2016年11月26日土曜日

ロンド フィッツモーリスプレイス9番地 ランズダウンクラブ(Lansdowne Club / 9 Fitzmaurice Place)

エルキュール・ポワロとジャップ主任警部の二人が、
アレン夫人と婚約していた下院議員チャールズ・レイヴァートンーウェストに
事件発生時における彼のアリバイを尋ねるシーンの撮影に使用された
「ランズダウンクラブ」内のスイミングプール

アガサ・クリスティー作「厩舎街(ミューズ)の殺人(Murder in the Mews)」(1937年)は、ガイ・フォークス ナイト(Guy Fawkes Night)に該る11月5日、打ち上げられる花火がロンドンの夜空を照らす中、物語が始まる。
「厩舎街の殺人」は、1937年に出版された中編集「厩舎街の殺人」(英国版)/「死人の鏡(Dead Man's Mirror)」(米国版)に収められている。

「厩舎街(ミューズ)」とは、厩舎(うまや)から表通りまでの路地のことを指している。ロンドン市内では、厩舎だった建物が後にフラット等の住居に改装され、人が住むようになったが、「ミューズ」という名は市内各所にそのまま残り、以前、厩舎が建ち並ぶ路地であったことを今に伝えている。


夕食を終えて、静かな脇道のバーズリーガーデンミューズ(Bardsley Garden Mews)を歩くスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)は、隣りを歩くエルキュール・ポワロに次のように話しかける。「殺人を行うには、うってつけの晩だ。今夜なら、たとえピストルを撃ったとしても、誰にも聞こえやしない。」と...
全くの偶然ではあるが、彼らが歩いていたバーズリーガーデンミューズにおいて、事件が発生する。若い未亡人であるバーバラ・アレン夫人(Mrs. Barbara Allen)が拳銃自殺をしたのである。しかし、彼女には自殺する理由が見当たらない上に、現場には自殺と断定するには疑わしい点が多かった。何故ならば、ピストルは彼女の右手の中にあったものの、握られていた訳ではなかった。不自然なことに、ピストルの弾丸は、彼女の頭の右側からではなく、左側から入っていたのである。つまり、何者かが彼女を殺害した後で、自殺に見せかけようとしたのだ!これを他殺と考えたジャップ主任警部は、ポワロに事件の捜査協力を依頼する。

「ランズダウンクラブ」が入っている建物の正面全景

容疑者は以下の3名。
一人目は、アレン夫人の家に同居していたミス・ジェーン・プレンダーリース(Miss Jane Plenderleith)。事件発生当時、彼女は遠く離れた田舎に居たことが判っているが、何故か、アレン夫人の家の階段の下にある戸棚の中を、ポワロやジャップ主任警部に見せたがらない態度をとる。実際、戸棚の中にあったのは、ゴルフクラブ、傘と小型のスーツケースだけだった。
二人目は、アレン夫人と婚約していた今売り出し中の下院議員チャールズ・レイヴァートンーウェスト(Charles Laverton-West)。事件発生当時における彼のアリバイはハッキリしていない。
三人目は、アレン夫人の知人ユースタス少佐(Major Eustace)。事件発生当時、彼はアレン夫人の家から出て来るところを目撃されている上、アレン夫人から多額の現金を強請っていたようである。
果たして、アレン夫人を射殺した真犯人は誰なのか?

「ランズダウンクラブ」の入口(その1)

英国のTV会社 ITV1 で放映された「Agatha Christie's Poirot」シリーズの「厩舎街の殺人」(1989年)の回では、ポワロとジャップ主任警部の二人が、アレン夫人と婚約していた下院議員のチャールズ・レイヴァートンーウェストが会員となっているクラブを訪れ、クラブ内のスイミングプール脇で、事件発生時における彼のアリバイを尋ねるシーンがあるが、このシーンは「ランズダウンクラブ(Lansdowne Club)」内のスイミングプールで撮影されている。

「ランズダウンクラブ」が入っている建物に住んでいた
初代ランズダウン侯爵、第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ
(William Petty, 1st Marquess of Lansdowne and 2nd Earl of Shelburne:
1737年ー1805年)は英国の政治家、貴族かつ軍人で、
1782年から1783年にかけて英国首相を務め、
アメリカ独立を認める仮講話条約締結を余儀なくされた。

「ランズダウンクラブ」は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)内にあり、バークリースクエア(Berkeley Squareー2014年11月29日付ブログで紹介済)の南西側のフィッツモーリスプレイス(Fitzmaurice Place)沿いに建っている。「ランズダウンクラブ」の住所は、「フィッツモーリスプレイス9番地(9 Fitzmaurice Place, London W1J 5JD)」である。フィッツモーリスプレイスはカーゾンストリート(Curzon Streetー2015年9月12日付ブログで紹介済)と名前を変えて、西へ延び、ハイドパーク(Hyde Parkー2015年3月14日付ブログで紹介済)沿いに南北に延びる大通りパークレーン(Park Laneー2015年6月27日付ブログで紹介済)に合流して終わる。

「ランズダウンクラブ」が入っている建物には、
高級百貨店セルフリッジズ(Selfridges)を創業した
ハリー・ゴードン・セルフリッジ(Harry Gordon Selfridge:1858年ー1947年)が
1921年から1929年の間住んでいた。

1930年、ウェストミンスター・シティー・カウンシル(Westminster City Council)は、バークリースクエアへのアクセス状況を改善するため、新たな道路の建設を決定。その関係で、18世紀からバークリースクエアの南西側に建っていた「ランズダウンハウス(Lansdowne House)」の半分が取り壊され、フィッツモーリスプレイスが設けられた。その後、取り壊されなかった「ランズダウンハウス」の半分が改装され、1935年に「ランズダウンクラブ」が創設された。

「ランズダウンクラブ」の入口(その2)

「ランズダウンクラブ」の場合、ロンドン市内に数ある他のクラブと比べると、以下のような違いがある。
(1)他のクラブ対比、創設された年が1935年とかなり遅い。
(2)そのため、他のクラブの内装は、ジョージ王朝、ヴィクトリア王朝やエドワード王朝の様式を採っているが、「ランズダウンクラブ」は創設された1930年代に流行したアールデコ(Art Deco)様式の内装となっている。→アガサ・クリスティーの原作とは異なり、全作品の時代設定を第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦(1939年-1945年)の間にしている ITV1 のポワロシリーズの場合、アールデコ様式の内装なので、撮影場所として時代設定がピッタリと当て嵌まっている。
(3)他のクラブは紳士クラブのため、男性の会員しか認めていないが、「ランズダウンクラブ」は、創設当初から女性の会員を許容している。

「ランズダウンクラブ」が入っている建物の外壁

「ランズダウンクラブ」が入っている建物内には、舞踏室、フェンシング場、スポーツジムやスイミングプール等がある。ITV1 のポワロシリーズの撮影に使用されたスイミングプールも、アールデコ様式である。
建物は1970年にグレードⅡ(Grade II)の指定を受け、2000年に建物内の大規模な改装工事が実施されている。

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