玄関口へと至る前庭から見たダウンハウスの全景 |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)において、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの会話に出てきた英国の自然科学者、地質学者かつ生物学者であるチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2017年4月15日付ブログで紹介済)が住んでいた家ダウンハウス(Down House)が、ロンドンの南東部ロンドン・ブロムリー区(London Borough of Bromley)内に残っており、オーピントン(Orpington)という町の南西にあるダウン村(Downe)に所在している。なお、チャールズ・ダーウィンが住んでいた当時、ダウン村はケント州(Kent)に属していたが、1965年にロンドン・ブロムリー区へ編入された。
ダウンハウスの入口 |
1839年1月に結婚して、同年に長男のウィリアム(William)、そして、1841年に長女のアン(Anne)の二人の子供を設けていたチャールズ・ダーウィンと妻のエマ(Emma)は、今後の子育てを考慮、騒音に満ちて、空気が悪いロンドン市内よりも、ロンドン郊外での生活を望んだ。資金の援助について、父親からの了解を得たチャールズとエマの二人は家探しを始め、1842年7月後半、ダウンハウスを訪れた。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている チャールズ・ダーウィンの肖像画の葉書 (John Collier / 1883年 / Oil on canvas 1257 mm x 965 mm) |
ダウンハウスを訪れた最初の日は天候が悪い上に寒かったため、印象はあまり良くなかったものの、天候が回復した翌日、3階建ての家から見えるダウン村の景色に満足した二人は、家の状態があまり良くなかったが、長い間、家探しを続けて疲れ果てていたため、この家へ引っ越すことに決めた。実際、この頃、妻のエマは第三子を妊娠しており、これ以上家探しを続けるには、無理があったのである。
チャールズ・ダーウィンは、当初1年間賃借して住み、状況を確かめた上で、家を購入しようとしたが、持ち主であるジェイムズ・ドルモンド牧師(Reverend James Drummond)は賃貸をよしとせず、売却を望んだ。牧師の要望を聞き入れて、家の購入を決めたダーウィン一家は同年9月中旬(エマと子供達:9月14日+チャールズ:9月17日)にダウンハウスへ引っ越したのである。ダウンハウスへ引っ越した直後の同年9月23日、エマは次女エレノア(Eleanor)を出産したが、残念ながら、同年10月16日、彼女は亡くなってしまう。
次女エレノアの早世の悲しみを乗り越えたチャールズ・ダーウィンは、翌年の1843年3月末からダウンハウスの大掛かりな改装工事に着手する。ダーウィン一家がこの家に暮らし始めた以降、1843年から1856年にかけて、夫妻は更に7人の子宝に恵まれる。
1838年に自然選択説に既に到達していたチャールズ・ダーウィンであったが、広範な研究には膨大な時間が必要であり、最終的に、進化論に関する著作「種の起源(On the Origin of the Species)」はダウンハウスにおいて執筆されて、1859年11月24日に出版され、英国内に様々な論争を引き起こしたのである。
1882年4月19日、チャールズ・ダーウィンは、ダウンハウス敷地内にある小道 Sandwalk を散歩中に狭心症で倒れて、妻と子供達に看取られながら、73歳の生涯を終えた。
彼としては、ダウン村のセントメアリー教会の墓地に埋葬されるものと思っていたが、彼の信奉者達による強い後押し等があって、彼の遺体は、国葬を経て、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬された。
ダウンハウスの外壁 |
1896年に彼の妻エマが死去した後、1897年にダウンハウスはダーウィン夫妻の子供によって賃貸に出された。その後、1907年2月から1922年4月にかけて、ダウンハウスは女性専用の全寮制学校である Downe School for Girls として使用される。
ダウンハウスの玄関口上部 |
1924年から1927年にかけて、別の女性専用の全寮制学校によって使用された後、外科医のジョージ・バックストン・ブラウン(Sir George Buckston Browne:1850年ー1945年)が、1927年にチャールズ・ダーウィンの子孫からダウンハウスを購入の上、改修工事を行い、メンバーとなっている「British Association for the Advancement of Science」へ寄付する。そして、1929年6月7日、ダウンハウスはダーウィン博物館(Darwin Museum)として一般に公開される。この功績により、1932年にジョージ・バックストン・ブラウンはナイトの爵位を受けている。
その後、維持費用の問題もあって、1953年にダウンハウスは「British Association for the Advancement of Science」から「王立外科協会(Royal College of Surgeons)」に寄付され、翌年の1954年にグレードⅠ(Grade I listed building)の指定を受ける。
イングリッシュヘリテージが販売している ダウンハウスの冊子(パンフレット) |
1996年にダウンハウスの管理はイングリッシュヘリテージ(English Heritage)へと移り、1998年4月から一般公開されて、現在に至っている。
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