王立ロンドン病院(The Royal London Hospital)の西側のステップニーウェイ(Stepney Way) |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。
最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレード警部はホームズのところへ相談に来たのである。最初の事件は、4日前にモース・ハドソン氏(Mr Morse Hudson)がテムズ河(River Thames)の南側にあるケニントンロード(Kennington Road)で経営している画廊で、そして、2番目の事件は、昨夜、バーニコット博士(Dr Barnicot)の住まい(ケニントンロード)と診療所(ロウワーブリクストンロード(Lower Brixton Road))で発生していた。続いて、3番目の事件がケンジントン地区(Kensington)のピットストリート131番地(131 Pitt Street)にあるセントラル通信社(Central Press Syndicate)の新聞記者ホーレス・ハーカー氏(Mr Horace Harker)の自宅で起きたのであった。4体目の石膏胸像が狙われた上に、今回は殺人事件にまで発展したのだ。
王立ロンドン病院の東側のステップニーウェイ |
モース・ハドソン氏の画廊を訪れたホームズとジョン・ワトスンは、彼がナポレオンの石膏胸像をステップニー地区(Stepney)のチャーチストリート(Church Street)にあるゲルダー社(Gelder and Co.)から3体仕入れたことを聞き出す。そこで、彼らはゲルダー社へ向かって、馬車をとばしたのであった。
ステップニーウェイの東側から見た王立ロンドン病院 |
ステップニーウェイの西側から見た王立ロンドン病院 |
私達は、急ぎ足の馬車で、上流階級のロンドン、ホテル街のロンドン、劇場街のロンドン、文学街のロンドン、商業地のロンドン、そして最後に、海のロンドンを駆け抜けて、10万人の市民が暮らすテムズ河沿いの街へとやって来た。そこでは、ヨーロッパから見捨てられた人々が住む家屋が、汗と悪臭を放っていた。富裕なシティーの商人達がかつて住んでいた広い道路に、私達が探していた彫刻/彫像工場があった。工場の表は記念碑用の石で一杯の広い作業場になっており、工場の内部は大きな部屋で、50人の職人が彫刻したり、彫像を制作していた。工場の経営者は大柄で金髪のドイツ人で、私達を礼儀正しく迎え、ホームズの質問に全て明確な回答をしてくれた。彼の書類によると、何百もの彫像がドゥヴィーヌ作ナポレオン像の大理石複製から制作されていた。しかし、1年程前にモース・ハドソン氏へ送られた3体は、同時期に制作された6体のうちの半分で、残りの3体はケンジントン地区のハーディングブラザーズへ送られていたのである。これら6体の彫像が他の彫像と異なっていることはありえない。経営者は、何故何者かがこれら6体の彫像を壊したいと思うのか、適切な理由を示唆することができなかったし、実際、彼はそんな馬鹿げたことはないと言って、笑い飛ばしたのであった。
ステップニーウェイ沿いにある王立ロンドン病院の入口 |
王立ロンドン病院の入口の反対側に設置されているアレクサンドラ・オブ・デンマーク像 (Alexsandra of Denmak:1844年―1925年) アレクサンドラ・オブ・デンマークは、英国王エドワード7世(Edward VII:1841年―1910年 在位期間:1901年―1910年)の妃である |
In rapid succession we passed through the fringe of fashionable London, hotel London, theatrical London, literary London, commercial London, and, finally, maritime London, till we came to a riverside city of a hundred thousand souls, where the tenement houses swelter and reek with the outcasts of Europe. Here, in a broad thoroughfare, once the abode of wealthy City merchants, we found the sculpture works for which we searched. Outside was a considerable yard full of monumental masonry. Inside was a large room in which fifty works were carving or moulding. The manager, a big blond German, received us civilly, and gave a clear answer to all Holmes's questions. A reference to his books showed that hundreds of casts had been taken from a marble copy of Devine's head of Napoleon, but the three which had been sent to Morse Hudson a year or so before had been half of a batch of six, the other three being sent to Harding Brothers, of Kensington. There was no reason why those six should be different to any of the other casts. He could suggest no possible cause why anyone should wish to destroy them - in fact, he laughed at the idea.
王立ロンドン病院の西側のステップニーウェイ沿いに建つ教会 |
ナポレオンの石膏胸像を制作したゲルダー社があるステップニー地区は、ロンドン・タワーハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)内にあり、ロンドンの経済活動の中心地シティー(City)の東側にあるホワイトチャペル地区(White Chapel)から北東へ延びるホワイトチャペルロード(White Chapel Road)と東へ延びるコマーシャルロード(Commercial Road)に挟まれた地域である。
ステップニー地区の南側には、シャドウェル地区(Shadwell)があり、その向こうにテムズ河(River Thames)が流れている。シャドウェル地区の南西には、セントキャサリンドックス(St. Katharine Docks)を含むセントキャサリンズ&ワッピング(St. Katharine's & Wapping)があり、これが「海のロンドン」を意味していると思われる。
王立ロンドン病院の西側のステップニーウェイ沿いに営業しているパブ |
なお、ステップニー地区内には、ナポレオンの石膏胸像を制作したゲルダー社があったチャーチストリート(Church Street)は存在していないので、架空の住所である。
0 件のコメント:
コメントを投稿