米国の Quirk Books 社から2007年に出版された ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の表紙 (Design by Doogie Horner / Illustration by Clint Hansen) |
本作品「ワトスン博士の犯罪」(An Interactive Sherlock Holmes Mystery / The Crimes of Dr. Watson)」は、米国ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)出身の作家であるドゥエイン・ルイス・スウィアジンスキー(Duane Louis Swierczynski:1972年ー)が執筆して、彼の出身地であるフィラデルフィアの Quirk Books 社から2007年に出版された。
ドゥエイン・スウィアジンスキーは、ノンフィクション、小説や漫画等の執筆で知られている。
米国の Quirk Books 社から2007年に出版された ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その1) (Illustration by Clint Hansen) |
1895年12月13日、ジョン・H・ワトスンは、米国ペンシルヴァニア州フィラデルフィアに住む友人であるハリー大佐(Colonel Harry)宛に手紙を書いていた。彼は、今、コールドバスフィールズ刑務所(Coldbath Fields Prison)に居た。なんと、彼は、殺人や放火等の罪で、同刑務所に投獄されていた。
1891年5月4日の午後、シャーロック・ホームズは、犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)の底へと姿を消していた。
ワトスンは、自分が投獄された元となった事件の詳細を語るとともに、ホームズ亡き今、代わりに事件の真相を解明してほしいと、ハリー大佐に対して依頼するのであった。
サー・アーサー・コナン・ドイルが 「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1893年12月号に発表した 「最後の事件(The Final Problem)」が、 本事件の捜査資料の一つとして、ページに添付されている |
ホームズとワトスンが同居していたベーカーストリート221B(221B Baker Street)の下宿について、契約をそのままにして、ワトスンは、その後、数ヶ月間にわたって、室内を捜索したが、ホームズの最後の手紙において言及された資料は、何も見つからなかった。
ワトスンの妻であるメアリー(Mary)は、彼に対して、「ベーカーストリート221Bの契約をそのままにしておくのは、お金の浪費で、貴方は未だにベーカーストリート221Bに取り憑かれている。」と告げるのであった。
1895年の夏が終わる頃、ワトスンの元に、米国から手紙が届く。その中には、オハイオ州(Ohio)クリーヴランド(Cleveland)にある劇場のチケットだけが入っていた。
ワトスンには、クリーヴランドに知人は一人も居ない上に、同地へ出かける予定もなかった。妻のメアリーも、この不可解な手紙に眉を顰める。
更に驚くべきことには、ワトスン夫妻は最近引っ越したばかりで、それにもかかわらず、その新しい住所宛に米国の謎の人物から劇場のチケットだけが入った手紙が届いたのである。
米国の Quirk Books 社から2007年に出版された ドゥエイン・スウィアジンスキー作「ワトスン博士の犯罪」の挿絵(その2) (Illustration by Clint Hansen) |
更に、その1週間後、米国から届いた3番目の手紙には、女性用コルセット等が記載されたブローシャーが入っており、手紙の差出地は、イリノイ州(Illinois)シカゴ(Chicago)であった。
ワトスンは、もしかして、ホームズが生きていて、現在滞在している米国から、ワトスンに対して、何かを伝えようとしているのではないかと考え、いろいろと知恵を絞るが、残念ながら、何も思い付かなかった。
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