2016年9月4日日曜日

ロンドン チェルシー王立廃兵院(Royal Hospital Chelsea)

チェルシー王立廃兵院の建物全景―
建物の前には、チャールズ2世の金色に輝く像が設置されている

アガサ・クリスティー作「あなたの庭はどんな庭?(How Does Your Garden Grow ?)」(1935年ー短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録)は、エルキュール・ポワロの事務所にアメリア・バロウビー(Amelia Barrowby)という独身の老婦人から依頼の手紙が届くところから、物語の幕が上がる。
彼女から来た手紙に書かれている依頼の内容は、「自分の身を案じているので、自宅に来てほしい。」という非常に曖昧なものであった。この奇妙な依頼の手紙に興味を持ったポワロは、秘書のミス・レモン(Miss Lemon)に指示して、「いつでも相談に応じる。(I will do myself the honour to call upon you at any time you suggest.)」と返信をするが、その後、彼女からは何も音信もなかった。


暫くして、ミス・レモンが手紙の差出人であるアメリア・バロウビーが死亡したことを新聞記事で偶然見つけ、ポワロに知らせる。アメリア・バロウビーが亡くなった際、姪のデラフォンテーン夫妻(Mr. and Mrs. Delafontaine)と一緒に食事をしていたのだが、(1)アーティチョークのスープ、(2)魚のパイと(3)アップルタルト以外、何も口にしていなかった。ところが、彼女の遺体からは、ストリキニーネが発見されたのである。ストリキニーネはとても苦い味がするため、アーティチョークのスープ、魚のパイやアップルタルトに混入されていたとは思えなかった。また、彼女は珈琲も飲まず、水だけを飲んでいた。ストリキニーネが混入したと考えられるのは、彼女が飲んでいた持病用のカプセル薬だけだった。そのカプセル薬に触れたのは、ロシア人の話相手(コンパニオン)のカトリーナ・リーガー(Katrina Rieger)のみだったため、彼女へ疑いの目が向けられた。
アメリア・バロウビーの死に疑問を感じたポワロは現地へ赴き、調査を始めるのであった。

ロイヤルホスピタルロード側から
チェルシー王立廃兵院内に入ったところに置かれている人形

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「あなたの庭はどんな庭?」(1991年)の回では、王立園芸協会(Royal Horticultural Society)主催のチェルシーフラワーショー(RHS Chelsea Flower Show)において、姪のメアリー・デラフォンテーン(Mary Delafontaine)、彼女の夫ヘンリー・デラフォンテーン(Henry Delafontaine)や話相手のカトリーナ・レイガー(Katrina Reiger)に付き添われた老婦人アメリア・バロウビーにポワロは出会う。そして、そこで彼女から中身のない種袋を渡されたポワロは、その意味を計りかねつつ、フラットに戻ると、そこには彼女からの手紙が彼を待っていた。彼女の依頼に従って、謎の花粉症に罹ったアーサー・ヘイスティングス大尉をフラットに残し、ミス・レモンを伴って、ポワロが彼女の家ローズバンク荘へ出向くと、メイドのルーシーから、彼女が昨日亡くなったことを知らされるのであった。

退役軍人が暮らすエリア(その1)

退役軍人が暮らすエリア(その2)

ポワロが車椅子に乗った老婦人アメリア・バロウビーに出会うチェルシーフラワーショーのシーンは、チェルシー王立廃兵院(Royal Hospital Chelsea)を使用して撮影されている。
同院はロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内に所在している。

退役軍人が暮らすエリア(その3)

退役軍人が暮らすエリア(その4)

同院は英国陸軍を退役した軍人(現在は男性/女性を問わず)の養老院となっている。当院への入居条件として、
(1)一定の期間、英国陸軍に勤務していたこと
(2)65歳以上であること
(3)世話/介護してくれる配偶者や家族が居ないこと
等が挙げられる。なお、女性の退役軍人の入院が認められたのは、2009年3月になってからである。

ソーホースクエアガーデンズ(Soho Square Gardens)内に設置されている
チャールズ2世像 -
デンマーク人の彫刻家 Caius Gabriel Cibber (1630年―1700年)が制作

地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベーカールーライン(Bakerloo Line)プラットフォームの壁に描かれている
サー・クリストファー・マイケル・レンの横顔

チェルシー王立廃兵院は、王政復古期ステュアート朝の国王チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)が設立し、セントポール大聖堂等の建設で非常に有名な英国の建築家で、かつ天文学者でもあったサー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)が同院の設計施工を担当した。同院の建設場所として、現在の地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)辺りから南西に延びるロイヤルホスピタルロード(Royal Hospital Road)とテムズ河(River Thames)に沿って東西に延びるチェルシーエンバンクメント通り(Chelsea Embankment)に挟まれた場所が選ばれ、1682年から1692年にかけて建設された。同院が竣工し、退役軍人への門戸を開いたのは1692年で、同院を設立したチャールズ2世の2代後の国王ウィリアム3世(William III:1650年ー1702年 在位期間:1689年ー1702年)の治世下であった。

Ranelagh Gardens 内から見たチェルシー王立廃兵院の建物

チェルシー王立廃兵院内にある Ranelagh Gardens (その1) 

後に、サー・クリストファー・マイケル・レンは同院の拡張工事を行い、オリジナルの建物の両側にウィング(翼)を追加した。なお、東翼は「ライトハウスコート(Light House Court)」、そして、西翼は「カレッジコート(College Court)」と呼ばれている。

チェルシー王立廃兵院内にある Ranelagh Gardens (その2) 

Ranelagh Gardens 内に設置されている退役軍人の像

チェルシー王立廃兵院の建物の前には、設立者である国王チャールズ2世の金色に輝く像が設置されている。チャールズ2世の誕生日(1630年5月29日)と王位に着いた日(1660年5月29日)が奇しくも同じ5月29日で、この日を「チェルシー王立廃兵院設立日(The Royal Hospital Founder's Day)」として祝われ、英国王室メンバーが同院に住む退役軍人を訪問する習わしとなっている。

第一次世界大戦の従軍中に亡くなった兵士の追悼モニュメント

チェルシーフラワーショーは、王立園芸協会が主催し、毎年5月に開催されるガーデンショーで、当初は、ケンジントン地区(Kensington)にある RHS ガーデンで開催されたが、1913年からチェルシー王立廃兵院に会場が移された。

チェルシーフラワーショーは、20世紀後半からその人気が出始めて、今では毎年約16万人が観覧に訪れる程の盛況である。その人気のため、2005年から開催機関が4日間から5日間に延長された。ただし、最初の2日間については、入場できるのは、王立園芸協会会員のみに限定されている。また、英国王室メンバーは、王立園芸協会への公園活動の一環として、同ショーの下見に訪れている。

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