2018年12月22日土曜日

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling)–その2

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが、妻のキャロラインと一緒に、
米国ヴァーモント州にある農場に小さな別荘を借りて生活していた際に執筆した
「ジャングルブック(The Jungle Book)」

インドを離れ、英国に到着したジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1865年ー1936年)は、オリエンタリズムやジャポニズム等の異国文化が当時流行していたロンドンの文学会でのデビュー後、人気を博して、たちまち有名となった。そして、2年の間、様々な編集者に作品を売ったが、階級社会に息苦しさを感じていた彼は、神経衰弱に罹り、医者の助言に従い、療養のため、1891年に旅行に出て、南アフリカ、オーストラリアやニュージーランドを巡り、生まれた地のインドを再訪する。同年のクリスマスを家族と一緒に過ごす予定であったが、米国における自著の出版代理人で、合作をしたこともあるウォルコット・ボレスティアーが腸チフスで急死した知らせを米国人の作家から受け取り、ロンドンへと戻る。そして、翌年の1892年1月、1年前に出会っていた彼の妹であるキャロライン・ボレスティアー(Caroline Balestier:1862年ー1939年)とロンドンで結婚する。

ジョーゼフとキャロラインのキップリング夫妻は、ボレスティアー家の地所に近い米国ヴァーモント州にある農場に小さな別荘を借りて、生活を始める。同年12月29日には、二人の間に長女ジョセフィンが生まれる。偶然にも、ジョーゼフの誕生日が12月30日で、キャロラインの誕生日が12月31日だった。彼は、この小屋であの有名な小説「ジャングルブック(The Jungle Book)」を執筆している。
長女のジョセフィンが生まれると、この小屋では手狭になったため、キップリング夫妻は、義弟(キャロラインの弟)のビーティー・ボレスティアーからコネティカット川を見下ろす岩山に10エーカーの土地を購入して、そこに家を建てた。ジョーゼフ・キップリングは、義兄のウォルコット・ボレスティアーとの合作小説「ナウラカ」に因んで、この新居を「ナウラカ(Naulakha)」と名付けた。この新居には、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイルがゴルフクラブを持参の上、英国からやって来て、ジョーゼフ・キップリングにゴルフを教授した、とのこと。

1896年2月に次女のエルシーが生まれるが、
(1)英国領ギアナの国境を巡る英国とヴェネズェラの対立に端を発した英国と調停役の米国の関係悪化 → 米国のマスコミによる固定的な反英感情
(2)飲酒や破産等によって緊迫した義弟ビーティーとの不和 → 暴力未遂事件に基づく義弟の逮捕
という二つの問題が暗い影を落とし始める。
ゴシップ好きなマスコミ等によってプライバシーを完全に失ったキップリング一家は、慌ただしく荷物をまとめて、4年間を過ごした米国に別れを告げたのである。

英国へと戻って来たキップリング夫妻に、1897年8月、待望の長男ジョンが生まれるが、1899年に米国を訪問した際、ジョーゼフ、長女のジョセフィンと次女のエルシーが重度の肺炎を患う。意識不明の重体にまで陥った末、なんとか九死に一生を得て回復した彼であったが、当時6歳のジョセフィンは助からず、この世を去ってしまう。
ジョセフィンを亡くした衝撃と苦しみから、元から実際の年齢よりも上に見られることが多かった彼は、一気に一層老け込んでしまった。プライバシーを守ることができ、尚且つ、執筆に適した静かな場所を必要としたジョーゼフ・キップリングは、イーストサセックス州(East Sussex)のバーウォッシュ(Burwash)にある邸宅ベイトマンズ(Bateman’s)を購入して、1902年から70歳で亡くなる1936年までの34年間をここで過ごした。彼がやっと辿り着いた安住の地は、皮肉にも、英国であった。

ベイトマンズで暮らし始めて5年後の1907年、ジョーゼフ・キップリングは、弱冠41歳という若さで、ノーベル文学賞を受賞した。41歳という年齢でのノーベル賞受賞は、当時史上最年少で、ノーベル文学賞に限ると、この記録は現在でも破られていない。

しかしながら、大きな悲しみはまだ続き、第一次世界大戦(1914年ー1918年)の勃発に伴い、1915年8月に出征した長男のジョンを、ジョーゼフ・キップリングは戦地で失ってしまうのである。彼からの遺伝によるものなのか、ジョンの視力は極度に弱く、英国陸軍には入隊できなかった。周囲の友人達が次々と出征していく中で苦悩する息子ジョンのことを見かねたジョーゼフ・キップリングは、妻キャロラインや次女エルシーの反対を押し切って、、自身が政界等で持つ大きな影響力を使って、ジョンをアイルランド近衛連隊に入隊させた結果が、これであった。

次女エルシーが結婚して、ケンブリッジ郊外へと去ってしまうと、ジョーゼフ・キップリングがやっと辿り着いた安住の地ベイトマンズは、彼と妻が死去するまで、空虚な場所になってしまったのである。

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