2025年1月16日木曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その3

ホーランドパークロード(Holland Park Road)の反対側から
レイトンハウス博物館の正面を見上げたところ


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。


フレデリック・レイトンは、1855年から1859年にかけて定住したパリを離れ、1860年にロンドンへ転居。

そして、彼は、ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood - 19世紀中頃、ヴィクトリア朝に活動した美術家 / 批評家から成るグループ)との交流を始める。


中央に見えるガウアーストリート7番地(7 Gower Street)の建物が、
1848年9月、ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais:1829年ー1896年
→ 2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日付ブログで紹介済)が、
ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年
→ 2018年5月20日 / 5月26日付ブログで紹介済)や
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年
→ 2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)達と一緒に、
「ラファエル前派」と呼ばれる芸術グループを結成した場所である。


ガウアーストリート7番地の建物外壁には、
「1848年に、ここでラファエル前派が結成された」ことを示す
プループラーク(English Heritage が管理)が架けられている。


フレデリック・レイトンは、1861年に、英国の詩人であるロバート・ブラウニング(Robert Browning:1812年ー1889年)から依頼を受けて、イタリア / フィレンシェ(Florence)にある英国人墓地(English Cemetery)にあるエリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning:1806年ー1861年 / 英国の詩人で、ロバート・ブラウニングの妻)の墓碑をデザインした。


フレデリック・レイトンは、1864年に、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員(associate)になり、1878年から1896年まで、会長(President)に就任。


1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手の1枚


1878年に、ウィンザー城(Windsor Castle → 2017年10月15日 / 10月22日付ブログで紹介済)最下級勲爵士位(ナイト / knight)の称号を授けられ、1886年には、準男爵(baronet)となる。


2017年2月15日に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されたウィンザー城の記念切手 -
ラウンドタワー(Round Tower)に王室旗が掲げられている場合は、
国王 / 女王がウィンザー城に滞城していることを、
また、ラウンドタワーに英国旗が掲げられている場合は、
国王 / 女王がウィンザー城を不在にしていることを示す。


1896年の新年の受勲において、フレデリック・レイトンは、画家として、最初の貴族に叙せられる。

そして、1896年1月24日には、「ストレットンのレイトン男爵(Baron Leighton of Stretton)」の爵位を授けられたが、翌日の1月25日に、狭心症の発作のため、ロンドンのケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)において急死。65歳だった。

彼は生涯を通して独身だったので、僅か1日でレイトン男爵家は断絶。これは、貴族であった最短期間記録となる。


レイトンハウス博物館の入口右側にある掲示板


ロンドンのホーランドパーク地区(Holland Park)内にあったフレデリック・レイトンの邸宅は、レイトンハウス美術館(Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済)となり、彼の絵画や彫刻が数多く収蔵されている。


2025年1月15日水曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その2

ジェレミー・ブレットがシャーロック・ホームズとして主演した
英国のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の
DVD コンプリートボックス1巻目の内表紙

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。


コナン・ドイル作「青いガーネット」は、以下のようにして始まる。


ある年のクリスマスから2日目の朝(on the second morning after Christmas)である12月27日、ジョン・H・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪問すると、紫色の化粧着を着たシャーロック・ホームズは、ソファーの上で寛いでいたところだった。

ソファーの隣りに置かれた木製椅子の背もたれの角には、薄れてボロボロになった固いフェルト製帽子が掛けられていて、ホームズは拡大鏡とピンセットでこの帽子を調べていたようであった。ワトスンの問いに、ホームズは「この帽子は、退役軍人(commissionaire)のピータースン(Peterson)が置いていったものだ。」と答える。

そして、ホームズは、ワトスンに対して、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角において、ピータースンがボロボロになった帽子と丸々と太った白いガチョウを手に入れることになった経緯を語り始めた。


英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化され、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された「青いガーネット」は、コナン・ドイル作「青いガーネット」とは全く異なる始まり方をする。

視聴者に話の筋が理解しやすいように、以下の通り、物語が時系列的に語られるのである。


(1)

宝石「青いガーネット(blue carbuncle)」の持ち主となった人達を襲った呪われた歴史(殺人や盗難等)が、まず最初に述べられる。

(2)

モーカー伯爵夫人(Countess of Morcar)が、買い物からホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)へと戻って来る。

ホテルコスモポリタンの客室係であるジェイムズ・ライダー(James Ryder)とモーカー伯爵夫人のメイドであるキャサリン・キューサック(Catherine Cusack)の2人は、伯爵夫人の不在をいいことに、熱愛中。

一方、修理工であるジョン・ホーナー(John Honer)は、暖炉の修理中。

フロントからの電話で、伯爵夫人が戻ったことを聞いたジェイムズ・ライダーとキャサリン・キューサックは、慌てふためくが、暖炉の修理が終わったジョン・ホーナーは帰って行く。

部屋に戻った伯爵夫人の言い付けにより、キャサリン・キューサックは、入浴の準備に向かう。

伯爵夫人の叫び声を聞いて、キャサリン・キューサックとジェイムズ・ライダーが伯爵夫人の元に駆け付けると、伯爵夫人がテーブルの上に置いた宝石箱から、宝石「青いガーネット」が消え失せていた。

(3)

ジョン・ホーナーが、妻のジェニー・ホーナー(Jennie Horner - コナン・ドイルの原作には登場しない)と一緒に、ある店の窓に並ぶ商品を眺めているところに、スコットランドヤードのブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet - コナン・ドイルの原作には登場しない)が警官を連れて現れ、宝石「青いガーネット」の盗難犯として、ジョン・ホーナーを逮捕する。

(4)

早朝、ピータースンが、ベイカーストリート221B へとやって来る。

就寝中だったホームズは、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)に起こされ、非常に不機嫌。

ホームズは、ピータースンから、帽子とガチョウを見せられ、これらを拾った経緯について、話を聞かされた。

コナン・ドイルの原作上、明記はされていないものの、ピータースンは、拾った帽子とガチョウを持って、現場からホームズの元へ直接訪れたように思われるが、グラナダテレビ版の場合、ピータースンは、「妻と相談の上、持って来ました。」と、ホームズに話しているので、一旦、帰宅していることが判る。

なお、この際、ピータースンが帽子とガチョウを拾った場所が、「トッテナムコートロードとグッジストリートの角」であることを、彼はホームズに対して言及していない。

ピータースンから話を聞いたホームズは、帽子だけを自分の手元に置き、ガチョウについては、ピータースンに持ち帰らせた。

(5)

ホテルコスモポリタンにおいて、スコットランドヤードのブラッドストリート警部は、モーカー伯爵夫人から、捜査の状況に関して、厳しく詰問される。

(6)

ジョン・H・ワトスンが、クリスマスプレゼントを抱えて、買い物からベイカーストリート221B へと戻って来る。

コナン・ドイルの原作の場合、ワトスンは結婚して、ベイカーストリート221B から出ているが、グラナダテレビ版の場合、ベイカーストリート221B にホームズと同居している設定になっている。


ここまでの前振りを終えて、グラナダテレビ版は、コナン・ドイルの原作の冒頭に繋がるのである。


2025年1月14日火曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その2

初代レイトン男爵フレデリック・レイトンが描いた
彼の代表作でもある
「燃え立つ6月(Flaming June)」(1895年)の絵葉書
Oil on canvas / 119.1 cm x 119.1 cm
<筆者が王立芸術院で購入>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。


フレデリック・レイトンは、1830年12月3日、医者である父フレデリック・セプティマス・レイトン(Dr. Frederic Septimus Leighton:1799年ー1892年)と母オーガスタ・スーザン・レイトン(Augusta Susan Leighton)の下、ノースヨークシャー州(North Yorkshire)のスカボロー(Scarborough)に出生。


彼の祖父であるサー・ジェイムズ・ボニフェース・レイトン(Sir James Boniface Leighton:1769年ー1843年)は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝であるアレクサンドル1世(Alexander I:1777年ー1825年 在位期間:1801年ー1825年)とロマノフ朝第11代ロシア皇帝であるニコライ1世(Nicholas I:1796年ー1855年 在位期間:1825年ー1855年)の2代にわたり、皇帝付きの医師を務めており、レイトン家の富は、これによって蓄積された。従って、孫であるフレデリック・レイトンは、生涯を通じて、祖父が蓄積した富の恩恵を受けることになる。


フレデリック・レイトンは、まず最初に、ロンドンのユニヴァーシティー・カレッジ・スクール(University College School)において、教育を受ける。


その後、彼は欧州大陸へ留学し、ドイツにおいて、オーストリアの画家であるエドヴァルト・フォン・シュタインレ(Eduard von Steinle:1810年ー1886年)に、そして、フランスのパリにおいて、イタリアの風景画家であるジョヴァンニ・コスタ(Giovannni Costa:1826年ー1903年)の下で学んだ。


24歳になったフレデリック・レイトンは、イタリアのフィレンツェ(Florence)へ行き、欧州初の絵画を教える機関であるアッカでミア・ディ・ベッレ・アルティ(Accademia di Belle Arti - 現在のアカデミア美術館(La Galleria dell’Accademia a Firenze))で学ぶ。


1855年から1859年にかけて、フレデリック・レイトンは、パリに定住し、19世紀のフランスを代表する画家である


*ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres:1780年ー1867年)

*ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot:1796年ー1875年)

*フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugene Delacroix:1798年ー1863年)

*ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet:1814年ー1875年)


と親交を結んだ。


2025年1月13日月曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その1

英国ヴィクトリア朝時代の画家 / 彫刻家であるジョージ・フレデリック・ワッツ
(George Frederic Watts:1817年ー1904年
→ 2023年6月12日 / 6月16日付ブログで紹介済)が描いた
初代レイトン男爵フレデリック・レイトンの肖像画
「Portrait of Frederic, Lord Leighton, PRA」(1888年)の絵葉書
Oil on canvas / 115 cm x 88 cm
<筆者が王立芸術院で購入>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)の場合、知り合いの弁護士であるペサリック氏(Mr. Petherick)の紹介により、ローデス氏(Mr. Rhodes)が、相談のために、ミス・マープルの元を訪れるところから、物語が始まる。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
「ミス・マープル最後の事件簿(Miss Marple's Final Cases)」(1979年)の一場面 -
「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る」が、その題材となっている。


驚くことに、ローデス氏は、ミス・マープルが住むセントメアリーミード村(St. Mary Mead)から20マイル程離れたバーンチェスター村(Barnchester)において発生した殺人事件の容疑者と目されていたのである。事件の被害者は、なんと、彼の妻(Mrs. Rhodes)で、彼ら夫妻が宿泊していたクラインホテル(Crown Hotel)の寝室において、ペーパーナイフにより刺殺されたのだった。


ローデス夫妻が宿泊していた部屋は、居間と寝室の二間続きとなっており、それぞれの部屋から廊下へ直接出ることができるドアが付いていた。

事件当夜、ローデス氏は居間において仕事(本の執筆)をしており、ローデス夫人は既に寝室で休んでいた。

午後11時頃、ローデス氏が、仕事の書類を片付けて、休むために寝室へと向かったところ、ローデス夫人が殺されているのを発見したのであった。

寝室から廊下へと出るドアについては、内側から施錠されていたため、ローデス夫人を刺殺した犯人が、当該ドアから廊下へ逃げることは不可能だった。一方、居間には、ローデス氏本人がずーっと居て、仕事をしていたため、彼が犯人ではないとすると、彼らが宿泊していた部屋は、所謂、密室状態だったのである。


ローデス氏以外に、唯一怪しいと思われたのは、ローデス夫人の元へ湯たんぽを運んで来たホテルのメイドだった。

メイドは、廊下から居間側のドアを通り、居間に入ると、居間と寝室の間のドアを抜けて、寝室へと向かった。暫くして、彼女は、居間と寝室の間のドアを通り、寝室から居間へと戻り、そして、居間のドアを開けて、廊下へと出て行った。

メイド本人は、長年、クラウンホテルに勤めており、ローデス夫人を殺害した犯人とは、到底考えられなかった。


ローデス氏から相談を受けたミス・マープルは、この密室殺人事件に挑むのであった。


当該作品の冒頭において、ミス・マープルは、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に対して、「as Raymond always says (only quite kindly, because he is the kindest of nephews) I am hopelessly Victorian. I admire Mr Alma-Tadema and Mr Frederic Leighton and I suppose to you they seem hopelessly vieux jeu.」と語っている。


赤レンガの外観が映えるレイトンハウス博物館
(Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済)


レイトンハウス博物館の入口左側の外壁に
「レイトン男爵(フレデリック・レイトン)がここに住んでいた」ことを
示すブループラークが掲げられている


ミス・マープルの話の中に出てきた「Mr Frederic Leighton」とは、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。

彼は、1864年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員となった後、1878年には同会長に就任し、以後20年近く会長として君臨した。

また、1896年1月24日に、彼は初代レイトン男爵(1st Baron Leighton)となったが、翌日の1月25日、狭心症の発作を起こして、この世を去ってしまう。僅か1日だけではあったが、英国美術界において、男爵以上の爵位を与えられたのは、現在に至るまで、彼一人である。 


2025年1月12日日曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その1

ジェレミー・ブレットがシャーロック・ホームズとして主演した
英国のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の
DVD コンプリートボックス1巻目の表紙


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。

同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


本作品は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された。なお、日本では、約1年後の1985年6月15日に放映されている。


主な配役は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ:ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)

(2)ジョン・ワトスン:デヴィッド・バーク(David Burke:1934年ー)


(3)モーカー伯爵夫人(Countess of Morcar / ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に宿泊いた際、部屋の宝石箱から「青いガーネット(Blue Carbuncle)を盗まれた貴族): Rosalind Knight

(4)キャサリン・キューサック(Catherine Cusack / モーカー伯爵夫人のメイド): Ros Simmons


(5)ジェイムズ・ライダー(James Ryder / ホテルコスモポリタンの客室係): Ken Campbell

(6)ジョン・フレデリック・ホーナー(John Frederick Honer / 修理工): Desmond McNamara

コナン・ドイルの原作では、ジョン・ホーナー(John Honer)となっているが、TV ドラマ版の場合、フレデリック(Frederick)と言うミドルネームが追加されている。また、原作では、彼の年齢は26歳と設定されているが、TV ドラマ版の場合、彼の年齢は36歳に設定されている。


(7)ジェニー・ホーナー(Jennie Horner / ジョン・ホーナーの妻): Amelda Brown

コナン・ドイルの原作では、ジョン・ホーナーの妻は登場しない。TV ドラマ版の場合、彼女に加えて、2人の子供達(姉と弟)も登場する。

(8)ブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet / スコットランドヤードの警部): Brian Miller

コナン・ドイルの原作では、ブラッドストリート警部は登場しない。


(9)ハドスン夫人(Mrs. Hudson / ベイカーストリート 221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主):Rosalie Williams

コナン・ドイルの原作では、ハドスン夫人は登場しない。

(10) ピータースン(Peterson / 退役軍人): Frank Mills


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、
2022年に発行されたシャーロック・ホームズをテーマにしたトランプのうち、
4 ♦️「太った白いガチョウ(Dead Goose)」


(11)ヘンリー・ベイカー(Henry Baker / 「青いガーネット」を飲み込んだガチョウを路上に落として行った人物):Frank Middlemass


ホームズとワトスンが訪れたブルームズベリー地区にあるアルファインと言うパブは架空の酒場で、
残念ながら、実在していない。
ただし、グレートラッセルストリート(Great Russell Street)を挟んで、
大英博物館の正面入口近くにある「ミュージアム・タバーン(Museum Tavern)」と言うパブが、
アルファインのモデルだったのではないかと、一般に言われている。


(12)ウィンディゲート(Windigate / 大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)」の経営者):Don McCorkindale


サウザンプトンストリート(Southampton Street)沿いの建物壁面に架けられている
「コヴェントガーデンマーケット」の看板


(13)ブレッケンリッジ(Breckenridge / コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)において、ガチョウの店を営んでいる人物):Eric Allan

コナン・ドイルの原作では、「ブレッキンリッジ(Breckinridge)」と言う名前になっているが、TV ドラマ版の場合、何故か、「ブレッケンリッジ」と言う名前に変更されている。

(14)マギー・オークショット夫人(Mrs. Maggie Oakshott / ジェイムズ・ライダーの姉で、ブレッキンリッジがガチョウを仕入れた元):Maggie Jones

偶然ではあるが、オークショット夫人と演者の愛称が一致している。


オークショット夫人によるガチョウ飼育場があったブリクストンロード117番地
(117 Brixton Road → 2017年7月15日付ブログで紹介済)を含むフラット群


(15)酔客(Roughs / トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角においてガチョウを抱えたヘンリー・ベイカーをからかって、喧嘩になったごろつき達):John Cannon / Eric Kent


グッジストリートの西側から東方面を見たところ
奥に見えるのが、トッテナムコートロード -
クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースンが、
喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを見つけたのは、
画面の奥辺りである。


2025年1月10日金曜日

森見登美彦作「夜行(Night Train / Walking through the Night / Eternal Night by Tomihiko Morimi)」

日本の小学館から2019年に刊行されている
森見登美彦作「夜行」(小学館文庫)の表紙
(カバーデザイン:岡本歌織 <next door design> /
カバーイラスト:ゆうこ)


今回は、2024年1月に中央公論社から「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes → 2024年12月26日 / 12月27日 / 12月28日 / 12月29日付ブログで紹介済)」を出版した日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)が発表した「夜行(Night Train / Walking through the Night / Eternal Night)」について、紹介したい。


「夜行は、2016年に小学館より単行本として刊行された後、加筆改稿の上、2019年に同社より文庫化されている。


今から10年前の秋、同じ英会話スクールに通っていた


(1)大橋(男性 / 当時、大学2回生)

(2)中井(男性 / 当時、修士課程の大学院生)

(3)武田(男性 / 当時、大学1回生)

(4)田辺(男性 / 最年長者)

(5)藤村(女性 / 当時、大学1回生)

(6)長谷川(女性 / 当時、大学2回生)


の6人の仲間達は、一緒に叡山電車に乗り、京都の「鞍馬の火祭」を見物に出かけた。その夜、仲間の一人である長谷川さんが、姿を消した。

関係者による努力も空しく、何一つ手掛かりは見つからなかった。長谷川は、まるで虚空に吸い込まれたかのように消えてしまったのである。


10年後の10月下旬、失踪した長谷川を除く5人が再度京都に集まり、「鞍馬の火祭」を観に行くことになった。皆、彼女のことを未だに忘れることができなかったからだった。

田辺は、仕事の都合で、少し遅れるということだったので、再会した大橋、中井、武田と藤村の4人は、改札を抜けて、叡山電車に乗り込むと、宿泊予定の貴船川沿いの宿へと向かう。

宿に到着して、田辺の到着を待ちながら、風呂に入ったりしているうちに、ぽつぽつと雨が降り出した。

遅れていた田辺が到着して、5人が猪鍋を囲む頃になると、降り注ぐ雨は一段と激しさを増す。

「鞍馬の火祭」が雨天延期になるのではないかと心配しつつ、夜が更けてゆく中、各人が旅先で出会った不思議な出来事を語り始めるのであった。


*第一夜:尾道(語り手:中井 / 時期:5年前の5月中旬の週末)

*第二夜:奥飛騨(語り手:武田 / 時期:4年前の秋)

*第三夜:津軽(語り手:藤村 / 時期:3年前の2月)

*第四夜:天竜峡(語り手:田辺 / 時期:2年前の春)


彼らは、旅の道中、岸田道生と言う銅版画家が制作した「夜行」と言う銅版画を目にしていた。


岸田道生は、東京の芸大を中退した後、英国の銅版画家に弟子入り。

日本への帰国後、郷里の京都市内にアトリエを構えるが、7年前の春に死去。

彼は、「尾道」、「伊勢」、「野辺山」、「奈良」、「会津」、「奥飛騨」、「松本」、「長崎」、「津軽」や「天竜峡」等、「夜行」と呼ばれる連作の銅版画を遺していた。

いずれの銅版画にも、目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を傾けている一人の女性が描かれており、天鵞絨(ビロード)のような黒い背景に、白い濃淡だけで描かれた風景は、永遠に続く夜を思わせた。


どうして、岸田道生は、連作の銅版画に、「夜行」と言うタイトルを付したのだろうか?

「夜行列車」の夜行か、あるいは、「百鬼夜行」の夜行なのか?


次第に雨が小降りになったため、5人は腰をあげると、「鞍馬の火祭」の見物へと向かう。

そして、彼らは、「最終夜:鞍馬」において、驚く経験をするのであった。


森見登美彦作「夜行」は、「シャーロック・ホームズの凱旋」とは異なり、推理小説ではなく、論理的な解決をする訳ではないが、個人的には、「シャーロック・ホームズの凱旋」よりも、出来は良いのではないかと思う。

「夜行」の文庫本には、「怪談 x 青春 x ファンタジー」と書かれているが、正直ベース、これらの分類は、どれも当てはまらないような気がする。個人的には、「幻想」小説と言った方が、一番近いのではないだろうか?

実際のところ、「シャーロック・ホームズの凱旋」の場合も、最終的には、論理的な解決ではなく、非現実的な解決を迎えているので、著者の作品群を見る限り、「ファンタジー」への傾向が強いと言える。


なお、「夜行」に付した英訳である「Night Train / Walking through the Night / Eternal Night」については、作品の内容を踏まえた上での筆者によるものである。


2025年1月9日木曜日

綾辻行人作「迷路館の殺人」<小説版>(The Labyrinth House Murders by Yukito Ayatsuji ) - その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「迷路館の殺人」の英訳版の裏表紙
(Cover design by Jo Walker /
Cover image by Shutterstock)

稀譚社の編集者である宇多山英幸(Hideyuki Utayama:40歳)が、1987年の新年に推理作家界の巨匠である宮垣葉太郎(Yotaro Miyagaki:59歳)の元を訪れてから、約3ヶ月が経過。今日は4月1日で、世間は春を迎えていた。

宇多山英幸は、身重の妻である宇多山桂子(Keiko Utayama:33歳)を車に乗せ、若狭湾を右手に見ながら、宮垣葉太郎が住む「迷路館(The Labyrinth House)」へと向かっていた。

今日(4月1日)は、宮垣葉太郎の誕生日で、「迷路館」において、還暦(60歳)の祝賀パーティーがささやかに行われる予定だった。宇多山英幸 / 桂子夫妻は、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれていたのである。

宇多山英幸が宮垣葉太郎から事前に聞いた限りでは、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれた客は、全員で8名とのことだった。宇多山桂子が、自分達以外の招待客を指折り数えるものの、何故だか、一人足りない。宇多山英幸は、妻に対して、「残りの1人は、僧侶だと思う。」と答えた。


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「十角館の殺人」の英訳版の表紙
(Cover design & illustration by Jo Walker)


宮垣葉太郎が住む「迷路館」へ向かう途中、宇多山英幸 / 桂子夫妻は、故障のため、路上で立ち往生している車に出会した。

故障した車に乗っていたのは、推理小説マニアで、「十角館の殺人(The Decagon House Murders → 2023年2月21日 / 2月25日 / 3月9日 / 3月18日付ブログで紹介済)」と「水車館の殺人(The Mill House Murders → 2023年4月30日 / 5月3日 / 5月13日付ブログで紹介済)」において探偵役を務めた島田潔(Kiyoshi Shimada:37歳)だった。

彼は、今は亡き建築家である中村青司(Seiji Nakamura)が設計した「迷路館」を見たくて、そこへ向かっていたところ、偶然、宮垣葉太郎と知り合いになり、今回、推理小説マニアの代表として、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれる運びとなっていた。つまり、宇多山英幸 / 桂子夫妻が判らなかった謎の招待客は、島田潔だったのである。


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「水車館の殺人」の英訳版の表紙
(Cover design by Jo Walker /
Cover image by Marcelo Eduardo)


その後は、何事もなく、「迷路館」に無事到着した宇多山英幸 / 桂子夫妻と島田潔であったが、彼ら以外には、以下の5名が招待されていた。


(1)清村淳一(Jyunichi Kiyomura:30歳 - 推理作家)

(2)須崎昌輔(Shosuke Suzaki:40歳 - 推理作家)

(3)舟丘まどか(Madoka Funaoka:30歳 - 推理作家)

(4)林宏也(Hiroya Hayashi:27歳 - 推理作家)

(5)鮫嶋智生(Tomoo Samejima:38歳 - 評論家)


彼らは皆、宮垣葉太郎の絶賛を受け、若くして文壇にデビューしたものの、彼らの中には、現在、伸び悩んでいる者も居た。


宮垣葉太郎の出迎えを待ち侘びる8名であったが、約束の時間を過ぎても、何故か、宮垣葉太郎は姿を見せなかった。

すると、そこへ彼の秘書である井野満男(Mitsuo Ino:36歳)が現れて、


*宮垣葉太郎は、今朝、自殺したこと

*宮垣葉太郎の遺書に従い、彼の死を警察にはまだ通報していないこと


を告げる。

自殺を遂げた宮垣葉太郎は、1本のテープを遺しており、そこには、驚くべき内容が録音されていたのである。