2019年1月20日日曜日

ロンドン テンプル教会(Temple Church)–その1


「皇帝のかぎ煙草入れ(The Emperor’s snuff-Box)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が発表した推理小説で、1942年に米国のハーパー&ブラザーズ社(Harper & Brothers)から、そして、1943年に英国のヘイミッシュ・ハミルトン社(Hamish Hamilton)から刊行された。本作品は、ジョン・ディクスン・カー名義の長編23作目に該り、(1)アンリ・バンコラン(Henri Bencolin)シリーズ、(2)ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズ、(3)ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズや(4)歴史ミステリーものに属さないノン・シリーズの作品である。本作品では、精神科医のダーモット・キンロス博士が探偵役を務める。


フランスの避暑地であるラ・バンドレットのアンジェ街のミラマール荘に住むイヴ・ニールは、有名なテニス選手との不倫を理由に、夫のネッド・アトウッドと離婚した後、向かいのボヌール荘に住むトビイ・ローズと親しくなる。フックソン銀行ラ・バンドレット支店の管理職を務めるトビイ・ローズは、品行方正さを揶揄う母ヘレナや妹ジャニスに対して、次のように話す。

「フックソン銀行はイギリスでも指折りの、由緒ある格式高い銀行だよ。金細工商だった時代からテンプル・バーのそばにあるんだから」トビイはそう言ったあとイヴの方を向いた。「父の骨董品コレクションにはね、かつてそこの紋章として使われていた金細工が含まれているんだ」(創元推理文庫「皇帝のかぎ煙草入れ」<駒月雅子氏訳>)

テンプル教会前の広場チャーチコート(Church Court)に建つ
テンプル騎士団の記念柱(その1)

トビイ・ローズの話に出てきたテンプルバー(Temple Bar→2019年1月6日 / 1月12日 / 1月19日付ブログで紹介済)は、その南側に建つテンプル教会(Temple Church)に因んで名付けられている。

テンプル教会前の広場チャーチコートに建つ
テンプル騎士団の記念柱(その2)

テンプル教会は、12世紀後半に、テンプル騎士団(Knights Templarー中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会の一つ)によって、現在のフリートストリート(Fleet Street→2014年9月21日付ブログで紹介済)とテムズ河(River Thames)の間の地に、同イングランド本部として建設された。建物が、円形教会となっているという特徴がある。なお、テンプル騎士団の正式名称は、「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友達」である。1185年2月10日に、教会の献堂式が行われ、プランタジネット朝初代国王のヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)も出席したと言われている。


1307年にテンプル騎士団が廃止された後、プランタジネット朝第6代国王のエドワード2世(Edward II:1284年ー1327年 在位期間:1307年ー1327年)がテンプル教会を国王管理下に置いた。その後、テンプル教会は、聖ヨハネ騎士団(Knights Hospitallerー11世紀に起源を持つ宗教騎士団)に与えられ、同騎士団は教会を弁護士の法学校2校へ貸し出した。この法学校2校が、現在、ロンドンに4つある法曹院(Inns of Court)のうちの2つに該る「インナーテンプル(Inner Temple)」と「ミドルテンプル(Middle Temple)」へと発展していく。


テューダー朝第2代国王のヘンリー8世(Henry VIII:1471年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)は、1540年にイングランドをカトリックの国から英国国教会の国へと変貌させる宗教改革を開始して、その関係で、聖ヨハネ騎士団が廃止され、テンプル教会は再び国王管理下へと戻った。

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