地下鉄の壁に架けられている ミュージカル「オペラ座の怪人」のポスター (公演30周年を迎えている) |
Sam Siciliano 作「シャーロック・ホームズの更なる冒険ーオペラ座の天使(The Further Adventures of Sherlock Holmes - The Angel of the Opera)」(1994年ー2015年1月24日付ブログで紹介済)のベースとなった小説「オペラ座の怪人(The Fantome de I’Opera / 英題:The Phantom of the Opera)」(1909年ー1910年)を執筆したのは、フランスの小説家で、新聞記者でもあったガストン・ルイス・アルフレッド・ルルー(Gaston Louis Alfred Leroux:1868年ー1927年)である。
ガストン・ルルーは、1868年5月6日、フランスのパリにおいて、衣料品店を営む富裕な夫妻(ノルマンディー出身)の間に出生。
学校における彼の成績が非常に良かった(特にラテン語が得意)ため、教師からは、将来の職業として、作家、あるいは、弁護士を勧められ、1886年にパリのロースクールに入学する。1889年、彼はロースクールを卒業するが、母親に続いて、父親も亡くしてしまう。父親の死に伴い、彼は巨額な遺産を受け取るものの、弟妹3人の扶養のため、相続した遺産を使い尽くしてしまった。
翌年の1890年に、彼は弁護士資格を取得し、弁護士補として働き始める。1891年に彼は法廷で「エコー・ド・パリ(L’Echo de Paris)」紙のロベール・シャルヴェーと知り合って、シャルヴェーの秘書となり、法廷記者として法律や訴訟にかかる記事を書くとともに、劇評も手掛ける。
その後、彼は「ル・マタン(Le Matin)」紙に入社すると、海外特派員に起用され、1904年には日露戦争、また、1905年にはロシア第一革命等を取材した。その頃(1903年)、彼は「テオフラスト・ロンゲの二重生活(La Double Vie de Theophraste Longuet)」等の怪奇小説も執筆している。
1907年9月から同年11月にかけて、彼は週刊の挿絵入り新聞「イリュストラシオン(L’Illustration)」紙の文芸付録に推理小説「黄色い部屋の謎(Le Mystere de la Chambre Jaune / 英題:The Mystery of the Yellow Room)」を連載して、世間から高い評価を得る。1908年に出版された「黄色い部屋の謎」に探偵役として登場した新聞記者のジョーゼフ・ルールタビーユ(Joseph Rouletabille)を主人公としたシリーズ作品「黒衣婦人の香り(Le Parfum de la dame en noir)」(1909年)等が1923年まで数作続くが、後続の作品はスリラー的な要素が強く、「黄色い部屋の謎」を除くと、残念ながら、推理小説としての評価は低い。なお、「黄色い部屋の謎」は、何度も映画やTV映画として制作されている。
更に、彼は1909年9月23日から1910年1月8日まで日刊紙「ル・ゴロワ(Le Gaulois)」に「オペラ座の怪人」を連載し、世間の大評判を呼ぶ。1910年に出版された「オペラ座の怪人」は、今に至るまで、多くの映画、TV映画やミュージカル等として制作されている。
他にも、彼は怪人シェリ・ビビ(Cheri Bibi)を主人公としたシリーズ作品を1913年から1926年にかけて発表している。
上記のように、ガストン・ルルーは、推理小説や怪奇小説の著者として、一般に知られているが、SF、ファンタジー、歴史小説や政治小説等も数多く手掛けている。
ジョーゼフ・ルールタビーユシリーズや怪人シェリ・ビビシリーズ等、人気作家として過ごしていたが、1925年に健康を害し、視力も衰えたものの、執筆を続けた結果、1927年4月15日、手術後の尿毒症のため、ニースにおいて死去、58歳で、59歳の誕生日まであと3週間程だった。
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