大英図書館(British Library)から British Library Crime Classics シリーズの一つとして出版されている E・C・R・ロラック作「鐘楼の蝙蝠」の表紙 |
エディス・キャロライン・リヴェット・ロラック(Edith Caroline Rivett Lorac:1894年ー1958年)は、英国における探偵小説の黄金期にほぼ該る1930年代初頭から1950年代末期にかけて活躍した英国の女流推理作家である。
彼女は、1894年にロンドンのヘンドン地区(Hendon)に出生。サウスハムステッド高校(South Hampstead High School)を教育を受け、美術工芸中央学校(Central School of Arts and Crafts)を卒業した後、1931年にマクドナルド主任警部(Chief Inspector Macdonald)が登場する「避難所の殺人(The Murder on the Burrows)」で、推理作家としてデビュー。その後、コリンズ社(クライムクラブ)の看板作家となった。
生涯を通じて、彼女は、「E・C・R・ロラック(E. C. R. Lorac)」と「キャロル・カーナック(Carol Carnac)」という2つのペンネームを使い分け、「E・C・R・ロラック」名義では、マクドナルド主任警部(Chief Inspecor Macdonald)シリーズを主とする約50作品を、また、「キャロル・カーナック」名義では、3シリーズ((1) Inspector Ryvet / (2) Chief Inspector Julian Rivers / (3) Inspector Lancing)を含む20を超える作品を執筆している。
なお、本作品「鐘楼の蝙蝠(Bats in the Belfry)」は、1937年に「E・C・R・ロラック」名義で発表されている。
当初、彼女が「E・C・R・ロラック」名義を使ったのは、作者が、女性ではなく、男性と思わせたかったのではないか、また、「E・C・R・ロラック」と「キャロル・カーナック」の2つの名義を使い分けたのは、一つの名義で数多くの作品を世に出すことを避けたかったのではないか、と言われている。
作家のブルース・アテルトン(Bruce Attleton)は、作家デビュー直後に発表した1-2作は売れたものの、それ以降、鳴かず飛ばずの状態が続いていた。そのため、ブルースの妻で、舞台女優のシビラ・アテルトン(Sybilla Attleton)は、夫のブルースに対して、愛想を尽かしており、彼との離婚を進めようとしていたのである。
不調が続くブルースは、それに加え、ドブレット(Debrette)と名乗る謎の男に身辺を付き纏われていて、神経をとがらせていた。ブルースとドブレットの二人がどういった関係にあって、何故にドブレットがブルースに対して執拗に付き纏うのかは、全く不明だった。
ブルースのことを心配する友人で、株式仲買人のニール・ロッキンガム(Neil Rockingham)は、同じく、ブルースの友人で、新聞記者のロバート・グレンヴィル(Robert Grenville)に対して、ドブレットが何者かを突き止めるよう、依頼した。ニールは、近日中に所用でパリへ出かける必要があり、1週間から10日程、ロンドンを不在にするためであった。ニールからの依頼を、ロバートは、快く引き受けた。安心したニールは、3月18日(水))、パリへ向けて旅立った。
ニールの依頼を受けたロバートは、ニールの不在中、ドブレットの住み処を突き止めることになんとか成功したが、翌日、ノッティングヒル(Notting Hill)にあるドブレットの住所を訪れると、件の人物は既に行方を晦ませた後だった。
パリから戻って来たニールと会ったロバートは、彼から驚くべきことを聞かされる。
ニールによると、パリにあるホテルブリストル(Hotel Bristol)において、ブルースと会う約束になっていたが、約束の時刻に、ブルースは姿を見せず、会うことができなかった、とのことだった。
ブルース / シビラの使用人にニールとロバートが尋ねると、ブルースは、3月18日(水)にスーツケースを持参の上、パリへ出かけたまま、まだ戻って来ていないと言う。
ブルースのことを心配したロバートは、ドブレットが行方を晦ませた後の空き家の契約を引き継いで、空き家内を搜索したところ、地下室において、パリへ出立した筈のブルースのスーツケースが発見されたのである。
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