ホーランドパークロード(Holland Park Road)の反対側から レイトンハウス博物館の正面を見上げたところ |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。
フレデリック・レイトンは、1855年から1859年にかけて定住したパリを離れ、1860年にロンドンへ転居。
そして、彼は、ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood - 19世紀中頃、ヴィクトリア朝に活動した美術家 / 批評家から成るグループ)との交流を始める。
ガウアーストリート7番地の建物外壁には、 「1848年に、ここでラファエル前派が結成された」ことを示す プループラーク(English Heritage が管理)が架けられている。 |
フレデリック・レイトンは、1861年に、英国の詩人であるロバート・ブラウニング(Robert Browning:1812年ー1889年)から依頼を受けて、イタリア / フィレンシェ(Florence)にある英国人墓地(English Cemetery)にあるエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning:1806年ー1861年 / 英国の詩人で、ロバート・ブラウニングの妻)の墓碑をデザインした。
フレデリック・レイトンは、1864年に、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員(associate)になり、1878年から1896年まで、会長(President)に就任。
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手の1枚 |
1878年に、ウィンザー城(Windsor Castle → 2017年10月15日 / 10月22日付ブログで紹介済)最下級勲爵士位(ナイト / knight)の称号を授けられ、1886年には、準男爵(baronet)となる。
2017年2月15日に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されたウィンザー城の記念切手 - ラウンドタワー(Round Tower)に王室旗が掲げられている場合は、 国王 / 女王がウィンザー城に滞城していることを、 また、ラウンドタワーに英国旗が掲げられている場合は、 国王 / 女王がウィンザー城を不在にしていることを示す。 |
1896年の新年の受勲において、フレデリック・レイトンは、画家として、最初の貴族に叙せられる。
そして、1896年1月24日には、「ストレットンのレイトン男爵(Baron Leighton of Stretton)」の爵位を授けられたが、翌日の1月25日に、狭心症の発作のため、ロンドンのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)において急死。65歳だった。
彼は生涯を通して独身だったので、僅か1日でレイトン男爵家は断絶。これは、貴族であった最短期間記録となる。
レイトンハウス博物館の入口右側にある掲示板 |
ロンドンのホーランドパーク地区(Holland Park)内にあったフレデリック・レイトンの邸宅は、レイトンハウス美術館(Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済)となり、彼の絵画や彫刻が数多く収蔵されている。