2020年2月15日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「連続殺人事件」(The Case of the Constant Suicides by John Dickson Carr)–その1

東京創元社から出版された創元推理文庫「連続殺人事件」の表紙
カバーイラスト: 山田 雅史氏

一族の当社であるアンガス・キャンベルが住んでいたシャイラ城が、
画面奥に描かれている。

「連続殺人事件」(The Case of the Constant Suicides)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1941年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第13作目に該る。

ロンドンの University College, Highgate で教授を務める若手歴史学者のアラン・D・キャンベル(Allan D. Campbell)は、一族の当主であるアンガス・キャンベル(Angus Campbell)が死亡し、親族会議が開かれるという報せを受けて、スコットランドへ向かうべく、ユーストン駅(Euston Station)でグラスゴー(Glasgow)行きの午後9時15分発の列車に乗り込んだが、発車が遅れていた。
アラン・キャンベルは、従姉妹のキャスリーン・アイリーン・キャンベル(Kathryn Irene Campbell)と当該列車に偶然乗り合わせた。キャスリーン・キャンベルは、Harpenden College for Women の史学科に勤務していた。
アラン・キャンベルとキャスリーン・キャンベルの二人は、一緒にスコットランドへ行くこととなった。

アラン・キャンベルとキャスリーン・キャンベルの二人が乗った列車は、当初、翌朝の6時半にグラスゴー駅に着く予定だったが、大幅に遅れて、彼らが駅に到着したのは、午後1時近かった。グラスゴー駅から現地へと向かう接続用の列車が出るまでに、残り15分程しかなかったため、二人は昼食も満足にとれなかった。
現地の駅へと着いた二人は、そこで父親がスコットランド出身のカナダ人で、ジャーナリストであるチャールズ・E・スワン(Charles E. Swan)と知り合いになり、彼が手配した車に同乗して、ローモンド湖(Loch Lomond)近くにあるアンガス・キャンベルが住んでいたシャイラ城(Castle of Shira)へ一緒に向かうことになった。

シャイラ城に着いたアラン・キャンベルとキャスリーン・キャンベルの二人は、死亡したアンガス・キャンベルの弟であるコリン・キャンベル(Colin Campbell)に出迎えられる。
また、コリン・キャンベルに問われたチャールズ・スワンは、「(シャイラ城に同居するアンガス・キャンベルの内縁の妻である)エルスパット・キャンベル(Elspat Campbell)に呼ばれて、ここに来た。」と答えるのであった。
彼らの他に、シャイラ城には、弁護士のアリステア・ダンカン(Alistair Duncan)とヘラクレス保険会社(Hercules Insurance Company)のウォルター・チャップマン(Walter Chapman)も到着していた。

コリン・キャンベルがチャールズ・スワンをエルスパット・キャンベルに引き合わせる間、待っているように言われた部屋で、アラン・キャンベルとキャスリーン・キャンベルの二人が歴史談議を戦わせていると、隣りの部屋からアリステア・ダンカンとウォルター・チャップマンの会話が聞こえてきた。アラン・キャンベルとキャスリーン・キャンベルの二人は、意図せず、彼らの会話を聞いてしまうことになった。

一族の当主であるアンガス・キャンベルは、シャイラ城に聳え立つ尖塔内にある寝室でいつものように一人で就寝していたのだが、ある夜、その尖塔から自殺としか思えない状況で転落の上、死亡したのである。しかしながら、彼の死には、不審な点がいくつもあることが判明したのだった。

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