東京創元社の創元推理文庫から出版されている スタニスラス=アンドレ・ステーマン作「六死人」― カバー画は、安田忠幸氏によるもの |
5年前、大成功をおさめて、大金持ちになる夢を胸に抱き、六人の青年達が世界中へ冒険の旅に出発した。彼らは、
(1)ジョルジュ・サンテール(Georges Senterre)
(2)ジャン・ペルロンジュール(Jean Perlonjour)
(3)アンリ・ナモット(Henri Namotte)
(4)ネストル・グリッブ(Nestor Gribbe)
(5)ユベール・ティニョル(Hubert Tignol)
(6)マルセル・ジェルニコ(Marcel Gernicot)
の6人だった。彼らは5年後の再会を約束し、稼いだお金を皆で山分けにすること、つまり、仮に誰か成功しなかった者が居たとしても、6人が5年間で稼いだお金を平等に分配する取り決めを結んだ。そして、5年が経ち、再会のため、彼ら6人は帰国の途に着いていた。或る者は予定通り大金持ちになり、また、或る者は尾羽打ち枯らして、故郷へ向かっていたのである。
故郷には、ジョルジュ・サンテールとジャン・ペルロンジュールが既に戻って来ていた。幸いにして、ジョルジュ・サンテールは大成功をおさめたが、残念ながら、ジャン・ペルロンジュールは、良い時もあったものの、居間はすっからかんの状態だった。
午後8時になると、ジョルジュ・サンテールは、ジャン・ペルロンジュールをレストラン「ボレアル」での夕食に誘い、ジョルジュのアパルトマンを出る。レストランでの食事を終えて、街を散歩する二人。レストランで新聞売りから買った新聞をポケットから抜き出して、両手で扇いでいたジャン・ペルロンジュールは、急にある記事に目をとめて、悲痛な驚きの声をあげる。新聞記事によると、今日マルセイユに入港したアキテーヌ号の航海中に事故が発生した、とのこと。北京から帰国途中にあった船客のアンリ・ナモットが上甲板から海へ転落したため、直ちに救命ボートが海に下ろされ、入念な捜索が懸命に行われたが、船から落ちた船客を発見することはできなかったのである。また、彼が海へ転落した原因は未だに不明であった。新聞記事を読んで茫然自失となる二人。
その夜、ジョルジュ・サンテールはあまりよく眠れなかった。午前3時過ぎ、彼がベッドで寝返りを打っていた時、玄関の呼び鈴が鳴り、アパルトマンの静寂を破る。彼がベッドを離れ、玄関へ向かうと、配達夫が電報を届けに来ていた。ジョルジュ・サンテールがその電報を開封すると、それは友人の一人マルセル・ジェルニコからだった。「アンリ・ナモットと一緒にアキテーヌ号に乗っていた。できれば明日帰る。」という内容であった。
翌日の夜、マルセル・ジェルニコの恋人であるアスンシオンがジョルジュ・サンテールのアパルトマンを訪ねて来る。しばらくして姿をみせたマルセル・ジェルニコによると、アンリ・ナモットと彼の二人は、サングラスをかけ、赤髭を生やした男に北京から付け狙われており、その男がアンリ・ナモットをアキテーヌ号の上甲板から海へ突き落とした、とのこと。更に、その男は故郷の街まで尾行して来たと言うのだ。彼らが話を続けていると、通りを挟んで、アパルトマンの向かい側にあるホテルのある窓に、長身で肩幅の広い男の影が浮かび上がり、突然拳銃の発射音が響き渡った。撃たれたマルセル。ジェルニコをアスンシオンが手当てする間、ジョルジュ・サンテールが近所に住む医者を呼んで急いで戻って来ると、部屋にはアスンシオンが仰向けに倒れていて、マルセル・ジェルニコの姿はどこにもなかったのである。
そして、アンリ・ナモットが船の上甲板から海へ転落した(突き落とされた?)事件に端を発して、5年前に世界中へ旅立った六人の青年達が一人、また一人と何者かに次々に殺されていく。
本作品「六死人(Six hommes morts)」は、ベルギーの小説家であるスタニスラス=アンドレ・ステーマン(Stanislas-Andre Steeman:1908年ー1970年)によって、1931年に発表された。
フランドル人とスラブ人の血を半々に受け継いだ彼は、1908年にベルギーのリエージュに出生した。
1924年に彼はブリュッセルの「ラ・ナシオン・ベルジュ(La Nation belge)」誌に記者として入社して、同僚のジャーナリストであるサンテール(Sintair)と共作で探偵小説を執筆する。1929年からは単独で執筆を始め、1931年に「六死人」でフランス冒険小説大賞を受賞して、一躍名声を手に入れる。冒険小説大賞とは、フランスの歴史あるミステリー賞で、パリのシャンゼリゼ書店が主催していたものである。
「六死人」は、アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」(1939年)よりも8年前に刊行され、所謂、孤島ものというか、クローズドサークルものというか、ある一定の人数に限定された人達が一人ずつ殺されていくタイプの本格ミステリーの先駆者的な役割を果たしており、後世の批評家達も一致して指摘している。本作品は、無駄な描写を極力省いて、謎解き一本に絞った構成で、また、物語の最後には(当時としては)見事などんでん返しがあり、かなりの迫力を感じさせる。
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