シャーロック・ホームズ最後の事件 (The Last Sherlock Holmes Story) 著者: Michael Dibdin 1978年 出版: Faber and Faber Limited 1990年 |
1926年2月16日、ジョン・H・ワトスンは、ハンプシャー州リンドハーストの自宅において、階段からの転落による怪我による死去。享年73歳。
ワトスンの遺言書には、「銀行の金庫内に預けてある書類については、自分の死後50年を経過するまで、これを公表してはならない。」という条件が付されていた。(これは、エドワード・B・ハナ(Edward B. Hanna)が1992年に執筆した「ホワイトチャペルの恐怖(The Whitechapel Horrors→2014年4月20日付ブログで紹介済)」と似た展開である。)
そして、1976年夏に開封されたワトスンが残した書類には、驚くべき内容が記されていたのである。
話は、1888年9月28日まで遡る。ロンドンのホワイトチャペル地区(Whitechapel)では、「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」が、残虐な方法で、既に2人の娼婦を殺害して、ロンドン中を恐怖のどん底に落としれていた。
本作品において、シャーロック・ホームズとワトスンは、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が執筆する物語の登場人物ではなく、ドイルと同じ世界に生きている人物として描かれている。
本作品の開始時点で、ワトスンが記録したメモに基づいて、ドイルが「緋色の研究(A Study in Scarlet→2016年7月30日付ブログで紹介済)」(事件発生年月:1881年3月)を執筆の上、世間に発表している。
また、ワトスンは、「四つの署名(The Sign of the Four→2017年8月12日付ブログで紹介済)」(事件発生年月:1888年9月)を通じて、将来結婚する相手のメアリー・モースタン(Mary Morstan)に既に出会っている。
ホームズがロンドンでの諮問探偵業を始めて以降、ロンドン市内の主要な犯罪者が逮捕されてしまった結果、自分の優れた頭脳に対抗できるだけの知力を持った犯罪者が居ないことを嘆いていた。
そこに現れたのが、あのジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)である。
当初、モリアーティー教授は、自分が直接犯罪に手を下す訳ではなく、ロンドン市内の犯罪者達を背後から操るだけであったが、ホームズ曰く、それだけでは飽き足らなくなったモリアーティー教授は、遂に自ら犯罪に手を染める方向へ舵を切ったのである。つまり、モリアーティー教授は、「切り裂きジャック」として、ロンドンのホワイトチャペル地区内で殺人を遂行し始めたのだと、ホームズはワトスンに対して告げる。
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