2023年10月7日土曜日

パディントン駅 - くまのパディントンのブックベンチ(BookBench of Paddington Bear at Paddington Station)

パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントンのブックベンチ(その1)-
くまのパディントンの横には、彼が大好きなマーマレードジャムの瓶が置かれており、
また、マーマレードジャム入りのサンドウィッチを左手に持っている。
<筆者撮影>


今回は、「くまのパディントン像(Statue of Paddington Bear →2023年月日付ブログで紹介済)」に加えて、パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)の構内に設置されている「くまのパディントンのブックベンチ(BookBench of Paddington Bear)」について、紹介したい。


パディントン駅の1番プラットフォームを北側から眺めたところ
<筆者撮影>

2014年7月2日から同年9月15日まで、「ブックス・アバウト・タウン(Books about Town)」というイべントが、ナショナルリテラシートラスト(The National Literacy Trust)によって開催されて、以下の4つの地区に、本の形をしたベンチ(BookBench)が、全部で50個展示されていた。ロンドン市民、特に子供達に本を読む楽しみをもっと知ってもらう目的のためであった。


(1)ブルームズベリー(Bloomsbury)

(2)シティー・オブ・ロンドン(City of London)

(3)ロンドン橋(London Bridge)近辺のテムズ河南岸(Riverside)

(4)グリニッジ(Greenwich)


英国の作家であるマイケル・ボンド(Michael Bond:1926年-2017年)が生み出した「くまのパディントン(Paddington Bear)」をテーマにしたブックベンチも、ロンドン市内に展示されていた。


パディントン駅の1番プラットフォームに設置されている
くまのパディントンのブックベンチ(その2)
<筆者撮影>

現在、くまのパディントン」をテーマにしたブックベンチは、パディントン駅の1番プラットフォームに設置されているくまのパディントン像」の横(右側)に移設されて、乗客達の目を楽しませている。


くまのパディントンのブックベンチの背後にある壁に掛けられているプラーク
<筆者撮影>

また、くまのパディントン」をテーマにしたブックベンチの後ろの壁には、くまのパディントン」のプラークが掛けられている。


2023年10月6日金曜日

アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」<小説版(愛蔵版)>(Hallowe’en Party by Agatha Christie )- その1

2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Sarah Foster / HarperCollinsPublishers Ltd.
Cover images by Shutterstock.com) 


映画「名探偵ポワロ ヴェネツィアの亡霊(A Haunting in Venice → 2023年9月17日 / 9月20日 / 9月22日 / 9月24日付ブログで紹介済)が2023年9月15日から公開されたのに合わせて、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1969年に発表した「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」の愛蔵版(ハードバック版)が、今年、出版されているので、紹介致したい。


英国の俳優 / 映画監督 / 脚本家 / プロデューサーであるサー・ケネス・ブラナー(Sir Kenneth Branagh:1960年ー)が監督と主演(エルキュール・ポワロ)を務めた映画「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」(2017年)、「ナイル殺人事件(Death on the Nile)」(2022年)と「名探偵ポワロ:ヴェネチアの亡霊」(2023年)の脚本を担当したマイケル・グリーン(Michael Green)が、序文を寄せている。

マイケル・グリーンは、米国ニューヨーク生まれの TV ドラマ や映画の脚本家 / プロデューサーで、この序文において、サー・ケネス・ブラナー監督 / 主演の第3作目の原作として、「ハロウィーンパーティー」を使った経緯等を語っている。

なお、この序文は、2023年4月2日、バーバンク(Burbank)からジョン・F・ケネディー空港へと向かう飛行機の搭乗時に書かれたものである。


「ハロウィーンパーティー」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第60作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズに属する長編のうち、第31作目に該っている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」の
愛蔵版(ハードカバー版)の内扉(その1)

女性推理作家として有名なアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)は、ロンドンから30ー40マイル程離れた町ウッドリーコモン(Woodleigh Common)に住む友人のジュディス・バトラー(Judith Butler)宅に滞在していた。

ウッドリーコモンの中心的な存在であるロウィーナ・ドレイク夫人(Mrs. Rowena Drake)が、学校の生徒達のために、ハロウィーンパーティーを主催することになり、オリヴァー夫人やジュディス・バトラーも、準備作業を含めて、参加する運びとなった。


ハロウィーンパーティーを晩に控えた午後、ドレイク夫人宅「リンゴの木荘(Apple Trees House)」において、学校の生徒達が準備の手伝いをしていた。その際、生徒の一人である13歳のジョイス・レイノルズ(Joyce Reynolds)が、突然、「ずっと前に殺人を目撃したことがある。ただ、当時は、それが殺人だと判らなかった。(I witnessed a murder once, when I was little. I didn’t understand what was going on at the time.)」と言い出したのである。

ジョイス・レイノルズの話を聞いた他の生徒達は、日頃から彼女が人の関心を惹くために、いろいろと嘘をつくので、彼女を全く相手にしない。ドレイク夫人宅に準備の手伝いに来ていたオリヴァー夫人も、ジョイスが推理作家である自分の気を引こうとしているものと思い、彼女の話を本気にしなかった。


ドレイク夫人宅において、ハロウィーンパーティーが行われた日の翌日の晩、オリヴァー夫人が、ロンドンのエルキュール・ポワロのフラットに電話をかけてきた後、慌ててやって来る。オリヴァー夫人は、ポワロに対して、ヒステリー気味に話を始めた。

ハロウィーンパーティーが終わった後、以前殺人を目撃したことがあると言っていたジョイス・レイノルズが、ドレイク夫人宅の図書室において、リンゴが浮かぶブリキのバケツに頭を押し込まれて、溺死しているのが見つかったのである。


2023年10月5日木曜日

コーンウォール州(Cornwall) ローンストン城(Launceston Castle)- その1 

筆者がローンストン城で購入した
イングリッシュヘリテージのガイドブックの表紙


これまでに、デヴォン州(Devon)内に所在するダートマス城(Dartmouth Castle → 2023年9月10日 / 9月12日付ブログで紹介済)、トトネス城(Totnes Castle → 2023年9月14日 / 9月16日付ブログで紹介済)およびベリーポメロイ城(Berry Pomeroy Castle → 2023年9月19日 / 9月23日付ブログで紹介済)とコーンウォール州(Cornwall)内に所在するレストーメル城(Restormel Castle → 2023年9月27日 / 10月1日付ブログで紹介済)について御紹介したが、引き続き、コーンウォール州内に所在する城を紹介したい。


筆者がローンストン城で購入した
イングリッシュヘリテージのガイドブック内に載っている
城の図面


今回紹介するのは、ローンストン(Lauceston)の町を見下ろす場所に建つローンストン城(Lauceston Castle)である。


チケットオフィス越しに、ローンストン城のキープを望む
<筆者撮影>


1066年にノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)がイングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)した後の11世紀後半に、ローンストン城は、ウィリアム1世の異母弟である Rober, Count of Mrtain (1031年頃ー1095年頃)によって築かれたものと思われる。


チケットオフィスの入口
<筆者撮影>

ローンストン城は、ウォーリック州(Warwickshire)のウォーリック城(Warwick Castle → 2023年8月28日 / 8月30日付ブログで紹介済)、トトネス城およびレストーメル城と同じように、当初、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に、石製のものに代えられた。

なお、「モット・アンド・ベイリー」とは、「モット(motte)」と呼ばれる小高い丘の上に建てられた木製、または、石製のキープ(keep)と、矢来(palisade)や防御用の堀(rampart)等で囲まれた中庭(bailey)で構成された要塞施設のことを意味している。

ローンストン城は、その形状から、「三重冠(Triple Crown)」と呼ばれている。


チケットオフィスを抜けて、ローンストン城のキープへと向かう(その1)
<筆者撮影>

2023年10月4日水曜日

<第1300回> シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その25

画面中央の両側(ホワイトタワー(White Tower)内)に、ロンドン塔に幽閉された
ヨーク朝の第2代イングランド王であるエドワード5世と
弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーが、描かれている。
頭の上に王冠を乗せた2人の少年が、彼らである。
彼らの間に立っているのが、彼らをロンドン塔に幽閉して、
ヨーク朝の第3代かつ最後のイングランド王であるリチャード3世として即位した
グロスター公爵リチャードである。

英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日付ブログで紹介済)に関係する人物である。


<エドワード5世(Edward V:1470年ー1483年 在位期間:1483年4月10日ー同年6月25日)と初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリー(Richard of Shrewsbury, 1st Duke of York and 1st Duke of Norfolk:1473年ー1483年)>


エドワード5世は、ヨーク朝(House of York)の初代イングランド王であるエドワード4世(Edward VI:1442年ー1483年 在位期間:1461年-1483年 / ただし、1470年から1471年にかけて、数ヶ月間の中断あり)と王妃エリザベス・ウッドヴィル(Elizabeth Woodville:1437年頃ー1492年)の長男で、ヨーク朝の第2代イングランド王であるが、戴冠式挙行前に退位させられた。

初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーは、エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィルの次男(第6子)である。


フランスの画家であるポール・ドラローシュ(Paul Delaroche -
本名:イッポリト・ド・ラ・ローシュ(Hippolyte De La Roche)/ 1797年ー1856年)作
「ロンドン塔のエドワード5世とヨーク公
(Edward V and the Duke of York in the Tower)」(1831年)-
ロンドンのウォレスコレクション(Wallace Collection → 2014年6月15日付ブログで紹介済)で
筆者が購入した絵葉書から抜粋。


1483年4月9日、フランス討伐の準備中だったエドワード4世が死去したことに伴い、同年4月10日、エドワード5世は、父王の跡を継ぎ、12歳で王位を継承した。

エドワード5世がイングランドのシュロップシャー州(Shropshire)内にある居城ラドロー城(Ludlow Castle)からロンドンへと向かう中、エドワード5世の摂政(Protector)に就任した父方の叔父であるグロスター公爵リチャード(Richard, Duke of Gloucester - 後のリチャード3世(Richard III))が、母方の叔父で、父王の側近でもあった第2代リヴァーズ伯爵アンソニー・ウッドヴィル(Anthony Woodville, 2nd Earl of Rivers:1440年ー1483年)を逮捕して、エドワード5世に組する忠臣を排除する。

その後、グロスター公爵リチャードは、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人をロンドン塔に幽閉した。彼ら2人は、「塔の王子達(Princes in the Tower)」と呼ばれるようになる。

2ヶ月後の同年6月25日、イングランド議会は、エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの婚姻は無効のため、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人は、エドワード4世の「嫡子」ではなく、「庶子」であると認定の上、エドワード5世の王位継承を無効と議決した。その結果、グロスター公爵リチャードが推挙され、リチャード3世として、ヨーク朝の第3代イングランド王に即位したのである。リチャード3世がグロスター公爵リチャードの時に逮捕した第2代リヴァーズ伯爵アンソニー・ウッドヴィルは、その際に処刑されている。


19世紀中頃、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」
(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)を結成した画家の一人である
初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー
(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年 →
2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日 /
4月28日付ブログで紹介済)が1878年に描いた
「塔の王子達」。
(英国の Dorling Kindersley Limited から2001年に出版された
「Kings and Queens - A Royal History of
England & Scotland」から抜粋)
左側の少年がエドワード5世で、
右側の少年が弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公
リチャード・オブ・シュルーズベリーであると思われる。
厳密に言うと、絵が左右に反転している。

グロスター公爵リチャードだったリチャード3世によって、ロンドン塔に幽閉されたエドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人が、その後どうなったのかについては、現在に至るまで判明していない。

1483年の夏頃までは、ロンドン塔の庭で遊ぶ兄弟の姿が見かけられたが、次第にその姿が見られなくなったため、2人は殺されたと言う噂が、ロンドン市内において、広く囁かれるようになった。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


当時、兄弟は、リチャード3世によって暗殺されたものと考えられていたが、リチャード3世を討って、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年)によって殺されたとする学説も、現在、有力となっている。リチャード3世とヘンリー7世のいずれにとっても、エドワード5世と弟の初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリーの2人の存在が、自分達の障害でしかなかったのは、事実である。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


1674年に、ロンドン塔の改修に携わった作業員達によって、子供の遺骨と思われるものが入った木箱が発見された。王政復古期ステュアート朝(House of Stuart)のイングランド、スコットランド、そして、アイルランドの王であるチャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年-1685年)の命により、1678年に子供の遺骨と思われるものが入った木箱は、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に安置された。1933年に、専門家が木箱内の遺骨を鑑定したものの、残念ながら、性別や年齢が特定されなかった。


2023年10月3日火曜日

アガサ・クリスティー作「青列車の秘密」<英国 TV ドラマ版>(The Mystery of the Blue Train by Agatha Christie )- その3

第54話「青列車の秘密」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 6 ケースの表紙
 -
画面左側から、James D'Arcy が演じる
デリク・ケタリング(ルース・ケタリングの夫)、

サー・デヴィッド・スーシェ(Sir David Suchet:1946年ー)が演じるエルキュール・ポワロ、

そして、Elliot Gould が演じるルーファス・ヴァン・オールディン

(米国の大富豪で、ルース・ケタリングの父親)が並んでいる。


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第54話(第10シリーズ)として、2006年1月1日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「青列車の秘密(The Mystery of the Blue Train)」(1928年)の TV ドラマ版の場合、原作対比、以下のような差異が見受けられる。

今回は、エルキュール・ポワロを含む事件が関係者達が青列車に乗車してから、ルース・ケタリング(Ruth Kettering)の死体が発見されるまでの部分について、相違点を列挙する。


(14)

<TV ドラマ版>

青列車に乗車したキャサリン・グレイ(Katherine Grey)は、ルース・ケタリングから話しかけられる。

ルース・ケタリングは、キャサリン・グレイに対して、自分の愛人であるアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵(Armand, Comte de la Roche)を見せると、部屋を変えてほしいと頼む。何故かと言うと、キャサリン・グレイの部屋(7号室)は、アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵の部屋に近いからであった。

キャサリン・グレイは、ルース・ケタリングの依頼通りに、部屋の交換を聞き入れた。

<原作>

昼食をとるために、食堂車へと向かったキャサリン・グレイは、ルース・ケタリングと隣席になる。ルース・ケタリングは、「自分がこれからパリでしようとしている逢い引きについて、無謀だった。」と感じ始めており、キャサリン・グレイに対して、自分の気持ちを吐露するのであった。

キャサリン・グレイとルース・ケタリングの間の会話は、上記の内容にとどまっており、2人が部屋を交換することはない。


(15)

<TV ドラマ版>

ポワロがキャサリン・グレイに合流すると、彼女の従姉妹であるレディー・ロザリー・タンプリン(Lady Rosalie Tamplin)が寄って来て、ポワロに対し、ニース(Nice)では、ホテルではなく、自分の屋敷(Villa Margerite)に宿泊するように頼んだ。

<原作>

通常、こういった打ち明け話をした場合、打ち明けた当人は、打ち明けた相手に対して、二度と会いたがらないものだ。実際、ルース・ケタリングは、自室内で夕食を取るようで、食堂車へ赴いたキャサリンは、別の人物と同席することになる。それは、他ならぬエルキュール・ポワロだった。

原作の場合、レディー・ロザリー・タンプリン、コーキー(Corky - レディー・ロザリー・タンプリンの4番目の夫 / 原作では、チャビー(Chubby)と呼ばれている)とレノックス・タンプリン(Lenox Tamplin - レディー・ロザリー・タンプリンの娘)の3人は、青列車に乗車していないので、このような会話は為されていない。


(16)

<TV ドラマ版>

ルース・ケタリングの部屋へ、彼女の夫であるデリク・ケタリング(Derek Kettering)がいきなり訪ねて来る。ルース・ケタリングは、デリク・ケタリングに対して、手切れ金を渡すが、彼は納得しない。

<原作>

原作の場合、このような会話は為されていない。


(17)

<TV ドラマ版>

昼食後、キャサリン・グレイは、自分の部屋で、ポワロに対して、自分の身の上話を始める。

彼女の父親は、千人以上の従業員が居る会社を経営していた。米国の大富豪であるルーファス・ヴァン・オールディン(Rufus Van Aldin)が保有するヴァン・オールディン石油会社(Van Aldin Oli)が、「従業員を引き続き雇用する条件」で、会社を買った。ところが、その1週間後、ヴァン・オールディン石油会社は、従業員全員の解雇を実施した。そのため、責任を感じた彼女の父親は、自殺してしまったのである。

<原作>

原作の場合、このような記述はない。


(18)

<TV ドラマ版>

午後8時45分に、青列車は、パリのリヨン駅(Paris Gare Lyon)に到着。

キャサリン・グレイと部屋を交換して、7号室に入ったルース・ケタリングは、午後10時に遅い夕食を自分の部屋へ持って来るように、車掌に依頼。画面上、ルース・ケタリングの姿は見えないが、ポワロがこの場面を見かける。

ルース・ケタリングのメイドであるエイダ・メイスン(Ada Mason)が、リヨン駅で下車する。

午後10時になると、ルース・ケタリングの部屋(7号室)へ、夕食が運ばれてくる。画面上、ルース・ケタリングの姿が少しだけ見えるが、ポワロがこの場面を見かける。


一方、ルース・ケタリングの夫であるデリク・ケタリングと彼女の愛人であるアルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵は、同じコンパートメントで、カードゲームを翌朝まで続けた。レディー・ロザリー・タンプリンの4番目の夫であるコーキーも、同席していた。


翌日の午前4時に、青列車は、マルセーユ駅(Gare Marseille)に到着。

コーキーが、休憩のために、プラットフォームへ降りて来る。ポワロが、自分の部屋から、この場面を見かける。

<原作>

原作の場合、デリク・ケタリングは、青列車に乗車しているが、愛人のミレーユ(Mirelle)と一緒であり、TV ドラマ版のような場面はない。また、アルマン・ド・ラ・ローシュ伯爵は、パリに居て、ルース・ケタリングの到着を待っているので、青列車には乗車していない。更に、コーキー(原作では、チャビー)も、青列車には乗車していない。


(19)

<原作>

昼食の席で、ルース・ケタリングに話しかけられたこと、そして、夕食の席で、ポワロと同席になったことを除くと、キャサリン・グレイの身辺には、特に何も起きなかった。しかし、青列車がニースに到着すると、彼女は恐ろしい事件に巻き込まれることになる。

昨日、昼食の席で隣席となったルース・ケタリングが、自室内において、就寝中、何者かによって、首を絞められて殺害された後、激しい一撃で、顔の見分けがつかない程になっているのが、車掌によって発見されたのである。そして、彼女が携えていた「炎の心臓(Heart of Fire)」が紛失していた。

メイドのエイダ・メイスンも、その姿を消していたため、警察は、キャサリン・グレイに対して、身元の確認を依頼するが、顔の判別がつかず、それは難しかった。

そして、その場に居合わせたポワロが、警察に対して、捜査の協力を申し出るのであった。

<TV ドラマ版>

翌日の午前7時に、青列車は、ニース駅に到着。

レディー・ロザリー・タンプリンとレノックス・タンプリンが、7号室へ行って、ルース・ケタリングの死体を発見して、叫び声を上げる。2人は、キャサリン・グレイとルース・ケタリングが部屋を交換したことを知らない上に、死体の顔面がメチャメチャになっていて、判別が非常に困難であったため、ルース・ケタリングの死体をキャサリン・グレイだと勘違いしたのである。

そこへ、ルーファス・ヴァン・オールディンが駆け付けて来る。彼がルース・ケタリングの部屋を調べると、金庫が開けられており、彼女が携えていた「炎の心」が紛失していたのだった。


2023年10月2日月曜日

アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」<小説版(愛蔵版)>(The Murder of Roger Ackroyd by Agatha Christie )- その2

2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1926年に発表した「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd)」(1926年)では、キングスアボット村(King's Abbot)に住むジェイムズ・シェパード医師(Dr. James Sheppard)が「わたし」という語り手になって、事件を記録している。


同村のキングスパドック館(King's Paddock)に住むドロシー・フェラーズ夫人(Mrs. Dorothy Ferrars)は、裕福な未亡人で、村のもう一人の富豪であるロジャー・アクロイド(Roger Ackroyd)との再婚が噂されていたが、9月17日(金)の朝、亡くなっているのが発見された。

検死を実施した結果、「わたし」は睡眠薬の過剰摂取と判断したが、噂好きな姉のキャロライン・シェパード(Caroline Sheppard)は、夫人の死を自殺だと出張するのであった。何故ならば、同村では、ドロシー・フェラーズ夫人が、酒好きで、だらしのない夫アシュリー・フェラーズ(Ashley Ferrars)を殺害したという噂も流布していたからである。


外出した「わたし」は、偶然出会ったロジャー・アクロイドから「相談したいことがある。」と言われ、彼が住むフェルンリーパーク館(Fernly Park)での夕食に招待された。

その日の午後7時半に、彼の屋敷を訪ねた「わたし」は、(1)ロジャー・アクロイド、(2)彼の義理の妹で、未亡人のセシル・アクロイド夫人(Mrs. Cecil Ackroyd)、(3)セシル・アクロイド夫人の娘フローラ・アクロイド(Flora Ackroyd)、(4)ロジャー・アクロイドの旧友ヘクター・ブラント少佐(Major Hector Blunt)、そして、(5)ロジャー・アクロイドの秘書ジェフリー・レイモンド(Geoffrey Raymond)と食事をした際、その席上、フローラ・アクロイドが、ロジャー・アクロイドの養子ラルフ・ペイトン大尉(Captain Ralph Paton)との婚約を発表する。


食事の後、書斎へ移動した「わたし」は、ロジャー・アクロイドから悩みを打ち明けられる。

彼によると、昨日(9月16日)、再婚を考えていたドロシー・フェラーズ夫人から「夫のアシュリー・フェラーズを毒殺した。」と告白された、と言うのである。その上、彼女はそのことで正体不明の何者かに強請られていた、とのことだった。

ちょうどそこに、ドロシー・フェラーズ夫人からの手紙が届く。ロジャー・アクロイドは、その手紙を開封しようとしたが、彼女を強請っていた恐喝者の名前を知らせる内容が書かれているものと考えた彼は「落ち着いて、後で一人でゆっくりと読むつもりだ。」と告げると、「わたし」に帰宅を促すのであった。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)内にある
ロジャー・アクロイド邸のフェルンリーパーク館の見取り図

(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 

徒歩での帰宅途中、「わたし」は見知らぬ男性にフェルンリーパーク館、即ち、ロジャー・アクロイド邸への道を尋ねられる。

「わたし」が自宅に戻ると、急に電話の音が鳴り響く。「わたし」が受話器をとると、それは、ロジャー・アクロイドの執事ジョン・パーカー(John Parker)だった。彼によると、ロジャー・アクロイドが部屋で亡くなっている、とのことだった。

「わたし」は、姉のキャロラインにそのことを知らせると、車に飛び乗り、ロジャー・アクロイド邸へと戻った。


ロジャー・アクロイド邸に着いた「わたし」を出迎えたジョン・パーカーに電話のことを尋ねると、彼は「そんな電話をした覚えはない。」と答えるのであった。

ロジャー・アクロイドのことが心配になった「わたし」が、ジョン・パーカーと一緒に、彼の部屋へ赴くと、彼は刺殺されていて、ドロシー・フェラーズ夫人から届いた手紙も消えていた。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)内にある
ロジャー・アクロイドの書斎の見取り図

(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 

フローラ・アクロイドの婚約者で、ロジャー・アクロイドの遺産を相続することになるラルフ・ペイトン大尉が姿を消したため、地元警察は、彼を有力な容疑者と考え、彼の行方を追う。

ラルフ・ペイトン大尉の身を案じたフローラ・アクロイドは、私立探偵業から隠退し、キングスアボット村の「わたし」の隣りに引っ越して、カボチャ栽培に精を出していたエルキュール・ポワロに、事件の真相解明を依頼するのであった。


本作品を未読の方も居ると思われるので、詳細な説明を省くが、アガサ・クリスティーは、読者から犯人を秘匿するために、既に前例はあったものの、あるトリックを使用しており、本作品の発表時に、フェア・アンフェア論争を引き起こしている。

物語の中で、彼女が仕掛けたトリックは、その内容故に、映画、TV やグラフィックノベル等による「視覚化」が、非常に困難である。本作品のグラフィックノベル版(→ 2022年11月1日 / 11月3日付ブログで紹介済)の場合、イラストレーターは、アガサ・クリスティーによるトリックの内容をうまく視覚化の上、あまり目立たないよう、物語の各シーンの中に、うまく溶け込ませていると言える。

ただ、トリックが特殊である関係上、映画、TV やグラフィックノベル等に「視覚化」すると、物語自体が普通の推理小説になってしまう可能性が非常に高く、そういった意味では、本作品は、「視覚化」には適していない。従って、本作品の真の面白さを知るためには、原作自体を文章で読むしかないと言える。


2023年10月1日日曜日

コンウォール州(Cornwall) レストーメル城(Restormel Castle)- その2

レストーメル城のキープを外側から見上げたところ(その1)


昔、戦略上の要所とされていたロストウィジール(Lostwithiel)の町を見下ろす場所に建つレストーメル城(Restormel Castle)が、歴史上、戦いの場所となるのは、一度のみである。


レストーメル城のキープを外側から見上げたところ(その2)


1625年にステュアート朝(House of Stuart)の初代国王である父ジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)の死去に伴い、第2代国王(イングランド、スコットランドとアイルランドの王)となったチャールズ1世( Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年-1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)は、父王と同様に「王権神授説」を信奉して、議会と対立。1628年に議会は「権利の請願(Petition of Right)」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求めたが、チャールズ1世は1629年に議会を解散して、議会の指導者を投獄する等、専制政治を実行した。更に、彼は国教統一にも乗り出し、ピューリタン(Puritan)を弾圧したため、各地での反乱を引き起こす引き金となった。


レストーメル城のキープの上から内側を見下ろしたところ(その1)

1642年、チャールズ1世が反国王派の議員を逮捕しようとしたことに伴い、議会派と王党派の内戦が勃発。これが、ピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)である。


レストーメル城のキープの上から内側を見下ろしたところ(その2)

1644年にレストーメル城が、そして、1645年に、トトネス城が、王党派軍によって占拠された。その後、王党派軍は、議会派を支持したダートマス(Dartmouth → 2023年9月10日 / 9月12日付ブログを紹介ず)へと進軍して、1646年1月、ダートマス城を含むダートマスを攻撃し、1日で陥落させている。

ピューリタン革命後の1649年に行われた調査によると、レストーメル城は、ほとんど廃墟と化しており、修復が非常に困難な上、取り壊すために、お金をかける程の価値もないとされている。


レストーメル城のキープの上から内側を見下ろしたところ(その3)

その後も、レストーメル城は、廃虚のままとなっていたが、19世紀に入ると、絵画のように美しいとの評判により、トトネス城と同様に、人気の観光名所となる。


レストーメル城のキープの上から内側を見下ろしたところ(その4)

1925年に、コンウォール公爵エドワード王子(Prince Edward, Duke of Cornwall:1894年ー1972年 - 後に、ウィンザー朝(House of Windsor)第2代国王であるエドワード8世(Edward VIII:1932年1月20日ー同年12月11日)として即位)は、英国の建設省(Ministry of Works - 1971年以降は、環境省(Department of the Environment)の一部として編入)に対して、レストーメル城の管理を委ねた。

レストーメル城は、現在、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)により管理され、一般に開放されている。


レストーメル城のキープの上から内側を見下ろしたところ(その5)

レストーメル城は、コンウォール州におけるノルマン様式で築かれた主要な4大城の一つで、他には、(1)ローンストン城(Launceston Castle)、(2)ティンタジェル城(Tintagel Castle → 2022年7月23日付ブログで紹介済)と(3)トレメートン城(Trematon Castle)がある。