フランクフルトのゲーテ博物館(Goethe Haus / Goethe Museum)内に展示されている ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの肖像画アップ |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。
元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの肖像画(その1) |
ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。
しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。
ホームズはワトスンに対して、「モースタン嬢をローワーキャンバーウェル(Lower Camberwellー2017年10月21日付ブログで紹介済)のセシル・フォレスター夫人(Mrs Cecil Forrester)の家に送り届けた後、ランベス(Lambeth)のピンチンレーン3番地(No. 3 Rinchin Laneー2017年10月28日付ブログで紹介済)へ向かってくれ。そこは鳥の剥製屋で、シャーマンという老人が住んでいるので、僕が(犬の)トビーを早急に必要としていると伝えて、トビーを馬車に乗せて、ここに連れて来てほしい。」と依頼する。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの肖像画(その2) |
「そして、僕は、」と、ホームズは言った。「バーンストン夫人とインド人の使用人から、何か有益な情報を得られるかどうか、尋ねてみるよ。サディアス(・ショルト)氏の話によると、使用人は隣りの屋根裏部屋で寝ているらしい。それから、御立派な(アセルニー・)ジョーンズ警部の捜査方法を学び、彼の微妙な皮肉を拝聴するとしよう。『我々は、普通、理解できない人が居ると、彼らを嘲る。』ゲーテが言うことは、いつでも簡潔にして、含蓄があるな。」
‘And I,’ said Holmes, ‘shall see what I can learn from Mrs Bernstone, and from the Indian servant, who, Mr Thaddeus tells me, sleeps in the next garret. Then I shall study the great Jones’s methods and listen to his not-too-delicate sarcasms. “Wir sind gewohnt dass die Menschen verhohnen was sie night verstehen.” Goethe is always pithy.’
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテのブロンズ像 |
ホームズが言うゲーテとは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johan Wolfgang von Goethe:1749年ー1832年)のことで、ドイツを代表する文豪である。ゲーテは、小説家、劇作家や詩人の顔の他に、法律家、政治家や自然科学者(色彩論、形態学、生物学、地質学や自然哲学等)の顔も有している。
1749年8月28日、ドイツ中部フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)の裕福な家庭に生まれたゲーテは、父の意向を受けて、ライプツィヒ大学やフランス領ストラスブルグ大学で学び、故郷フランクフルトに戻り、弁護士事務所を開設するものの、本業ではなく、文学活動に没頭するようになる。
それを心配した父により、邦楽の再修得のため、最高裁判所があったヴェッツラーへ送られたゲーテであったが、彼は更に文学活動に専念するようになる。ヴェッツラー郊外で開催された舞踏会で出会った19歳の少女シャルロッテ・ブックとの失恋、そして、彼の友人イェールザレムが人妻との失恋が原因でピストル自殺したという悲報の二つの体験に基づいて、書簡体小説「若きウェルテルの悩み(Die Leiden des jungen Werthers)」を執筆し、1774年9月に発表すると、若者を中心にして熱狂的な読者が集まり、主人公であるウェルテル風の服装や話し方が一般に流行する一方、作品の影響により若者の自殺者が急増するという社会現象を引き起こした。その結果、ゲーテの名前は、ドイツを越えて、ヨーロッパ中に轟きわたることになった。
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