2017年1月28日土曜日

エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)

カナダで出版されたエドガー・アラン・ポー作の詩「大鴉(The Raven)」
(Ryan Price のイラスト付き)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。

1878年に、ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。
英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。
こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。

ロンドンの書店内に並ぶエドガー・アラン・ポーの著作と
彼関連の作品(その1)

ホームズとワトスンが共同生活を始めてしばらくした頃、ホームズはワトスンに対して、初対面にもかかわらず、何故、ワトスンがアフガニスタンから戻って来たことが判ったのか、その種明かしをする。

「種明かしをされると、とても単純なことなんだな。」と、私は笑いながら言った。「君を見ていると、エドガー・アラン・ポーの作品に登場するデュパンを連想してしまうよ。小説以外で、そんな人物が居るとは思ってもみなかったな。」
シャーロック・ホームズは(椅子から)立ち上がると、パイプに火をつけた。「君としては、僕をデュパンになぞらえることで、お世辞を言っているつもりなんどろうね。」と、彼は言った。「ところで、僕の意見を言わせてもらえば、デュパンは非常に出来の悪い人物だ。15分もの間黙っていた後、タイミングよく友人の考えに口を挟むあの悪ふざけは、非常に派手で、薄っぺらなやり方と言える。彼にある種の分析的な才能はあるが、ポーが創造しようとしていた非凡な人間では決してないね。」

'It is simple enough as you explain it,' I said, smiling. 'You remind me of Edgar Allan Poe's Dupin. I had no idea that such individuals did exist outside of stories.'
Sherlock Holmes rose and lit his pipe. 'No doubt you think that you are complimenting me in comparing me to Dupin,' he observed. 'Now, in my opinion, Dupin was a very inferior fellow. That trick of his of breaking in on his friends' thoughts with an apropos remark after a quarter of an hour's silence is really very showy and superficial. He had some analytical genius, no doubt; but he was by no means such a phenomenon as Poe appeared to imagine.'

ロンドンの書店内に並ぶエドガー・アラン・ポーの著作と
彼関連の作品(その2)

世界初の名探偵と言われるC・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)を生み出したのは、米国の小説家/詩人で、かつ、雑誌編集者のエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe:1809年ー1849年)である。

デュパンが初登場した世界初の推理小説である「モルグ街の殺人(The Murders in the Rue Morgue)」は、ポー自身が編集主筆を務めていた「グラハムズ・マガジン(Graham's Magazine)」の1841年4月号に掲載された。「グラハムズ・マガジン」は、米国フィラデルフィア(Philadelphia)のジョージ・レックス・グラハム(George Rex Graham:1813年ー1894年)によって1841年に創刊され、ポーが初代の編集主筆を勤めたが、残念ながら、1858年に廃刊となった。
デュパンが活躍するのは、他には、以下の短編小説の2編。
(1)「マリー・ロジェの謎(The Mystery of Marie Roget)」(1842年ー1843年)
(2)「盗まれた手紙(The Purloined Letter)」(1844年)
ポーが執筆して、これら3作品に登場させたデュパンは、コナン・ドイルが半世紀後に生み出したホームズの原型となったのである。

ロンドンの書店内に並ぶエドガー・アラン・ポーの著作と
彼関連の作品(その3)

上記の3作品に加えて、エドガー・アラン・ポーは、ゴシック風の恐怖小説である「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher)」(1839年)や「黒猫(The Black Cat)」(1843年)、暗号小説の草分けである「黄金虫(The Gold-Bug)」、そして、詩「大鴉(The Raven)」(1845年)等の作者として非常に有名である。

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