2021年2月7日日曜日

笠井潔作「吸血鬼と精神分析」(Psychoanalysis of a Vampire by Kiyoshi Kasai) - その2

2015年に光文社から光文社文庫として出版された
笠井 潔作「吸血鬼と精神分析(下)」の表紙
(カバーデザイン: 坂野 公一 / welle design)

1978年11月19日(土)の午前1時、パリ警視庁のルネ・モガール警視は、部下のジャン=ポール・バルベス警部からの緊急連絡を受けて、モンマルトルの自宅を出ると、タクシーでバスティーユ広場へと向かった。事件現場は、七月革命記念柱を半周して、アンリ四世通りに入り、バスティーユ広場の裏側に位置する狭い街路にある建物だった。


モガール警視は、小さな美容院と酒店に挟まれた建物の玄関扉を入ると、玄関広間には、190㎝を超える巨漢のバルベス警部が待っていた。二人は、エレベーターで4階へ上がると、問題のアパルトマンの戸口に立った。深紅色に塗られた扉には、小さな覗き穴があり、その横には、真新しいインターフォンが備え付けられていた。昔ながらのアパルトマンには、似つかわしくない装置だった。

玄関扉の更に奥には、頑丈な屋内扉があり、扉には、鍵穴に加えて、金庫のような数字のダイヤルまであった。扉は、鉄板を木製の板で挟まれており、分厚くて重いものだった。バルベス警部によると、ドア枠、蝶番や錠が特別製のため、ぶち破るには、ダイナマイトか、あるいは、プラスティック爆弾が必要、とのこと。また、屋内扉の内側には、頑丈な閂が二つもあった。

屋内扉を超えた居間の窓には、鋼鉄製の桟に強化硝子が嵌められていた。

正に、「要塞」のようなアパルトマンだったのである。


居間の入口付近に、大柄でがっしりした躰つきで、60歳程に見える男性が、うつ伏せに倒れていた。脚部は玄関の方に、また、頭部は奥の居間の方を向いている。彼が着ているナイトガウンの背中は血まみれで、床には大きな血溜まりができていた。バルベス警部によると、被害者は背中に二発の銃弾を喰らっている、とのこと。現場から、拳銃も、空薬莢も発見されていないため、自殺の可能性はなかった。


事件の通報者は、隣人の一人暮らしで詮索好きな老婆であるモニク・デュシャン。

彼女によると、被害者の名前は、ウラジミール・カリーニンで、3ヶ月程前に引っ越してきた、とのこと。

昔ながらのアパルトマンには、似つかわしくない「要塞」のようなアパルトマンに住むウラジミール・カリーニンとは、一体、何者なのだろうか?彼は、ソ連のパスポートを所持していたが、偽造の可能性もあった。


モガール警視が屍体の右腕に注意を向けると、血が付着した人差し指の先には、大文字で書かれた「DRAC(ドラク)」という血文字が残されていた。

「DRAC」とは、一体、何を意味するのだろうか?「DRAC」は、ルーマニア語で「竜」を意味していた。


同じ日の午後1時過ぎ、モガール警視の元を、国家憲兵隊保安局のドワノー憲兵大尉が訪れる。

彼からの内密な情報によると、バスティーユ広場の裏通りにある目立たない建物の一室で射殺された正体不明の男ウラジミール・カリーニンは、実は、ルーマニア軍の元高級将校であるグリゴレ・チモフチェ中将で、ルーマニアのチャウシェスク政権からフランスに亡命していた人物であることが判明した。


そして、その1週間後から、被害者の女性達が全身の血を抜かれる連続猟奇殺人、通称<吸血鬼(ヴァンピール)>事件が発生して、パリの住民達を震撼させることになる。


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