2016年9月10日土曜日

ロンドン サウスストリート10番地(10 South Street):フローレンス・ナイチンゲールーロンドンでの所縁の地(その4)

フローレンス・ナイチンゲールが住んでいたサウスストリート10番地を示すブループラークが
8番地の建物と14番地の建物の中間の外壁に掛けられている。

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

(4)住所: サウスストリート10番地(10 South Street, Mayfair, London W1K 1OE)


シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級地区メイフェア(Mayfair)に、フローレンス・ナイチンゲールが住んでいた場所がある。

サウスストリート沿いに置かれている植栽

マーブルアーチ(Marble Arch)からパークレーン(Park Lane)を南下して来て、ドーチェスターホテル(Dorchester Hotel)の手前で左折したところがサウスストリート(South Street)で、その10番地(パークレーン寄りの場所)にフローレンス・ナイチンゲールが住んでいた家が存在していた。残念ながら、現在、その家は残っておらず、8番地の建物と14番地の建物の外壁に跨がるように、London Country Council のブループラーク表示が残るのみである。

フローレンス・ナイチンゲールがここに住んでいたことを示す
ブループラーク

サウスストリートの両側には、比較的階数が多いフラットが建ち並んでいる。歩道が狭い上に、住民が車を駐車できるレジデントパーキングスペース(Resident Parking Space)が両側にあるため、道路も狭く、車が行き交うのが難しい位である。その結果、フローレンス・ナイチンゲールの家があったサウスストリート10番地の辺りは、やや圧迫感を感じる。日中も、人通りはほとんどない。

サウスストリートの両側には、フラットが建っている。
フローレンス・ナイチンゲールが住んでいた家があった場所は、
画面左手中央にある。
また、画面奥を横切る通りは、パークレーン。

サウスストリートを東へ進むと、建物が後退し、歩道の幅も広がるので、圧迫感もなくなる。フローレンス・ナイチンゲールの家があったのと同じ側には、エジプト大使館があり、入口は警察によって警護されている。

サウスストリートを東方面に進んだところ

次回から、「緋色の研究」の本筋(アフガニスタンで負傷したジョン・H・ワトスンが英国に戻るところ)に戻ります。

2016年9月4日日曜日

ロンドン チェルシー王立廃兵院(Royal Hospital Chelsea)

チェルシー王立廃兵院の建物全景―
建物の前には、チャールズ2世の金色に輝く像が設置されている

アガサ・クリスティー作「あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow ?)」(1935年ー短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録)は、エルキュール・ポワロの事務所にアメリア・バロウビー(Amelia Barrowby)という独身の老婦人から依頼の手紙が届くところから、物語の幕が上がる。
彼女から来た手紙に書かれている依頼の内容は、「自分の身を案じているので、自宅に来てほしい。」という非常に曖昧なものであった。この奇妙な依頼の手紙に興味を持ったポワロは、秘書のミス・レモン(Miss Lemon)に指示して、「いつでも相談に応じる。(I will do myself the honour to call upon you at any time you suggest.)」と返信をするが、その後、彼女からは何も音信もなかった。


暫くして、ミス・レモンが手紙の差出人であるアメリア・バロウビーが死亡したことを新聞記事で偶然見つけ、ポワロに知らせる。アメリア・バロウビーが亡くなった際、姪のデラフォンテーン夫妻(Mr. and Mrs. Delafontaine)と一緒に食事をしていたのだが、(1)アーティチョークのスープ、(2)魚のパイと(3)アップルタルト以外、何も口にしていなかった。ところが、彼女の遺体からは、ストリキニーネが発見されたのである。ストリキニーネはとても苦い味がするため、アーティチョークのスープ、魚のパイやアップルタルトに混入されていたとは思えなかった。また、彼女は珈琲も飲まず、水だけを飲んでいた。ストリキニーネが混入したと考えられるのは、彼女が飲んでいた持病用のカプセル薬だけだった。そのカプセル薬に触れたのは、ロシア人の話相手(コンパニオン)のカトリーナ・リーガー(Katrina Rieger)のみだったため、彼女へ疑いの目が向けられた。
アメリア・バロウビーの死に疑問を感じたポワロは現地へ赴き、調査を始めるのであった。

ロイヤルホスピタルロード側から
チェルシー王立廃兵院内に入ったところに置かれている人形

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「あなたの庭はどんな庭?」(1991年)の回では、王立園芸協会(Royal Horticultural Society)主催のチェルシーフラワーショー(RHS Chelsea Flower Show)において、姪のメアリー・デラフォンテーン(Mary Delafontaine)、彼女の夫ヘンリー・デラフォンテーン(Henry Delafontaine)や話相手のカトリーナ・レイガー(Katrina Reiger)に付き添われた老婦人アメリア・バロウビーにポワロは出会う。そして、そこで彼女から中身のない種袋を渡されたポワロは、その意味を計りかねつつ、フラットに戻ると、そこには彼女からの手紙が彼を待っていた。彼女の依頼に従って、謎の花粉症に罹ったアーサー・ヘイスティングス大尉をフラットに残し、ミス・レモンを伴って、ポワロが彼女の家ローズバンク荘へ出向くと、メイドのルーシーから、彼女が昨日亡くなったことを知らされるのであった。

退役軍人が暮らすエリア(その1)

退役軍人が暮らすエリア(その2)

ポワロが車椅子に乗った老婦人アメリア・バロウビーに出会うチェルシーフラワーショーのシーンは、チェルシー王立廃兵院(Royal Hospital Chelsea)を使用して撮影されている。
同院はロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内に所在している。

退役軍人が暮らすエリア(その3)

退役軍人が暮らすエリア(その4)

同院は英国陸軍を退役した軍人(現在は男性/女性を問わず)の養老院となっている。当院への入居条件として、
(1)一定の期間、英国陸軍に勤務していたこと
(2)65歳以上であること
(3)世話/介護してくれる配偶者や家族が居ないこと
等が挙げられる。なお、女性の退役軍人の入院が認められたのは、2009年3月になってからである。

ソーホースクエアガーデンズ(Soho Square Gardens)内に設置されている
チャールズ2世像 -
デンマーク人の彫刻家 Caius Gabriel Cibber (1630年―1700年)が制作

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベイカールーライン(Bakerloo Line)プラットフォームの壁に描かれている
サー・クリストファー・マイケル・レンの横顔

チェルシー王立廃兵院は、王政復古期ステュアート朝の国王チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)が設立し、セントポール大聖堂等の建設で非常に有名な英国の建築家で、かつ天文学者でもあったサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)が同院の設計施工を担当した。同院の建設場所として、現在の地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)辺りから南西に延びるロイヤルホスピタルロード(Royal Hospital Road)とテムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるチェルシーエンバンクメント通り(Chelsea Embankment)に挟まれた場所が選ばれ、1682年から1692年にかけて建設された。同院が竣工し、退役軍人への門戸を開いたのは1692年で、同院を設立したチャールズ2世の2代後の国王ウィリアム3世(William III:1650年ー1702年 在位期間:1689年ー1702年)の治世下であった。

Ranelagh Gardens 内から見たチェルシー王立廃兵院の建物

チェルシー王立廃兵院内にある Ranelagh Gardens (その1) 

後に、サー・クリストファー・マイケル・レンは同院の拡張工事を行い、オリジナルの建物の両側にウィング(翼)を追加した。なお、東翼は「ライトハウスコート(Light House Court)」、そして、西翼は「カレッジコート(College Court)」と呼ばれている。

チェルシー王立廃兵院内にある Ranelagh Gardens (その2) 

Ranelagh Gardens 内に設置されている退役軍人の像

チェルシー王立廃兵院の建物の前には、設立者である国王チャールズ2世の金色に輝く像が設置されている。チャールズ2世の誕生日(1630年5月29日)と王位に着いた日(1660年5月29日)が奇しくも同じ5月29日で、この日を「チェルシー王立廃兵院設立日(The Royal Hospital Founder's Day)」として祝われ、英国王室メンバーが同院に住む退役軍人を訪問する習わしとなっている。

第一次世界大戦の従軍中に亡くなった兵士の追悼モニュメント

チェルシーフラワーショーは、王立園芸協会が主催し、毎年5月に開催されるガーデンショーで、当初は、ケンジントン地区(Kensington)にある RHS ガーデンで開催されたが、1913年からチェルシー王立廃兵院に会場が移された。

チェルシーフラワーショーは、20世紀後半からその人気が出始めて、今では毎年約16万人が観覧に訪れる程の盛況である。その人気のため、2005年から開催機関が4日間から5日間に延長された。ただし、最初の2日間については、入場できるのは、王立園芸協会会員のみに限定されている。また、英国王室メンバーは、王立園芸協会への公園活動の一環として、同ショーの下見に訪れている。

2016年9月3日土曜日

ロンドン フローレンス・ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum):フローレンス・ナイチンゲールーロンドンでの所縁の地(その3)

フローレンス・ナイチンゲール博物館の入場口に置かれている
フローレンス・ナイチンゲールの胸像

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

(3)フローレンス・ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)
   住所: ランベスパレスロード2番地
                  (2 Lambeth Palace Road, London SE1 7EW)

フローレンス・ナイチンゲール博物館の入口(その1)

フローレンス・ナイチンゲール博物館の入口(その2)

テムズ河(River Thames)の南岸にあるウォータールー駅(Waterloo Station)から徒歩5分程のところに、セントトマス病院(St. Thomas' Hospital)が所在しており、その病院の一角にフローレンス・ナイチンゲール博物館は位置している。

ナイチンゲール姉妹の肖像画が中央に置かれている。

フローレンス・ナイチンゲールがギリシアのアテネ(Athens)で助けたフクロウで、
アテネに因み、ギリシア神話のオリュンポス十二神の一人で、
知恵を司る女神であるアテナ(Athena)と彼女は名付けて、ペットにした。
以降、アテナはフローレンス・ナイチンゲールの肩に留まったり、
彼女の服のポケットに入ったりして、常に彼女に行く所に同行した。
フローレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争に看護婦として従軍した際には同行せず、
残念ながら、彼女の従軍中に、アテナは死んでしまった。

同博物館は、彼女の生涯を後世に伝えるために設立されたもので、クリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)の戦場で彼女が用いた看護キット等、多くの遺品や写真等が展示されている。訪問時には、フローレンス・ナイチンゲールの伝記(日本語版)も、博物館の一角に所蔵されていた。

クリミア戦争への従軍中に看護活動を行う
フローレンス・ナイチンゲール

クリミア戦争後、フローレンス・ナイチンゲールは
軍病院の開設等、看護活動の重要性について
世間が認知するよう、尽力した
。

同博物館は、ロンドン内の観光名所がある場所からやや外れているものの、ウェストミンスター橋(Westminster Bridge)を渡ったテムズ河の北岸には、国会議事堂(House of Parliament)やウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)等があるため、同博物館を訪れる観光客は割合と多い。

2016年8月28日日曜日

ロンドン カーゾンストリート9番地(9 Curzon Street)

トランパー化粧品店が営業しているカーゾンストリート9番地の建物

アガサ・クリスティー作「あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow ?)」(1935年ー短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録)は、エルキュール・ポワロの事務所にアメリア・バロウビー(Amelia Barrowby)という独身の老婦人から依頼の手紙が届くところから、物語の幕が上がる。
彼女から来た手紙に書かれている依頼の内容は、「自分の身を案じているので、自宅に来てほしい。」という非常に曖昧なものであった。この奇妙な依頼の手紙に興味を持ったポワロは、秘書のミス・レモン(Miss Lemon)に指示して、「いつでも相談に応じる。(I will do myself the honour to call upon you at any time you suggest.)」と返信をするが、その後、彼女からは何も音信もなかった。
暫くして、ミス・レモンが手紙の差出人であるアメリア・バロウビーが死亡したことを新聞記事で偶然見つけ、ポワロに知らせる。アメリア・バロウビーが亡くなった際,
姪のデラフォンテーン夫妻(Mr. and Mrs. Delafontaine)と一緒に食事をしていたのだが、(1)アーティチョークのスープ、(2)魚のパイと(3)アップルタルト以外、何も口にしていなかった。ところが、彼女の遺体からは、ストリキニーネが発見されたのである。ストリキニーネはとても苦い味がするため、アーティチョークのスープ、魚のパイやアップルタルトに混入されていたとは思えなかった。また、彼女は珈琲も飲まず、水だけを飲んでいた。ストリキニーネが混入したと考えられるのは、彼女が飲んでいた持病用のカプセル薬だけだった。そのカプセル薬に触れたのは、ロシア人の話相手(コンパニオン)のカトリーナ・リーガー(Katrina Rieger)のみだったため、彼女へ疑いの目が向けられた。
アメリア・バロウビーの死に疑問を感じたポワロは現地へ赴き、調査を始めるのであった。


英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「あなたの庭はどんな庭?」(1991年)の回では、物語の冒頭、アメリア・バロウビーの話相手(コンパニオン)であるカトリーナ・レイガー(Katrina Reiger)の(旧)ソビエト連邦の大使館との繋がりが描かれる。それに続いて、王立園芸協会(Royal Horticultural Society)主催のチェルシーフラワーショー(RHS Chelsea Flower Show)において、自分の名前を冠したピンクローズが披露される際にスピーチを行うことになったポワロは張り切って、ある店でコロンを買い入れる。このコロンが、物語の間ずーっと、アーサー・ヘイスティングス大尉に謎の花粉症状を引き起こすことになる。

トランパー化粧品店の右側には、
Third Church of Christ Scientist が建っている

ポワロがコロンを買い入れるシーンは、トランパー化粧品店(Geo F Trumper)において撮影されている。トランパー化粧品店は、理髪店を兼ねた男性用化粧品店で、1875年創業の老舗である。

トランパー化粧品店の全景(その1)

トランパー化粧品店は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)にある。バークリースクエア(Berkeley Squareー2014年11月29日付ブログで紹介済)からパークレーン(Park Laneー2015年6月27日付ブログで紹介済)へ向かって西に延びるカーゾンストリート(Curzon Streetー2015年9月12日付ブログで紹介済)に対して、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)へ向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)が地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)を過ぎた辺りから北に延びるハーフムーンストリート(Half Moon Streetー2014年12月21日付ブログで紹介済)が突き当たったところが、「カーゾンストリート9番地(9 Curzon Street)」に該り、トランパー化粧品店は現在もここで営業を続けている。

トランパー化粧品店の全景(その2)

2016年8月27日土曜日

ロンドン クリミア戦争碑(Crimean War Memorial):フローレンス・ナイチンゲールーロンドンでの所縁の地(その2)

夕闇に浮かぶクリミア戦争碑

(2)クリミア戦争碑(Crimean War Memorial)
   住所: ウォーターループレイス(Waterloo Place)


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)方面へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mallー2016年4月30日付ブログで紹介済)の途中にウォーターループレイスと呼ばれる広場があり、ここにクリミア戦争碑が建っている。

昼間のクリミア戦争碑

パル・マル通り側から見て、中央にクリミア戦争碑が、左側にフローレンス・ナイチンゲール像が、そして、右側にシドニー・ハーバート像が建っている。

クリミア戦争碑の正面

クリミア戦争碑の裏面

クリミア戦争碑は、セヴァストポールの戦い(Siege of Sevastopol)で使用された大砲からとったブロンズで、英国の彫刻家であるジョン・ベル(John Bell:1811年ー1895年)により制作され、1861年に除幕された。

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

フローレンス・ナイチンゲール像

フローレンス・ナイチンゲール像の台座正面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座左面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座右面

フローレンス・ナイチンゲール像の台座裏面

フローレンス・ナイチンゲール像は、英国の彫刻家アーサー・ジョージ・ウォーカー(Arthur George Walker:1861年ー1939年)によって制作されている。

初代ハーバート・オブ・リー男爵
シドニー・ハーバート像

ちなみに、右側に建つブロンズ像のモデルになった初代ハーバート・オブ・リー男爵シドニー・ハーバート(Sidney Herbert, 1st Baron Herbert of Lea:1810年ー1861年)は、ピール派(Peelite)とホイッグ党(Whig Party)によって組閣された第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトンーゴードン(George Hamilton-Gordon, 4th Earl of Aberdeen)率いる連立政権(1852年12月ー1855年1月)に、ピール派から閣僚の一人として戦時大臣として入閣した。

シドニー・ハーバート像の台座正面

シドニー・ハーバート像の台座左面

シドニー・ハーバート像の台座右面

クリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)をめぐって、彼は他のピール派閣僚と一緒に平和派に属して、参戦に反対したが、ホイッグ党閣僚に押し切られる形となり、英国はクリミア戦争に参戦することになった。そういった経緯に基づいて、クリミア戦争碑の右側にシドニー・ハーバート像が設置されたものと思われる。