2021年2月27日土曜日

キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ / 継ぎ接ぎ細工の悪魔」(Sherlock Holmes : The Patchwork Devil by Cavan Scott) - その2

2016年に英国の出版社である Titan Books から刊行された
キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ 
継ぎ接ぎ細工の悪魔」の裏表紙
(Images : Dreamstime / funnylittlefish)

更に、染料工場内の捜索を続けようとしたシャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのトーヴェイ警部(Inspector Tovey)の三人であったが、誰か別の人物が工場内に居る手配を感じとる。すると、突然、工場内の電気が消されてしまう。三人が手提げランプを持って自家発電機室へと向かうと、何者かが自家発電機を停止させたようである。三人が詳細を調べようとしたところ、急に自家発電機室の扉が閉ざされて、彼らは室内に閉じ込められてしまう。三人が必死に扉を打ち破ろうとしていると、何かが外側から扉を打ち破って、室内へと跳び込んでくる。それは、8フィート(2.4m)を超える人型の怪物である。後に判明することであるが、それは、フランケンシュタイン(Frankenstein)が生み出した人造人間であった。


トーヴェイ警部が放った銃弾を物ともしない怪物に手を焼いた三人であったが、辛くもその場を逃れることに成功する。ところが、その際、ホームズが大怪我を負ってしまう。ワトスンとトーヴェイ警部は、ホームズをチャリングクロス病院(Charing Cross Hospital → 2014年12月6日付ブログで紹介済)へと搬送する。


眠れぬ一夜を過ごしたワトスンは、クイーン アン ストリート(Queen Anne Street → 2014年11月15日付ブログで紹介済)にある自分の診療所へと戻ったが、そこにハートリー(Mr Hartley)とバーンズ(Mr Burns)と名乗る謎の男2人が現れ、ワトスンがどさくさにまぎれてワッピング(Wapping)の染料工場から持ち帰った骨を奪い取られてしまう。


慌てて、スコットランドヤードのトーヴェイ警部の元へと駆け付けるワトスンであったが、トーヴェイ警部は、早朝、重要な件で英国南西部のコンウォール地方(Cornwall)へ出かけてしまったと言う。

果たして、トーヴェイ警部は、コンウォール地方へ何をしに行ったのだろうか?


困ったワトスンは、パル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)にあるディオゲネスクラブ(Diogenes Club)に、シャーロック・ホームズの兄であるマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)を訪ねて、手助けを請うが、マイクロフト・ホームズはワトスンに対して、この件から一切手を引くように伝えるのであった。


2年以上前に北フランスで戦死shたサミュエル・パイク(Samuel Pike)の真新しい手首がタワーブリッジ(Tower Bridge → 2019年1月1日 / 1月7日 / 1月13日付ブログで紹介済)近くのセントキャサリンドックス(St. Katharine Docks)で発見されたこと、ワッピングの染料工場内で見つかった医療施設の数々、そして、工場内に突然現れた8フィートを超える人型の怪物等、謎は深まるばかりだった。

マイクロフト・ホームズの背後に居る英国政府は、シャーロック・ホームズとワトスンから何を隠そうとしているのか?また、英国政府は、これらの件に深く関与しているのだろうか?


2021年2月23日火曜日

キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ / 継ぎ接ぎ細工の悪魔」(Sherlock Holmes The Patchwork Devil by Cavan Scott) - その1

2016年に英国の出版社である Titan Books から刊行された
キャヴァン・スコット作「シャーロック・ホームズ 
継ぎ接ぎ細工の悪魔」の表紙
(Images : Dreamstime / funnylittlefish)

1919年の夏、ヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)が締結され、世界が第一次世界大戦(1914年-1918年)の終結を祝っている時、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンの自宅を訪ねて来る。まだ朝の七時だった。「昨夜、事件が解決したので、これからウォータールー駅(Waterloo Station)から隠遁先のサウスダウンズ(South Downs)へと戻る。」と、ホームズは告げる。ワトスンがホームズに対して、出発を遅らせて、一緒に食事をしようと、玄関で押し問答をしていると、偶然、そこへ二人の知り合いであるスコットランドヤードのトーヴェイ警部(Inspector Tovey)が、ある事件を携えて、相談にやって来たのである。


トーヴェイ警部によると、2日前、テムズ河(River Thames)に架かるタワーブリッジ(Tower Bridge → 2019年1月1日 / 1月7日 / 1月13日付ブログで紹介済)の近くで、人間(男性)の手首が発見されたと言う。

幸い、手首の指紋がスコットランドヤードで保管されているデータと合致した。その人物はサミュエル・パイク(Samuel Pike)で、1911年に強盗の罪で2年間の懲役刑に処せられたが、品行方正のため、11ヶ月間で釈放された、とのこと。

第一次世界大戦が勃発した1914年に、彼は軍に志願した後、1917年5月、北フランス戦線において、頭を銃で撃たれて戦死という記録が残っているのである。その際、英国政府からパイク夫人宛に、サミュエル・パイクの戦死を知らせる通知が届いている。

トーヴェイ警部は、ホームズとワトスンの二人に対して、サミュエル・パイクの手首には、死後硬直(rigor mortis)や腐敗の徴候はなく、切断されてから間もないのだ、と説明した。サミュエル・パイクが戦死した1917年5月から2年以上も経過した1919年の夏に、しかも、彼が戦死した北フランスから200マイルも離れたロンドンのテムズ河岸で、彼の真新しい手首が発見されることになったのだろうか?


トーヴェイ警部にスコットランドヤードへと連れてこられたホームズは、サミュエル・パイクの手首に付着した粘土から、手首が発見されたセントキャサリンドックス(St. Katherine Docks)から半マイルも離れていないワッピング(Wapping)辺りのものだと断定する。

ホームズ、ワトスンとトーヴェイ警部の三人は、早速、ワッピングへと向かうと、テムズ河沿位に染料工場の建物を発見する。この煉瓦造りの建物を怪しんだホームズは、他の二人を伴って、工場内へと潜入する。

工場内には、染料工場にはありえない自家発電機が設置されていたり、各部屋には医療用のベッドが置かれていた。この工場内において、一体、何が行われていたのか?

あるベッドの下で、ホームズは、モーリス・ルブラン(Marice Lebranc:1864年ー1941年)作の「金三角(Le Triangle d’or - アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)が活躍)」(1917年)のフランス語版を見つける。出版日付を見ると、1918年11月だった。そうすると、この施設は、少なくとも、8ヶ月前から存在しており、患者と思われる一人は、フランス人だと言えた。

三人による工場内捜索は続き、女性の香水の残り香を嗅ぎつけ、別の部屋において、手術室のような場所や血の跡等も見つけるのだった。


2021年2月21日日曜日

ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu)

東京創元社から刊行されている
レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」(創元推理文庫)の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。


「吸血鬼カーミラ(Carmilla→2021年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)」(1872年)を執筆したのは、アイルランド出身の小説家であるジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu:1814年ー1873年)である。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1814年8月28日、牧師である父トマス・フィリップ・レ・ファニュ(Thomas Philip Le Fanu)と作家である母エマ・ルクレティア・ドビン(Emma Lucretia Dobbin)の下、ダブリン(Dublin)に出生。彼には、姉一人(Catherine Frances Le Fanu)と弟一人(William Richard Le Fanu)が居る。


彼の祖母であるアリシア・シェリダン・レ・ファニュ(Alicia Sheridan Le Fanu)と彼の大伯父(=彼の祖母の兄)に該るリチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan)は、共に劇作家で、彼の姪のローダ・ブロートン(Rhoda Broughton)は、小説家として成功している。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、ダブリンのトリニティーカレッジ(Trinity College)において、法律を学んだ。大学在籍時、彼は大学歴史協会(College Historical Society)の監査役(Auditor)に選出された。その後、彼は法廷に出入りするようになったが、最終的には、法律の専門家ではなく、ジャーナリストになる道を選ぶ。そして、1838年、彼は、「ダブリン大学マガジン(Dublin University Magazine)」という月刊雑誌で、自分の作品を発表するようになった。


1844年、ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、ダブリンの著名な法廷弁護士の娘であるスザンナ・ベネット(Susanna Bennett)と結婚し、4人の子供(長女:エレノア(Eleanor - 1845年出生) / 次女:エマ(Emma - 1846年出生) / 長男:トマス(Thomas - 1847年出生) / 次男:ジョージ(George - 1854年出生))に恵まれる。


その後、彼の妻であるスザンナは病気がちになった上、彼女の父親が亡くなったため、彼は精神的に不安定になる。そして、1858年4月、スザンナが死去してしまい、彼は1861年まで小説を執筆することができなかった。


1861年、ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1838年から作品を発表してきた「ダブリン大学マガジン」を買い取り、1869年まで編集の主幹を務めた。彼は、「ダブリン大学マガジン」以外にも、「ダブリンイーヴニングメール(Dublin Evening Mail)」等、いくつかの定期刊行物も保有した。

彼は、「墓地に建つ館(The House by the Churchyard)」(1864年)、「アンクルサイラス(Uncle Silas)」(1864年)や「ワイルダーの手(Wylder’s Hand)」(1864年)等、生涯を通じて、長編小説15篇と短編小説を約80篇発表し、それらのほとんどが怪奇、恐怖、犯罪や陰謀等を題材にしたものばかりで、怪奇小説やミステリー小説を得意としていた。


ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュは、1873年2月7日、彼の生まれ故郷であるダブリンにおいて、心臓麻痺により死去、58歳の生涯を閉じた。


2021年2月14日日曜日

笠井潔作「吸血鬼と精神分析」(Psychoanalysis of a Vampire by Kiyoshi Kasai) - その3

2015年に光文社から光文社文庫として出版された
笠井 潔作「吸血鬼と精神分析(上)(下)」の表紙
(カバーデザイン: 坂野 公一 / welle design)

1978年11月19日(土)、バスティーユ広場の裏側に位置する狭い街路にある建物の4階の「要塞」のようなアパルトマンにおいて、ウラジミール・カリーニンという名の60歳程に見える男性が、背中に二発の銃弾を喰らい殺害されたが、その1週間後から、被害者の女性達が全身の血を抜かれる連続猟奇殺人、通称<吸血鬼(ヴァンピール)>事件が発生して、パリの住民達を震撼させる。


<11月26日(土)>

まだ暗いうちに犬の散歩に出かけた老人が、ヴァンセンヌの森にあるドメニル池の横で、黒焦げになった女性の屍体を発見。ただし、死因は焼死ではなく、大量失血によるショック死であった。被害者は、カトリーヌ・ドゥミ(28歳)で、ボルドー地方の出身。高等専門学校の受験準備のため、パリに上京し、2年前からラスパイユのアパルトマンに一人で住んでおり、現在、サンティエにある証券会社に勤務。金曜日の午後7時に会社を退社し、ラスパイユの自宅へ帰宅する途中で被害にあった模様。


<12月3日(土)>

早朝、パストゥールの小さな珈琲店「鷲の翼」の横にある昼でも薄暗い路地において、女性の屍体が発見される。死因は、カトリーヌ・ドゥミと同じく、頸動脈から多量の血液を吸引されたことによる脱血死。被害者は、ジャンヌ・メルマン(34歳)で、出身はパリだが、両親とは別居。20区の区立中学の教師で、勤め先から歩いて10分程のポルト・デ・リラのアパルトマンに一人で住んでいた。金曜日の午後6時過ぎに学校を出て、自宅まで歩いて帰る途中で、犯人と遭遇した模様。


<12月10日(土)>

バスティーユ広場に通じるロケット街の白馬小路で、若い女性の屍体が発見された。死因は、カトリーヌ・ドゥミやジャンヌ・メルマンと同じ。被害者は、ドミニク・ラバン(18歳)で、パリ近郊のナンテール出身。彼女は、1年程前に家出をしており、現在の住所、職業や交友関係等は不明。


パリ警視庁のルネ・モガール警視と部下のジャン=ポール・バルベス警部による必死の捜査にもかかわらず、3人の被害者の間に、何ら関連性は見つからなかった。

ルネ・モガール警視の娘であるナディア・モガールに頼まれて、バルベス警部から事件の詳細の説明を受けた矢吹駆(ヤブキ・カケル)は、あることを指摘する。


カトリーヌ・ドゥミの屍体と一緒に発見されたバッグの奥に、犯人が意図的に残したと思われる鎖の切れたキーホルダー(日本製)には、「ムーミントロール」の飾りが付いていた。また、ジャンヌ・メルマンの屍体が発見されたのは、珈琲店「鷲の翼」の横にある路地。更に、ドミニク・ラバンの屍体が発見されたのは、白馬小路。

つまり、<ヴァンピール>は、3つの屍体に、「ムーミントロール」、「鷲」、そして、「白馬」という動物の徴を添えたことになる。ただし、厳密に言うと、「ムーミントロール」は、フィンランドの妖精をモデルとする架空の動物であり、フランス人であれば、一般に知られていることであった。


<ヴァンピール>事件はまだ終わりを見せず、12月17日(土)には、セーヌ河の「白鳥の散歩道」において、ルーマニアから亡命した元女子体操代表選手のタチアナ・マグレアヌが全身から血を抜かれ、殺害されているのが発見されされる。


ルーマニア軍の元高級将校であるグレゴリ・チモフチェの射殺事件と連続する<ヴァンピール>事件との間の関連性は?

やがて、矢吹駆は、犯人の正体と意図を導き出し、驚愕の真相を明らかにする。


2021年2月13日土曜日

ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」(Carmilla by Joseph Sheridan Le Fanu) - その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から刊行されている
ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」の裏表紙
(Designed by Tetragon London)


ローラ(Laura)が奇妙な体験をしてから12年が経過したある夏の晩から、本題が始まる。

父娘と親交のあるスピエルスドルフ将軍(General Spielsdorf)から、ローラの父親の元に手紙が届く。その手紙は、ローラが友人となるべく心待ちにしていた将軍の姪であるバーサ・ラインフェルド嬢(Mademoiselle Bertha Rheinfeldt)が死亡したことを告げる内容だった。将軍は姪のことを我が子のように溺愛していたため、姪の死にかなり取り乱している様子だったが、それに加えて、「怪物を見つけ出して退治する。」という不可解なことも書かれていたのである。


スピエルスドルフ将軍から受け取った手紙の内容について、ローラが城の前で考えを巡らせていた時、突然、暴走した馬車が城の方へと向かって来た。馬車は菩提樹の木にぶつかると、横転した。横転した馬車の中から、気絶した美しい少女が運び出される。同じく、馬車に同乗していた貴族然とした美しい女性が外に出て来ると、

(1)自分は、気絶した少女の母親であること

(2)現在、自分は、急ぎの旅の途中であり、このまま旅を続ける必要があること

(3)気絶した少女をこのままにしておけないので、どこかに預けたいこと


等を、ローラの父親に話す。生憎と、城に近い村までかなり距離がある上、その村には宿がないため、気絶した少女は、城で預かることになった。少女の母親と称する女性は、ローラの父親に対して、「3ヶ月後に娘を迎えに戻って来る。」と約束すると、自分達の素性を探らないように念を押して、城から去って行った。


城へと運ばれた少女は、間もなく目を覚ましたので、寂しさを紛らわす相手を欲しかったローラは、真っ先に少女に会いに行った。驚いたことに、ローラが会いに行った少女は、何故か、12年前に彼女の部屋に現れた女性と瓜二つだった。


その日から、ローラは、カーミラ(Carmilla)と名乗る少女と一緒に、生活を共にするようになったが、彼女には、いくつかの不可解な点があった。それに加えて、カーミラが城での生活を始めてから、城周辺の村では、数々の異変が起き始めた。


本作品「吸血鬼カーミラ(Carmilla)」を執筆する上で、作者のジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu:1814年ー1873年)は、アイルランドの吸血鬼伝奇をベースにしている。

吸血鬼カーミラの特徴である(1)貴族的であること、(2)美形であること、(3)棺桶で眠ることや(4)心臓に杭を打たれると死ぬこと等は、ブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1902年)による吸血鬼ドラキュラ(Dracula)の造形に引き継がれて、以降の吸血鬼作品は、これらに倣っている。


レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」は、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」と同様に、ジャンル的には、ゴシックホラーに属するものの、主人公である少女ローラによる回想という体裁を採っているため、品格のある抑えた表現が主体となっており、ホラーという要素は弱い。そのため、レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」よりも、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」の方が世界的には有名になり、「ドラキュラ」が吸血鬼の代名詞になったと言える。


2021年2月7日日曜日

笠井潔作「吸血鬼と精神分析」(Psychoanalysis of a Vampire by Kiyoshi Kasai) - その2

2015年に光文社から光文社文庫として出版された
笠井 潔作「吸血鬼と精神分析(下)」の表紙
(カバーデザイン: 坂野 公一 / welle design)

1978年11月19日(土)の午前1時、パリ警視庁のルネ・モガール警視は、部下のジャン=ポール・バルベス警部からの緊急連絡を受けて、モンマルトルの自宅を出ると、タクシーでバスティーユ広場へと向かった。事件現場は、七月革命記念柱を半周して、アンリ四世通りに入り、バスティーユ広場の裏側に位置する狭い街路にある建物だった。


モガール警視は、小さな美容院と酒店に挟まれた建物の玄関扉を入ると、玄関広間には、190㎝を超える巨漢のバルベス警部が待っていた。二人は、エレベーターで4階へ上がると、問題のアパルトマンの戸口に立った。深紅色に塗られた扉には、小さな覗き穴があり、その横には、真新しいインターフォンが備え付けられていた。昔ながらのアパルトマンには、似つかわしくない装置だった。

玄関扉の更に奥には、頑丈な屋内扉があり、扉には、鍵穴に加えて、金庫のような数字のダイヤルまであった。扉は、鉄板を木製の板で挟まれており、分厚くて重いものだった。バルベス警部によると、ドア枠、蝶番や錠が特別製のため、ぶち破るには、ダイナマイトか、あるいは、プラスティック爆弾が必要、とのこと。また、屋内扉の内側には、頑丈な閂が二つもあった。

屋内扉を超えた居間の窓には、鋼鉄製の桟に強化硝子が嵌められていた。

正に、「要塞」のようなアパルトマンだったのである。


居間の入口付近に、大柄でがっしりした躰つきで、60歳程に見える男性が、うつ伏せに倒れていた。脚部は玄関の方に、また、頭部は奥の居間の方を向いている。彼が着ているナイトガウンの背中は血まみれで、床には大きな血溜まりができていた。バルベス警部によると、被害者は背中に二発の銃弾を喰らっている、とのこと。現場から、拳銃も、空薬莢も発見されていないため、自殺の可能性はなかった。


事件の通報者は、隣人の一人暮らしで詮索好きな老婆であるモニク・デュシャン。

彼女によると、被害者の名前は、ウラジミール・カリーニンで、3ヶ月程前に引っ越してきた、とのこと。

昔ながらのアパルトマンには、似つかわしくない「要塞」のようなアパルトマンに住むウラジミール・カリーニンとは、一体、何者なのだろうか?彼は、ソ連のパスポートを所持していたが、偽造の可能性もあった。


モガール警視が屍体の右腕に注意を向けると、血が付着した人差し指の先には、大文字で書かれた「DRAC(ドラク)」という血文字が残されていた。

「DRAC」とは、一体、何を意味するのだろうか?「DRAC」は、ルーマニア語で「竜」を意味していた。


同じ日の午後1時過ぎ、モガール警視の元を、国家憲兵隊保安局のドワノー憲兵大尉が訪れる。

彼からの内密な情報によると、バスティーユ広場の裏通りにある目立たない建物の一室で射殺された正体不明の男ウラジミール・カリーニンは、実は、ルーマニア軍の元高級将校であるグリゴレ・チモフチェ中将で、ルーマニアのチャウシェスク政権からフランスに亡命していた人物であることが判明した。


そして、その1週間後から、被害者の女性達が全身の血を抜かれる連続猟奇殺人、通称<吸血鬼(ヴァンピール)>事件が発生して、パリの住民達を震撼させることになる。


2021年2月6日土曜日

ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」(Carmilla by Joseph Sheridan Le Fanu) - その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から刊行されている
ジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」の表紙
(Designed by Tetragon London)


「吸血鬼(vampire)」という概念は、アイルランド出身の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1902年)が1897年に発表した「吸血鬼ドラキュラ(Dracula → 2017年12月24日 / 12月26日付ブログで紹介済)」によって生み出されたと一般に思われているが、実際には、ブラム・ストーカーと同じアイルランド出身の小説家であるジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュ(Joseph Sheridan Le Fanu:1814年ー1873年)が1872年に発表した「吸血鬼カーミラ(Carmilla)」の方が先駆者であり、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」は、レ・ファニュ作「吸血鬼カーミラ」の影響を大きく受けて、執筆されているのである。

「吸血鬼カーミラ」は、作者のジョーゼフ・シェリダン・レ・ファニュにより、1871年から1872年にかけて、雑誌「ダークブルー(The Dark Blue)」上で連載された後、1872年、彼の短編集である「In a Glass Darkly」に収録された。


「吸血鬼カーミラ」の話は、主人公であるローラ(Laura)が手記にしたためた回想という形で始まる。


ローラは、オーストリアのシュタイアーマルク(Styria  独語:Steiermark)という自然豊かな土地で、父親と一緒に、森の中の城で暮らしていた。彼女は、幼い頃に母をなくしていた。彼女の父親は、英国人で、以前はオーストリア帝国(Austrian Empire)のために働いていたが、既に引退の身であった。彼女の父親は、引退する際、人里離れた城を比較的安く買い取って、娘のローラと一緒に、移住していた。父娘の他に、城に住んでいるのは、数人の使用人達(家庭教師を含む)だけだった。


父娘が住む城は、最も近い村まで約7マイル離れていて、父娘と親交のあるスピエルスドルフ将軍(General Spielsdorf)の城までは、村とは反対方向へ20マイル近く離れているという「陸の孤島」と言えた。そのため、スピエルスドルフ将軍の城へ出かけたり、逆に、遠方から来客が父娘の城を訪れる時以外、ローラは一人で寂しく過ごしていた。


ローラは、幼い頃(6歳の時)に、非常に奇妙な体験をする。

ある晩、彼女が一人で眠っていた時、ふと目を覚ますと、部屋の中には、メイドではなく、見知らぬ美しい女性が居た。その女性は、ローラが眠るベッドの脇にひざまづいていたが、ベッドの中に入ると、ローラを優しく抱きしめた。

幼かったローラが安心して再び眠った途端、胸を2本の針で刺されたような激しい痛みが走り、彼女は驚いて飛び起き、泣き喚いた。彼女の泣き声に反応して、見知らぬ美しい女性は、ベッドから床に降りると、ベッドの下へとその姿を消す。

ローラの泣き声を聞いて、メイド達が3人やって来るが、ベッドの下へと逃げた女性は、メイド達がどれだけ探しても、見つからなかった。しかしながら、ベッドの窪みから、ローラ以外に、誰かがベッドの上に居たという痕跡は残っていた。ローラは、胸を針のようなもので刺されたと言うが、何かに刺された痕はなかったのである。周囲の者は、ローラをどうにか安心させようとするが、彼女は神経質になってしまう。そのため、彼女が14歳になるまでの間、使用人達が3人、彼女が眠る部屋で寝ずの番を続けることとなった。


2021年2月1日月曜日

笠井 潔作「吸血鬼と精神分析」(Psychoanalysis of a Vampire by Kiyoshi Kasai) - その1

2015年に光文社から光文社文庫として出版された
笠井 潔作「吸血鬼と精神分析(上)」の表紙
(カバーデザイン: 坂野 公一 / welle design)


「吸血鬼と精神分析(Psychoanalysis of a Vampire)」は、日本の小説家、推理作家、SF 作家で、文芸評論家でもある笠井 潔(1948年ー)が2011年に刊行した「矢吹 駆(ヤブキ・カケル)」シリーズの第6作に該る本格ミステリーである。本作品では、被害者の女性達が全身の血を抜かれる連続猟奇殺人、通称<吸血鬼(ヴァンピール)>事件が発生して、パリの住民達を震撼させる。


笠井 潔による作品としては、現象学を駆使する哲学者的な探偵である矢吹駆が登場する矢吹 駆シリーズ(推理小説)やヴァンパイヤー戦争シリーズ(SF 小説)等が有名である。


矢吹 駆シリーズとして、以下の長編が発表されている。


(1)「バイバイ、エンジェル」(1979年):ラルース家の事件 → 角川小説賞を受賞

(2)「サマー・アポカリプス」(1981年):ロシュフォール家の事件

(3)「薔薇の女」(1983年):<アンドロギュヌス>事件

(4)「哲学者の密室」(1992年):ダッソー家の事件

(5)「オイディプス症候群」(2002年):ミノタウロス島の事件 → 第3回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞

(6)「吸血鬼と精神分析」(2011年):<吸血鬼>事件

(7)「煉獄の時」(2010年に雑誌連載終了 / 未単行本化)

(8)「夜と霧の誘拐」(2010年に雑誌連載終了 / 未単行本化)

(9)「魔の山の殺人」(2015年に雑誌連載終了 / 未単行本化)

(10)「屍たちの昏い宴」(2017年より雑誌連載中)


上記の長編以外に、「バイバイ、エンジェル」以前の矢吹 駆を描いた「熾天使(してんし)の夏」が1997年に、また、パリ警視庁警視ルネ・モガールの娘で、パリ大学の女子学生として、矢吹 駆と一緒に、様々な事件に遭遇したナディア・モガールが、シリーズ最終作以降の話として、日本に置いて事件に挑む「青銅の悲劇 瀕死の王」(雑誌連載時のタイトルは、「瀕死の王」)が2008年に刊行されている。


なお、「吸血鬼と精神分析」は、雑誌「ジャーロ」連載時(2003年ー2008年)、「吸血鬼の精神分析」というタイトルだったため、英語のタイトルは、「Psychoanalysis of a Vampire」のままになっている。