在、「クォ・ヴァディス(Quo Vadis)」という名前のレストラン・バーが営業しており、多くの人で賑わっている。建物の壁には、イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)が管理するブループラーク(Blue Plaque)と呼ばれる銘板が掲げられており、「1851年から1856年までの約5年間、カール・マルクスがここに住んでいた。(KARL MARX 1818-1883 lived here 1851-1856)」と表示されている。
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