今回は、米国の推理作家 / 編集者であるエラリー・クイーン(Ellery Queen)が1934年に発表した「チャイナ橙の謎(The Chinese Orange Mystery)」について、紹介したい。
エラリー・クイーンは、ユダヤ系移民の子で、従兄弟同士であるフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay:1905年ー1982年)とマンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee:1905年ー1971年)の合作ペンネームである。
実は、フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーも、ペンネームであり、フレデリック・ダネイの本名は、ダニエル・ネイサン(Daniel Nathan)で、マンフレッド・ベニントン・リーの本名は、マンフォード・エマニュエル・レポフスキー(Manford Emanuel Lepofsky)である。
合作において、まず最初に、フレデリック・ダネイがプロットとトリックを考案して、それをマンフレッド・リーに対して、伝える。そして、2人で議論を重ねた後、マンフレッド・リーが執筆すると言う手法を採った。これは、プロットを考案する能力は天才的である一方、文章を書くのが苦手なフレデリック・ダネイと、文章は上手い一方、プロットを考案するのが苦手なマンフレッド・リーの2人の弱点を補完するためであった。
エラリー・クイーンは、著者と同姓同名で、著者と同じ推理作家を職業とするエラリー・クイーン(Ellery Queen)をシリーズキャラクターのアマチュア名探偵として設定している。エラリー・クイーンは、ニューヨーク市警に勤める父リチャード・クイーン(Richard Queen)警視を助けて、数々の難事件を解決していく。
エラリー・クイーンの初期には、以下の国名シリーズが発表されている。
(1)「ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery)」(1929年)
(2)「フランス白粉の謎(The French Powder Mystery)」(1930年)
(3)「オランダ靴の謎(The Dutch Shoe Mystery)」(1931年)
(4)「ギリシア棺の謎(The Greek Coffin Mystery)」(1932年)
(5)「エジプト十字架の謎(The Egyptian Cross Mystery)」(1932年)
(6)「アメリカ銃の謎(The American Gun Mystery)」(1933年)
(7)「シャム双子の謎(The Siamese twin Mystery)」(1933年)
(8)「チャイナ橙の謎」(1934年)
(9)「スペイン岬の謎(The Spanish Cape Mystery)」(1935年)
(10)「ニッポン樫鳥の謎(The Door Between)」(1937年)
上記の国名シリーズの場合、「僧正殺人事件(The Bishop Murder Case → 2024年2月7日 / 2月11日 / 2月15日 / 2月19日付ブログで紹介済)」(1929年)を初めとする素人探偵であるファイロ・ヴァンス(Philo Vance)シリーズ12長編を発表した米国の推理作家である S・S・ヴァン・ダイン(S. S. Van Dine - 本名:美術評論家のウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright:1888年ー1939年))による影響が見られるが、「読者への挑戦状(Challenge to the Reader)」等、エラリー・クイーン独自の工夫もあることに加えて、手掛かりの解釈の緻密さや大胆さを両立させており、推理小説ファンの中では、本格探偵小説としての評価が非常に高い。
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