英国の俳優で、劇場経営者でもあったサー・ジェラルド・フバート・エドワード・ビュッソン・デュ・モーリエ(Sir Gerald Hubert Edward Busson du Maurier:1873年ー1934年)の姉で、アーサー・ディヴィス(Arthur Davies)と結婚したシルヴィア・ルウェリン・ディヴィス(Sylvia Llewelyn Davies:1866年ー1910年)と彼女の長男であるジョージ・ディヴィス(George Davies:1893年ー1915年)から、英国の小説家であるサー・ジェイムズ・マシュー・バリー(Sir James Matthew Barrie:1860年ー1937年 → 2015年7月25日付ブログで紹介済)は、「ピーターパン(Peter Pan)」の着想を得たと言われている。
また、J・M・バリーは、「ピーターパン」に登場するウェンディ・ダーリング(Wendy Darling)のミドルネームを、サー・ジェラルド・デュ・モーリエの長女で、後に作家となったアンジェラ・デュ・モーリエ(Angela du Maurier:1904年ー2002年)からもらって、ウェンディ・モイラー・アンジェラ・ダーリングと名付けている。なお、アンジェラ・デュ・モーリエは、後に舞台でウェンディを演じている。
サー・ジェラルド・デュ・モーリエは、俳優兼劇場経営者のフランク・カーゾン(Frank Curzon:1868年ー1927年)と一緒に、1910年から1925年にかけて、ウィンダム劇場(Wyndham’s Theatre)を共同経営し、その後、セントジェイムズ劇場(St. James’s Theatre)の経営を行った。
その一方、彼は、1914年から亡くなる1934年まで、Actors’ Orphanage Fund(現 Actors’ Charitable Trust)の会長として慈善事業も務めた。
そして、彼は、人気の頂点に該る1922年に、ナイト(Knight)の爵位を受けている。
俳優兼劇場経営者だったサー・ジェラルド・デュ・モーリエが、 1916年から亡くなる1934年までの間、 キャノンプレイス14番地のキャノンホールに住んでいたことを記すプループラークが、 門の左側にある外壁に掲げられている |
サー・ジェラルド・デュ・モーリエは、1934年4月11日、キャノンプレイス14番地(14 Cannon Place)のキャノンホール(Cannon Hall)において、大腸癌で亡くなっている。
現在、キャノンホールの門の左側にある外壁に、サー・ジェラルド・デュ・モーリエが、1916年から亡くなるまでの間、ここに住んでいたことを記すプループラークが掲げられている。
サー・ジェラルド・デュ・モーリエは、1902年にJ・M・バリー作の「あっぱれクライトン(The Admirable Crichton)」のアーネスト(Ernest)役を演じた際、レディー・アガサ(Lady Agatha)役として出演した女優のミュリエル・ボーモント(Muriel Beaumont:1881年ー1957年 / 1910年に女優を引退)と知り合い、同年に結婚する。そして、彼らの間には、小説家のアンジェラ・デュ・モーリエ(前述)、小説家のダフニ・デュ・モーリエ(Daphne du Maurier:1907年ー1989年)と画家のジャン・デュ・モーリエ(Jeanne du Maurier:1911年ー1996年)の3人の子供が生まれている。
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