大英図書館(British Library)が発行する British Library Crime Classics の一つに加えられている F・W・クロフツ作「クロイドン発12時30分」の表紙 |
「クロイドン発12時30分(The 12:30 from Croydon)」は、英国の推理作家であるフリーマン・ウィルス・クロフツ(Freeman Wills Crofts:1879年ー1957年)が1934年に発表した推理小説で、スコットランドヤードのジョーゼフ・フレンチ警部(Inspector Joseph French)(後に、主席警部→警視→主席警視に昇進)が登場するシリーズ11作目の長編に該る。
英国のヨークシャー州(Yorkshire)に住むローズ・モーリーは、祖父のアンドリュー・クラウザー(Andrew Crowtherー引退した富豪)、父のピーター・モーリー(農場経営者)とジョン・ウェザラップ(祖父の世話係兼執事)の3人と一緒に、ロンドンのヴィクトリア駅(Victoria Station)近くにある空港バス乗り場から、クロイドン空港へと向かった。昨夜、母のエルシー・モーリーが、パリにおいて、タクシーにはねられて重傷を負ったという恐ろしい知らせが届いたのである。ローズ・モーリーは、交通事故に遭った母親に対して、胸の潰れる思いを持つ一方、生まれて初めて飛行機に乗るため、感情を昂らせていた。その後、彼女には、もっと恐ろしいことが起きるのであった。
12時30分クロイドン発パリ行きの旅客機がボーヴェ空港に着陸した時、ローズ・モーリーに帯同していたアンドリュー老人は、座席に座ったまま、既に死亡していた。検視の結果、彼が服用していた消化不良用の薬に、青酸カリが混入されており、その中毒死だったのである。
ここで、物語は過去に戻り、クラウザー電動機製作所の社長であるチャールズ・スウィンバーン(Charles Swinburn)によるアンドリュー老人の殺害計画が綴られていく。
同じく、ヨークシャー州に住むチャールズ・スウィンバーンは、亡くなった父と引退した叔父(アンドリュー老人)から、クラウザー電動機製作所を受け継いだが、1929年に米国から始まった世界恐慌(Great Depression)による経済不況のあおりを受けて、会社の資金繰りに四苦八苦していた。チャールズが想いを寄せるユナ・メラー(Una Mellor)は、落ちぶれた男を相手にはしてくれそうもなかった。チャールズは、叔父のアンドリュー老人に対して、会社への資金援助を要請するものの、ダメな甥の烙印を押されて、資金援助は望めそうもなかった。正に、チャールズは、四面楚歌の状況だった。
老い先短い叔父のアンドリュー老人の命をとるか、それとも、自分と会社の従業員の命をとるか、2つの選択肢に迫られたチャールズは、自分の身の安全を図りつつ、叔父の遺産を受け取って、会社を再建するために、叔父の殺害計画を練り、計画を実行に移すのであった。
叔父のアンドリュー老人殺害計画は無事に遂行され、チャールズが快哉を叫んだのもつかの間、彼の前に、スコットランドヤードのフレンチ警部が姿を現した。チャールズは、不安に駆られる。自分の計画は、どので破綻したのか、と。
作者のフリーマン・ウィルス・クロフツは、1879年にアイルランド島のダブリンに出生。英国陸軍の軍医だった地父親の死後、母親の再婚相手が住むアイルランド島の北東部アルスター地方ダウン州で育つ。
その後、F・W・クロフツは、当地で鉄道義姉となるが、40歳(1919年)の時に病で入院。その療養中に構想した処女作「樽(The Cask)」を1920年に発表、好評を博して、推理作家への仲間入りを果たしたである。「樽」は、F・W・クロフツの処女作であるとともに、彼の代表作の一つである推理小説となっている。また、同作は、推理小説におけるアリバイ崩しを確立させたとも評されている。
F・W・クロフツは、5作目の長編「フレンチ警部最大の事件(Inspector French’s Greatest Case)」(1925年)から、シリーズ探偵として、フレンチ警部を起用し、以降の全長編にフレンチ警部が登場する。
「クロイドン発12時30分」は、フランシス・アイルズ(Francis Iles:1893年ー1971年 なお、彼は、本名のアントニー・バークリー・コックス(Anthony Berkeley Cox)でも、推理小説を執筆している)作「殺意(A Story of a Commonplace Crime)」(1931年)やリチャード・ハル(Richard Hull:1896年ー1973年)作「伯母殺人事件(The Murder of My Aunt)」(1934年)と並び、倒叙推理小説の三大傑作の一つに数えられている。
ただし、「クロイドン発12時30分」の場合、フレンチ警部が登場するのが、物語の終盤である上に、犯人であるチャールズ・スウィンバーンの逮捕がやや唐突であること等、「犯罪が遂行された後、探偵役が登場して、犯人が犯した失敗を突き止めて、犯人を追い込んでいく」という倒叙推理小説の典型的なストーリーラインには必ずしも合致していないので、本作を純粋な意味での倒叙推理小説の代表作と言えるかは、微妙なところである。
なお、「クロイドン発12時30分」は、1959年に東京創元社の創元推理文庫から初版が発行されているが、2019年に同社から新訳版が出ている。