2022年2月13日日曜日

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts) - その2

イーデン・ヘンリー・フィルポッツは、
ダートムーアを舞台にした田園小説を敢行するとともに、
1912年以降、推理小説を精力的に発表している。

イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年)は、1888年に「フライングスコッツマンの冒険(My Adventures in the Flying Scotsman : A Romance of London and North-Western Railways Shares - 快速鉄道フライングスコッツマン号を舞台にした連作短編集)」を刊行した後、初期には、戯曲の執筆を主に活動した。

彼が執筆した三幕ものの喜劇「農夫の妻(The Farmer’s Wife)」(1916年)は、ロンドンにおいて、1,329回の上演記録を達成した。この喜劇は、英国の映画監督 / 映画プロデューサーであるアルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock:1899年ー1980年)によって、彼の英国時代の1928年に映画化され、その後、1941年には、ノーマン・リー監督とレスリー・アーリス監督によって再映画化されている。


イーデン・フィルポッツは、ダートムーア(Dartmoor)を舞台にした田園小説の長編18冊と短編集2冊を発表しており、そのうち、「The River」(1902年)と「The Secret Woman」(1905年)が彼の代表作と言われている。一方、イーデン・フィルポッツ自身は、「The Thief of Virture」(1910年)を自作のベストとして挙げている。


田園小説で有名となったイーデン・フィルポッツは、ミステリー要素のある長編「The Three Knaves」(1912年)を発表した後、


(1)「灰色の部屋(The Grey Room)」(1921年)

(2)「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes)」(1922年)

(3)「闇からの声(A Voice from the Dark)」(1925年)

(4)「密室の守銭奴(Marylebone Miser)」(1926年)

(5)「溺死人(Found Drowned)」(1931年)

(6)「医者よ自分を治せ(Physician Heal Thyself)」(1935年)

(7)「極悪人の肖像(Portrait of a Scoundrel)」(1938年)


を刊行するとともに、別名義のハリントン・へクスト(Harrington Hext)でも、


(8)「テンプラー家の惨劇(The Thing at Their Heels)」(1923年)

(9)「怪物(The Monster)」(1924年)

(10)「だれがコマドリを殺したのか?(Who Killed Cock Robin?)」(1924年)


等の推理小説を精力的に発表した。


イーデン・フィルポッツは、1959年に「老将の回想(There Was an Old Man)」を発表した後、1960年12月29日、終の棲家となったデヴォン州(Devon)ブロードクライスト(Broad Clyst)において、98歳の生涯を終えた。


イーデン・フィルポッツは、1892年に結婚したエミリー・トーパムとの間に、娘と息子を設けており、娘のアデレイド・イーデン・フィルポッツ(Adelaide Eden Phillpotts:1896年ー1993年)は、後に小説家になっている。

1928年にエミリーに先立たれたイーデン・フィルポッツは、1829年にルーシー・ロビーナ・ウェブと再婚し、彼女と共作した喜劇を上梓している。


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