2018年12月8日土曜日

ロンドン ヴィリアーズストリート43番地(43 Villiers Street)

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが住んでいた
ヴィリアーズストリート43番地

ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のチャリングクロス地区(Charing Cross)内に所在するヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ(Victoria Embankment Gardens→2018年12月2日付ブログで紹介済)を囲む西側の通りヴィリアーズストリート(Villiers Street)沿いに、小説「ジャングルブック」や「少年キム」等の作品で有名で、1907年にノーベル文学賞を41歳の史上最年少の若さで受賞した英国の小説家 / 詩人であるジョーゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling:1865年ー1936年)が住んでいた家が建っている。


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)方面へ向かって東に延びるストランド通り(Strand→2015年3月29日付ブログで紹介済)を右折して、地下鉄エンバンクメント駅(Embankment Tube Station)へ向かって南下するヴィリアーズストリートを進むと、進行方向左手にあるヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ手前の43番地(43 Villiers Street)の建物が、それである。

ヴィリアーズストリート43番地の建物は、
現在、「キップリングハウス」というフラットになっている

インドのラホールにある「シビル&ミリタリーガゼット」紙で編集助手として働くとともに、同紙に短編小説や詩を寄稿していたジョーゼフ・ラドヤード・キップリングは、より良い文筆活動の場を求めて、1889年3月にインドを離れ、シンガポール、香港、日本、米国やカナダ、そして、再度米国を巡り、同年10月、英国のリヴァプールに到着。オリエンタリズムやジャポニズム等の異国文化が当時流行していたロンドンの文学界でデビューした後、彼はたちまち人気を博して有名になった。その後、2年間、様々な編集者に作品を売ったが、階級社会に息苦しさを感じていた彼は、神経衰弱を患ったため、医者の助言に従い、1891年に療養旅行に出かけ、南アフリカ、オーストラリアやニュージーランドを巡った後、出生地のインドを再訪する。
つまり、ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングは、この2年間(1889年ー1891年)、ヴィリアーズストリート43番地に住んでいた訳である。

「ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが、1889年から1891年にかけて、
ここに住んでいた」ことを示すブループラークが、
1階の外壁に架けられている

ジョーゼフ・ラドヤード・キップリングが住んでいたヴィリアーズストリート43番地の建物は、現在、「キップリングハウス(Kipling House)」という名前のフラットになっており、地上階(Ground Floor)にはカフェ等の商業店舗が営業している。1階(1st Floor)の外壁には、ジョーゼフ・キップリングが、1889年から1891年にかけて、ここに住んでいたことを示すロンドンカウンティーカウンシル(London County Council)が管理するブループラークが架けられている。


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