英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が2023年に発表した「シャーロック・ホームズ / 湖の怪物」(Sherlock Holmes / The Monster of the Mere → 2024年10月30日付ブログで紹介済)は、英国の湖水地方(Lake District)を舞台にしている。
湖水地方と言うと、思い出されるのが、英国の絵本作家であるヘレン・ベアトリス・ポター(Helen Beatrix Potter:1866年ー1943年)と彼女が生み出したピーターラビット(Peter Rabbit)である。
2016年7月28日に、ヘレン・ベアトリス・ポターの生誕150周年を記念した切手10種類が、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されているので、11月7日、11月9日および11月13日に引き続き、紹介したい。
今回は、ヘレン・ベアトリス・ポターが1902年に発表した「ピーターラビットのおはなし(The Tale of Peter Rabbit)」(1902年)にかかる記念切手4種類である。
ある時、寡婦となった母親うさぎが、子供達(ピーターラビットと娘3匹)に対して、 「お父さんは畑に入って、マグレガーおじさんに捕まり、パイにされてしまった。 だから、マグレガーおじさんの畑には絶対入らないように。」と忠告する。 |
ピーターラビットは、1893年9月4日に、ヘレン・ベアトリス・ポターが彼女の家庭教師で友人のアニー・ムーア(Annie Moore)の息子である病床のノエル少年(Noel - 5歳)に対して送った絵手紙が原型となっている。
1900年に、アニー・ムーアに勧められたヘレン・ベアトリス・ポターは、上記の絵手紙をベースにした絵本の執筆に入る。執筆を終えたヘレン・ベアトリス・ポターは、「ピーターラビットとマグレガーおじさんの畑」と言うタイトルの原稿を各出版社宛に送ったが、残念ながら、彼女の原稿は各出版社から断られてしまった。
そこで、自費出版を決意したヘレン・ベアトリス・ポターは、1901年12月16日、「ピーターラビットのおはなし」を自分で250冊印刷して、家族や友人達に配ったのである。
子供達のうち、娘うさぎの3匹は、母親うさぎの忠告通り、 マグレガーおじさんの畑には入らず、ブラックベリーを摘みに出かけた。 一方、悪戯好きなピーターラビットは、母親うさぎの忠告を聞かず、 マグレガーおじさんの畑に入り、おやつに畑の野菜を勝手に食べてしまう。 |
フレデリック・ウォーン社(Frederick Warne & Co.)は、当初、ヘレン・ベアトリス・ポターの原稿を断った出版社の1社であったが、彼女の作品が他の児童書と競合できるのではないかと考え、再検討を行った。そして、フレデリック・ウォーン社は、ヘレン・ベアトリス・ポターに対して、白黒の挿絵ではなく、色付きの挿絵を入れることを求めた。
フレデリック・ウォーン社の創業者の息子3人のうち、一番下で編集者であるノーマン・ウォーン(Norman Warne:1868年ー1905年)による協力の下、原稿を完成させたヘレン・ベアトリス・ポターは、1902年6月、5000冊を発行することで、同社と正式な出版契約を締結する。
そして、1902年10月、「ピーターラビットのおはなし」が出版され、初版8000冊が直ぐに売り切れとなった。更に、最初の出版から1年後には、56000冊以上が印刷され、商業的な成功を収めたのである。
マグレガーおじさんの畑の野菜を食べ過ぎて、 お腹が痛くなったピーターラビットは、パセリを探しに行った。 |
「ピーターラビットのおはなし」は、大変な悪戯っ子であるピーターラビットが、母親から「マグレガーおじさん(Mr. McGregor)の畑には、絶対行かないように。」といつも注意を受けているものの、母親の言い付けを守らず、畑へ忍び込んで、マグレガーおじさんに見つかってしまい、なんとか逃げ切ると言う話をその内容としており、現在、40近くの言語に翻訳され、世界的なベストセラーの1冊となっている。
マグレガーおじさんに見つかったピーターラビットは、 ジャケットと靴が脱げる程の勢いで、逃げ出したのである。 |
なお、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)も、彼の子供が欲しがったため、同作品を購入した1人であり、内容について、非常に高い評価を与えている。