2019年1月6日日曜日

ロンドン テンプルバー(Temple Bar)ーその1

1666年のロンドン大火(Great Fire of London)後、セントポール大聖堂を再建した
サー・クリストファー・マイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren)が設計した
テンプルバーゲート(Temple Bar Gate)は、現在、
三菱地所が再開発したパタノスタースクエア(Paternoster Square)と
セントポール大聖堂の間に移設されている–
上の写真は、パタノスタースクエア側から見たテンプルバーゲート(その1)

「皇帝のかぎ煙草入れ(The Emperor’s snuff-Box)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が発表した推理小説で、1942年に米国のハーパー&ブラザーズ社(Harper & Brothers)から、そして、1943年に英国のヘイミッシュ・ハミルトン社(Hamish Hamilton)から刊行された。本作品は、ジョン・ディクスン・カー名義の長編23作目に該り、(1)アンリ・バンコラン(Henri Bencolin)シリーズ、(2)ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズ、(3)ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズや(4)歴史ミステリーものに属さないノン・シリーズの作品である。本作品では、精神科医のダーモット・キンロス博士が探偵役を務める。

パタノスタースクエア側から見たテンプルバーゲート(その2)

フランスの避暑地であるラ・バンドレットのアンジェ街のミラマール荘に住むイヴ・ニールは、有名なテニス選手との不倫を理由に、夫のネッド・アトウッドと離婚した後、向かいのボヌール荘に住むトビイ・ローズと親しくなる。フックソン銀行ラ・バンドレット支店の管理職を務めるトビイ・ローズは、品行方正さを揶揄う母ヘレナや妹ジャニスに対して、次のように話す。

「フックソン銀行はイギリスでも指折りの、由緒ある格式高い銀行だよ。金細工商だった時代からテンプル・バーのそばにあるんだから」トビイはそう言ったあとイヴの方を向いた。「父の骨董品コレクションにはね、かつてそこの紋章として使われていた金細工が含まれているんだ」(創元推理文庫「皇帝のかぎ煙草入れ」<駒月雅子氏訳>)

パタノスタースクエア側から見たテンプルバーゲート(その3)

トビイ・ローズの話に出てきたテンプルバー(Temple Bar)とは、約2千年前のローマ帝国によるロンディニウム(Londinium)創建を起源に、都市として発展してきた現在のシティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)に該る地域へ至る通りに設けられた関所があった場所のことである。
ロンディニウムとして始まったロンドンは、都市防衛のため、市街壁を築き、市街壁の要所に関所を設け、都市へ出入りする交易を管理した。関所のうち、一番頻繁に使用されたのが、テンプルバーである。

セントポール大聖堂側から見たテンプルバーゲート(その1)

1066年のヘイスティングスの戦い(Battle of Hastings)を経て、イングランドを征服したノルマンディー公ギョーム2世は、同年ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)において、イングランド王ウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年)として即位し、ノルマン朝を開き、シティー・オブ・ロンドンの南東部分にホワイトタワー(White Tower→現在のロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済))を建設して、統治を行った。

ウィリアム1世の三男で、ノルマン朝第2代イングランド王であるウィリアム2世(William II:1066年頃ー1100年 在位期間:1087年ー1100年)が、1097年にウェストミンスター寺院に程近い場所に、ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)の基礎となるウェストミンスターホール(Westminster Hall)を建設した。ウェストミンスターホールの建設によって、それまでは国中を移動する宮廷に同伴していた中央政府の各機関はウェストミンスターホール周辺に固定され、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のウェストミンスター地区(Westminster)が、ロンドンの首都として、政府機能を果たす一方、シティー・オブ・ロンドンは、自治機能を有するイングランド最大の商業都市として発展していった。
こうして、政治活動の中心地であるウェストミンスター地区と経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドンの中間地点に該るテンプルバーは、双方によって頻繁に使用されたのである。

セントポール大聖堂側から見たテンプルバーゲート(その2)

テンプルバーの名前は、南側に建つテンプル教会(Temple Church)に因んで、名付けられた。

テンプルバーが建つ場所の西側は、現在、シティー・オブ・ウェストミンスター区のストランド地区(Strand)に属して、通りの名前はストランド通り(Strand→→2015年3月29日付ブログで紹介済)となっているが、東側は、シティー・オブ・ロンドンに属して、通りはフリートストリート(Fleet Street→2014年9月21日付ブログで紹介済)へと名前が変わる。

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