イーデン・フィルポッツは、英国において、田園小説作家として有名であるが、 日本では、「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes)」(1922年)や 「闇からの声(A Voice from the Dark)」(1925年)等の 推理小説作家として、非常に有名。 |
イーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年)は、田園小説で有名な英国の作家である。
彼がデヴォン州(Devon)トーキー(Torquay)に居た際、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年 → 当時は、まだ、旧姓のアガサ・メアリー・クラリッサ・ミラー(Agatha Mary Clarissa Miller))の近所に住んでおり、創作を始めたばかりの彼女(19歳)が執筆した「砂漠の雪(Snow in thw Desert - エジプトのカイロが舞台)」を読んで、的確な助言を与え、彼女を文筆の道へ進むよう、後押ししている。
イーデン・フィルポッツからの後押しを受けたことは、アガサ・クリスティーの自伝に記されているとともに、彼女が1932年に発表したエルキュール・ポワロシリーズの一つである「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」は、イーデン・フィルポッツに献辞されている。「エンドハウスの怪事件」は、セントルー(St. Loo - 架空の場所)のマジェスティックホテル(Majestic Hotel - 架空のホテル)が舞台になっているが、アガサ・クリスティーの故郷であるトーキーにあるインペリアルホテル(Imperial Hotel)が、そのモデルになっているからである。
イーデン・フィルポッツは、1862年11月4日、英国陸軍大尉の父ヘンリー・フィルポッツ(Henry Phillpotts)が駐在官として赴任したインド北西部ラジプターナ地方(Rajasthan)のマウントアブー(Mount Abu)
で、長男として出生。
1865年に父ヘンリーが赴任先のインドで亡くなると、21歳で未亡人となった母アデレード(Adelaide)は、イーデンと二人の弟を連れて、英国へと戻り、プリマス(Plymouth)に居を定めた。
イーデン・フィルポッツは、プリマスの私立学校マナミードスクール(Mannamead School)に入学するが、彼が17歳だった1879年、大学には進まず、ロンドンへと出て、1880年、サン火災保険会社(Sun Fire Office)のトラファルガースクエア(Trafalgar Square)にあるオフィスに職を得た。
保険会社に勤務するかたわら、イーデン・フィルポッツは、俳優を目指して、2年間、演劇学校に通うが、最終的には、自分は演技に向いていないと見切りをつけると、仕事の余暇に執筆を始め、次第に原稿料を稼ぐようになった。
自分の筆で生活できるようになったと自信を得たイーデン・フィルポッツは、1890年にサン火災保険会社を退職した。退職後、彼は、一時期、ロンドンの週刊誌「ブラック・アンド・ホワイト・マガジン(Black and White Magazine)」の編集を手伝っていたが、間もなく、筆一本の生活に入る。
1892年にエミリー・トーパムと結婚したイーデン・フィルポッツは、大都会よりも郊外の生活を好んだため、ロンドンを離れると、英国における自分の故郷であるプリマスがあるデヴォン州に移り住んだ。
彼は、最初、トーキーに、そして、ブロードクライスト(Broad Clyst)に居を構えると、ブロードクライストに終生住み続けた。
彼がロンドンから最初に移り住んだトーキーにおいて、アガサ・クリスティーの隣人となっているのである。
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