テイト・ブリテン美術館(Tate Britain)内に所蔵されている ウィリアム・ホルマン・ハント作「Cornfield at Ewell」(1849年) |
ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt:1827年ー1910年)は、19世紀から20世紀に架けて活動した画家で、ロンドンにあるロイヤルアカデミー(Royal Academy)付属美術学校(Antique School)の学友だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rosetti:1828年ー1882年→2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)や初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais, 1st Baronet:1829年ー1896年:2018年3月25日 / 4月1日 / 4月14日 / 4月21日 / 4月28日付ブログで紹介済)と一緒に、1848年に「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)と呼ばれる芸術グループを結成した主要メンバーの一人である。
テイト・ブリテン美術館(Tate Britain)内に所蔵されている ウィリアム・ホルマン・ハント作「Claudio and Isabella」(1850年) |
ウィリアム・ホルマン・ハントは、1827年4月2日に現在のシティー・オブ・ロンドン(City of London)のチープサイド地区(Cheapside)内に出生。
彼はロイヤルアカデミー付属美術学校への入学を一度拒否されたものの、入学後、前述の通り、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エヴァレット・ミレーと学友となった。19世紀の英国ヴィクトリア朝を代表する評論家 / 美術評論家であるジョン・ラスキン(John Rukin:1819年ー1900年)による「自然の忠実な再現」という提言に思想的な影響を大きく受けた彼らは、美術学校を卒業した後、「ラファエル前派」を結成して、当時のロイヤルアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱え、イタリア・ルネサンスの古典主義の完成者であるイタリアの画家 / 建築家ラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年ー1520年)以前の芸術、即ち、中世や初期ルネサンスの芸術を範としたのである。
ラファエル前派は、一時期、英国芸術界を席巻する活動を展開したが、統一化された芸術理念を文言化しなかったため、1853年にジョン・エヴァレット・ミレーがロイヤルアカデミーの準会員(associate member)、そして、正会員(full member)になったこと等を切っ掛けにして、数年後には事実上解散してしまった。
ラファエル前派を結成した主要メンバー3人のうち、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとジョン・エヴァレット・ミレーは、モデルをめぐる私情、妻の自殺同然の死や妻 / 子供を養う等を原因に、徐々に芸術的方向性を変えていったが、唯一、ウィリアム・ホルマン・ハントは、最後までラファエル前派の画家としての矜持を保っていたと言える。
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